良い実が結ばれるために
~“自由”の用い方~

私たちが神様の前に罪があることを認め、へりくだって救いを受け取ることができているのは、ただ主の恵みです。 しかし、その先にも、ともすると自分の正しさに生き、主張してしまうという弱さを持ってしまっているのではないかと思います。 誰も例外なくそのような誘惑を受けることがあるのではないかと思います。 ですが、私たちは、そんな時こそイエス様の十字架に立ち返り、互いに愛し合い一致し合い、霊的戦いにおいても、そこにイエスの贖いによる勝利、神様の愛による祈りによって戦っていく者となっていくように願っています。

最後に今日のお話をまとめて終わりたいと思います。

イエス様を信じる以前の私たちは、神を知らず、それゆえ悪魔の支配の元で肉の技の命令を実行し、心の葛藤を覚えることもなく歩んでいたのですが、キリストの十字架の贖い、罪の負債の免除を受け、今度は神の御心、聖霊の思いを内に抱き、それを実行するか、それとも、救われる以前の肉の思いを実行するかというぶつかり合いに葛藤する人生が始まりました。

その中で、私たちは徹底的に自分の無力さを教えられ、聖霊の助けに寄り頼むことを習慣づけ、神様を愛することを選び続ける歩みを理想として生きています。
そこに結ばれる実が、“御霊の実”です。 植物が成長するように、一気に成長はしない、一朝一夕には確認できない、本当に小さな一歩一歩を大切にしながら地道に歩んでいくことがクリスチャンの信仰生活なのです。 その一歩一歩が忠実に繰り返されていくとき、全ての戦い、葛藤、通った苦難さえ、いや、あなたがサタンにやられた歴史、失敗だったと分類されているようなことさえ、主にあって、栄光の主の元に導かれるために用いられて、あなたの今があることに気づくことができるのです。

たとえあなたの現状が苦しみの中にあっても絶望しないでください。 神様は、必要なら悪を用いてでも、あなたが神の人として成長できるよう計画を立ててくださっています。

私たちクリスチャンには、現在の戦いの先に、主が再び来られて私たちが栄光に入れられることが約束されているのです。 だから、一日一日を主に寄り頼んで生きることを諦めずに歩み続けましょう。
与えられた素晴らしい自由を、自分の欲のためにではなく、主のために、隣人の祝福のために用いることができるようお互い励んでまいりましょう。

これで私からのメッセージに代えさせていただきます。

ガラテヤ人への手紙 六章七―九節

七 思い違いをしてはいけません。 神は侮られるような方ではありません。 人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。
八 自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊(みたま)に蒔く者は、御霊(みたま)から永遠のいのちを刈り取るのです。
九 失望せずに善を行いましょう。 あきらめずに続ければ、時が来て刈り取ることになります。

今日このメッセージでお話したことは、私たちの行いが結果を生み出していくということです。 御霊のために蒔いたら、御霊の実・永遠の命、肉のために蒔けば、肉の行い・滅びが結ばれていく。 どちらが収穫されるかはあなた次第であります。
私たちは、内にいらっしゃる聖霊の声に聞いて、罪と戦い、御霊の実を結ぶことができるように祈り続けて参りましょう。 お祈りします。

愛する天のお父様、素晴らしい礼拝の時を与えられて感謝します。 どうかこのメッセージを聞かれたお一人おひとりが、聖霊によって、自分自身に必要なものを受け取り、その人生の中に、聖霊による実を結ぶものとなっていくことができますようにお導きください。 その歩まれてきた一歩一歩が全て、必要なもの、実を結ぶためのものとして創り変えられていきますように。 私たちが希望を持って、やがて訪れる神の国を待ち望みながら、歩み続けていくことができますように。 聖霊様が力強く臨んでくださいますように、お願いいたします。

今日の時を与えられた主に心から感謝し、全ての栄光を返し、イエス様のみ名によって祈りをみ前にお捧げいたします。

アーメン。