一生懸命私たちは歩いていくわけですけど、聖霊さまに頼っていくときに、聖霊さまの助けがあって目的の場所に向かって後押ししてくださる。そんなイメージを私自身みことばを準備する中にあって覚えさせられました。聖霊さまに頼る生き方を今日握っていきたいと思います。
ここまでイエスさまが神への道を備えてくださっていることを見てきましたが、神さまに敵対する悪魔・悪霊の力もあるということを覚えていかなければならないです。イエスさまが用意された道を妨げようとする敵の策略があります。モンゴルにおいて「オボウ」というものがあります。これはモンゴルの土着の精霊信仰のようなものがあり偶像礼拝の祭壇になります。これは祭壇でもあり、道しるべとしても置かれていました。私たちの人生の道々に、イエス様が用意された道を敵が妨げる力が置かれているということを覚えさせられました。
ヨブ記 一章一節。ヨブという人物は正しい人物であったわけです。
「ウツの地に、その名をヨブという人がいた。この人は誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっていた。」
新改訳第三版では「この人は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた。」本当に正しい人であったわけです。しかし、天において、サタンが神の元に来るんです。
ヨブ記 一章六節~十一節
ある日、神の子らがやって来て、【主】の前に立った。サタンもやって来て、彼らの中にいた。【主】はサタンに言われた。『おまえはどこから来たのか。』サタンは【主】に答えた。『地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。』【主】はサタンに言われた。『おまえは、わたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない。』サタンは【主】に答えた。『ヨブは理由もなく神を恐れているのでしょうか 。あなたが、彼の周り、彼の家の周り、そしてすべての財産の周りに、垣を巡らされたのではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地に増え広がっているのです。しかし、手を伸ばして、彼のすべての財産を打ってみてください。彼はきっと、面と向かってあなたを呪うに違いありません 。』
と、サタンが神の前に出てヨブを訴えるように出てくるんです。天でこのような敵の訴えが私たちにもあるかもしれません。しかし、今日私たちには助け主・聖霊さまがおられるということを覚えていきたいと思います。ヨハネの福音書 十四章十六節、「そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます」とありますが、助け主という言葉は、ギリシャ語で「パラクレートス」という言葉が使われています。この言葉の意味は、弁護者、援助者、慰め、助言者、仲介者、そのような意味合いがあります。助け主・聖霊さまが、訴えられた人を弁護してくださり、どのような耐え難い人生の状況においても人を助け、守り、新しい勇気を与える方であることを示している言葉です。私たちを訴えてくる敵の力があるかもしれません。しかし、私たちとともに聖霊さまがおられる。そして、私たちを弁護してくださる。また、私たちが苦しいときは慰めてくださる。疲れたときには助けてくださる。そして、必要な助言を与えてくださるわけです。仲介人となって暗闇に対して戦ってくださる。そのような聖霊さま、助け主が私たちとともにおられるということを覚えていきたいと思います。聖霊に関してこのように書かれていました。「聖霊はキリストが父のもとに昇天した後、使徒とともにキリストの代わりとなり、人々を福音の真理のより深い知識に導き、神の王国のために試練や迫害に耐えることができるように必要な神の力を彼らに与えるように定められている」とあります。聖霊さまが、神の国の到来まで、イエスさまが帰られるまで、私たちを弁護し、助け導き、神の真理を知らせ、新しい力を与え続け、励ましてくださる。そのような聖霊さまがおられるということを覚えていきたいと思います。ときに神への道が見えないときもあるかと思います。聖書を見るとイスラエルの民も、歩むべき道が見えないときがたくさんありました。出エジプトするときは紅海の中に道は見えなかったです。海が別れるまで道は見えなかったわけですが、神さまが導いて道を開いてくださったわけです。この道は既に神さまによって用意されていたわけです。約束の地に入っていくときは契約の箱を携えてヨルダン川に足を踏み入れたら、水がせき止められ乾いた道を歩むことができたわけです。それまでは雪解け水が怒涛のように流れていて、川しかなかった。しかし、道は用意されました。約束の地に入っていくときにエリコの城壁の周りを契約の箱とともに回り、ときの声を上げたときに城壁が崩れて、難攻不落のエリコの城壁が砕かれて道ができました。私たちは、ときに道が見えないときがあるかもしれません。イスラエルの民は神さまの契約の箱とともに、神さまご自身のご臨在と共に進み、道が開かれていきました。今、私たちとともにおられる聖霊さまが道を開き続けてくださることを覚えましょう。もう駄目だと私たちの人生の中で諦めてしまうことがあります。しかし、道があると今日覚えていきましょう。世界には氷河が削ってできた谷があります。氷河が何千年、何万年にもわたって動いて、山が削られて、谷・道ができます。私たちには道が用意されているというけど、神さまが用意されているのかなと疑いを持ってしまったり、神さまが働いておられないのかな、聖霊さまが働いておられないのかなと思うようなときがあるかもしれません。氷河は時間をかけて道ができていくわけで、見ていても動いているか動いてないかもわからない。でも、確実に動いている。そして山が削られ道が出来ていく。そのように、神さまのときの中で神さまが確実に働きを進め道を備えていてくださるということを今日覚えていきたいと思います。
イエスさまが地上を去ってもう一つ、大きく開いてくださったことを見ていきたいと思います。それはイエスさまの名前によって祈るということです。ヨハネの福音書 十四章十四節、「あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしがそれをしてあげます」
ヨハネの福音書の十六章二十五節から二十六節、
「わたしはこれらのことを、あなたがたにたとえで話しました 。もはやたとえで話すのではなく、はっきりと父について伝える時が来ます。その日には、あなたがたはわたしの名によって求めます 。あなたがたに代わってわたしが父に願う、と言うのではありません。」イエスさまの名前によって祈るというのは、イエスさまの戒めに従順な者たちの祈りであるということです。イエスさまの願われることを祈る祈りです。ですから、自己実現的な、自分の欲望をイエスさまの名前によって祈ったら全て聞かれるとか、そういうことではないです。また、イエスさまは神に対して従順でありました。そして、父なる神と直接繋がる祈りをしていました。私たちがイエスさまに従順になりイエスさまの名前で祈ることは、イエスさまが父なる神に祈りを捧げていたように、イエスさまが祈られたかのように、私たちは父なる神さまに直接祈ることができるということです。すごい祈りの剣を私たちに与えてくださいました。その祈りはどのようなものか見たいと思います。
ヨハネの福音書 十四章十二節から十三節。
「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは、何でもそれをしてあげます。父が子によって栄光をお受けになるためです。」
イエスさまの名前によって祈る祈りを通して、イエスさまを信じる者は、イエスさまが行うわざを行い、さらに大きなわざを行うようになると書かれてあります。この大きなわざとは、イエスさまが行ったことよりも、もっと質的にすごいということではなく、量的な意味があります。ですから、イエスさまが地上から父なる神さまの元に去っていったということは、イエスさまの働きが地上でストップすることではなく、イエスさまを信じる者を通して、さらにイエスさまの名前によって祈る者の祈りを通して、その働きが大きく拡がっていくということです。ペンテコステの日に聖霊さまが注がれて、使徒たちがイエスさまの名前によって祈り始めた記事を使徒の働きで見ることができます。イエスさまがされたように、病人を癒し、悪霊を追い出しています。不思議としるしと奇跡が、今度は使徒たち、イエスさまを信じる弟子たちのイエスさまの名前による働きを通してなされているのを見ることができます。それは使徒の働きから新約の時代、現在も同じです。私たちを通して、私たちがイエスさまの名前によって祈ることを通しても同じように不思議としるしと奇蹟があらわれていくことを覚えていきたいと思います。使徒の働きには、あまりにもたくさんの不思議としるしと奇蹟がイエスさまの名前によって起こるので、使徒の働き四章十七節で「この名によって語ってはならない」と弟子たちを脅しています。今日、イエスさまがこの地上を去っていったことによって、聖霊さまが私たちに注がれたこと。イエスさまの名前によって私たちが祈ることができるようになったこと。この二つを覚えていきたいと思います。
先週の礼拝で滝元順先生が語っておられましたが、先日の水曜礼拝に、パプアニューギニアから「地の癒しのミニストリー」をされているジャックさんという方が来てくださり短くお話をしてくださいました。パプアニューギニアは、太平洋戦争によって多くの血が流されて血に呪われたような場所となり、血が流された場所では多くの悲しい事件が起こり続けていました。しかし、イエスさまの名前によって祈っていくときに、土地が癒され、またそこに住む人々が癒され、被造物たちにも回復があり、痩せこけた土地が回復し、多くの作物の収穫を得ることができるようになり、川には魚が戻ってきた。そんな証を聞きました。そして、「地の癒しのミニストリー」の主題となっているみことばが歴代誌第二七章十四節と紹介がありました。
「わたしの名で呼ばれているわたしの民が、自らへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求めてその悪の道から立ち返るなら、わたしは親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地を癒やす 。」
「わたしの名で呼ばれているわたしの民」、イエスさまの名前によって呼ばれる民は、私たちクリスチャンです。キリストに似せられた者です。この聖書箇所は神殿に向かっての祈りでしたが、今私たちは、何の隔てもない、神への道が開かれた中でイエスさまの名前によって父なる神に直接祈りを捧げられることができます。私たちは大胆に祈る者とされていきたいと思います。私たちを通し、不思議としるし、奇跡が今も起こると信じましょう。
モンゴルの報告でご紹介しましたが、モンゴルのゴビ砂漠の砂丘のところに水が湧き出ている「目の泉」があります。人が話しかけると水の湧き出方が変わるという不思議な泉です。そこで、イエスさまの名前によって賛美し祈ると、水が喜び踊るかのように水が湧き立つのを目の当たりにしました。イエスさまの名前によって祈る祈りの力を体験しました。また、ヨハネの福音書十六章二十三節、二十四節では、イエスさまの名前によって祈るとことは、「あなた方の喜びが満ち溢れるようになるためです」とあります。私たちがイエスさまの名前によって祈っていくときに、私たちが喜びながら神さまとともに、イエスさまとともに、聖霊さまとともに、父なる神さまのおられる神のみ国に向かって歩んでいくことができます。私たちがイエスさまの名前によって祈っていくならば、不思議としるしと奇蹟を神さまがあらわし続けてくださいます。イエスさまの名前によって祈ることを決してやめることがないようにと覚えさせられます。私たちの人生には様々なことがあります。平坦な道のりだけでは決してないです。いろんな道があります。大変な上り坂もあれば、暗い下り坂もあれば、でこぼこ道もあれば、ときにはもう登りきれないときもあります。しかし、イエスさまの名前によって祈り続けていきたいと思います。ヨハネの福音書十三章から十七章は「告別の説教」と最初にご紹介しましたが、その説教の締めくくりとして、十六章三十三節があります。
「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」
「勇気を出しなさい」と、今日、神さまが私たちに語っておられます。「勇気を出しなさい」というギリシャ語の言葉の意味は、「神さまが私たちの内側を強めて、熱く燃え立たせてくださるので、勇気づけられる。」また、「聖霊によって私たちの信仰に内側に励ましがあって、大胆に自信を持って生きるようになる。」そのような言葉の意味合いがあります。私たちの人生の歩みの中で、自分の思い描いたような道を歩めないときもあるかもしれません。人間の力ではどうすることもできないような問題や、病気が迫ってくるときがあるかもしれません。いろんな苦難があるかもしれません。しかし、神さまへの道は既に用意されていて、イエスさまは私たちに勇気を出しなさいと励ましてくださっています。それはただ頑張れと言っているだけでなく、私たちの内側を熱く燃え立たせてくださる聖霊を送るから勇気を出すようにと言われています。今日のメッセージの準備の中で、「心配するのはもうやめなさい、もう失望しなくても良い。」「私は聖霊を送って励ますから、聖霊で満たされて私の思いを受け取ってくれないか。」「私はあなたとともにいる。」「何よりもあなたのために十字架で自ら命を捨て、そして勝利をとったから。」「私の名で祈り続けてほしい。」そのような神さまの思いを受け取らせていただきました。祈っても変わらない、祈っていても現実は変わっているように見えないと、そのような現実に直面しているかもしれません。悪魔が誘惑し惑わしてくるかもしれません。しかし、私たちには十字架の圧倒的な勝利があり、神への道が開かれていて、聖霊がともにおられ、イエスさまの名前によって祈る勝利の道があるということを覚えましょう。勇気を出し続けて、イエスさまの名前によって祈り続けていきたいと思います。その延長線上には、究極の目的地、父なる神さまがおられる神のみ国があります。祈り続けましょう。これで私のメッセージを終わらせていただきます。
ハレルヤ、父なる神さま、イエスさま、聖霊さま、イエスさまのみことばを通して、様々なことをあなたがお語りくださったことを感謝します。あなたは道です。真理です。命です。神さまへ至る道が与えられていることをありがとうございます。そして、聖霊さまを私たちに送ってくださったことをありがとうございます。イエスさまの名前によって祈る祈りをイエスさまを信じる者に与えてくださったことをありがとうございます。そして今もその祈りを通して、神さまご自身によって、聖霊さまによって、イエス様によって不思議としるしと奇蹟、神のわざがこの地にあらわされ、拡大していることを覚えて感謝します。私たちが失望することなく、気落ちすることなく、聖霊さまによって熱く熱く激しく燃えたたせられ、勇気づけられて、イエスさまの名前によって祈る神の子とし続けてくださいますようにお願いいたします。それを妨げようとする一切の暗闇の力を打ち破り断ち切ってくださいますようにお願いします。今日、今一度、この新城教会に、またインターネットで礼拝を捧げておられる兄弟姉妹一人ひとりに、聖霊さまが熱く熱く激しく臨んでくださいますようにお願いいたします。そして、あなたのみ国の到来が、私たちが捧げる祈りを通して、今週もこの秋の季節もあらわされていきますようにお願いいたします。今日の恵みのときを心から感謝します。全ての栄光を主にお返しして、父なる神さまに、イエスさまの名前によって祈りをお捧げいたします。アーメン。