この話の中で、預言には未来のことを受け取ることが出来るということを見ることができましたが、この預言の範囲ということを今から少し見たいと思います。預言は、過去、現在、未来、全てのときに及ぶということです。 神さまは全てのときを支配しておられますから、神さまから預かる言葉の範囲はすべてに及ぶのは当然のことですね。例えば、過去の領域については、創世記の1章があげられます。預言的回顧と言われます。天地創造の場面は人間は見ていないですから、神さまから教えられた言葉は過去のこと対する回顧ということです。そして現在については、預言は「人の心の内を明らかにする」、また「霊が神からのものかどうかを見分ける」ということです。コリント人への手紙の第一の14章24節から見ると、
「24 しかし、皆が預言をするなら、信じていない人や初心の人が入って来たとき、その人は皆に誤りを指摘され、皆に問いただされ、
25 心の秘密があらわにされます。こうして、『神が確かにあなたがたの中におられる』と言い、ひれ伏して神を拝むでしょう。」
とあります。またヨハネの手紙第一の4章1節で、
「愛する者たち、霊をすべて信じてはいけません。偽預言者がたくさん世に出て来たので、その霊が神からのものかどうか、吟味しなさい。」
と、偽預言者に対して霊を見分ける預言者の立場があるこことを見ることができます。そして、未来のことについては、使徒の働き11章の27・28節に、
27 そのころ、預言者たちがエルサレムからアンティオキアに下って来た。
28 その中の一人で名をアガボという人が立って、世界中に大飢饉が起こると御霊によって預言し、それがクラウディウス帝の時に起こった。
と、使徒の働きの時代においても、未来に対する預言があったということです。では、神さまご自身は全てのときを支配して、神の言葉を私達に預けてくださっているのだから、その預かったものは全てことを完全に網羅しているものだと捉えてしまうことは、少し違うということがあります。コリント人への手紙第一の13章の9節、10節
「9 私たちが知るのは一部分、預言するのも一部分であり、
10 完全なものが現れたら、部分的なものはすたれるのです。」
とあります。 私達が様々な神さまの言葉を預かる時、そこには素晴らしい神さまご自身のご計画があり、それがこの地上に現されていくということになりますが、それは一部分だということです。やはりイエスさまがこの地に帰ってこられ、この地に神の国が完成する時に全てのことが明らかにされわけですから、私達が預かっていくものは一部分だということです。ですから、私達は一部分しか知らないということをしっかりと捉えていくときに、私達は限界のある存在だという認識を受け取ることができるかと思います。また、私達は今というときにしか生きることができない、過去にも生きることができない、未来に生きることもできない限界のある存在です。そのように限界のある存在であることを私たちが知っていくときに、全てを支配されている主権者である主、主の永遠性を私たちが認めるようにされていきます。そうすると、自ずと私達が預かる神さまの言葉に対して、私達が忠実に生きるようになる。一生懸命に励んでいくように努めるようになると思います。ですから、預言の賜物を熱心に求めていくときに、私達が限界のある存在、預言というのは一部分だということをしっかりと認識していくことは、神さまの言葉を預かりその言葉に正しく生きるための大きな助けとなる姿勢だと教えられます。
そして、この預言の賜物を求めていく中にあってどのようなことがあるか、コリント人への手紙の第一14章の1節から見ることができます。
「1 愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。
2 異言で語る人は、人に向かって語るのではなく、神に向かって語ります。だれも理解できませんが、御霊によって奥義を語るのです。
3 しかし預言する人は、人を育てることばや勧めや慰めを、人に向かって話します。
4 異言で語る人は自らを成長させますが、預言する人は教会を成長させます。
5 私は、あなたがたがみな異言で語ることを願いますが、それ以上に願うのは、あなたがたが預言することです。異言で語る人がその解き明かしをして教会の成長に役立つのでないかぎり、預言する人のほうがまさっています。」
預言ということが、教会を成長させていくということに繋がるということです。 教会はキリストのからだ、神の国が現わされてる存在です。その教会が成長していくということは、神の国が拡大していくということに繋がっていくっていうことを意味すると思います。ですからこの預言する賜物を私達が熱心に求めていく、神さまから預かったものに忠実に生きていくことは、神の国の拡大と繋がることだということを教えられます。このような重要な役割のある預言の賜物を悪魔が妨げようとする働きがあることも忘れてはいけません。先ほども見ましたがヨハネの手紙の第一の4章1節で、
「愛する者たち、霊をすべて信じてはいけません。偽預言者がたくさん世に出て来たので、その霊が神からのものかどうか、吟味しなさい。」
偽預言者の存在がいるということです。また、テモテへの手紙の第一4章1節では、
「しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。」
とあります。 この終わりの時代、私達を惑わす霊がいる、偽預言者がいます。イエス・キリストの名前を使って、神からの言葉だと、偽り、間違った偽りの言葉を発する人物がいるのです。この現代社会において多くの情報に囲まれています。その情報が真実か偽りか見極めることが難しい時代です。私たちは簡単に偽りの情報によって混乱させられてしまいます。お互いのために惑わされることがないように祈りあっていかなければいけない、注意していかなければならない時代の中に生かされていることを強く感じます。
そして、最後に、コリント人への手紙の第一14章31節から学びたいと思います。
「だれでも学び、だれでも励ましが受けられるように、だれでも一人ずつ預言することができるのです。」
この「預言することができる」、これは可能を意味します。この言葉のギリシャ語は「デュナマイ」という言葉が使われています。名詞では「デュナミス」です。使徒の働きの1章の8節
「聖霊があなた方の上に臨むとき、あなた方は力を受けます」
と、聖霊さまによる力であるディナミスと同じ言葉が使われています。ダイナマイトとの語源の言葉です。預言という行為は、聖霊によって主の力が与えられ私たちは預言することを可能とされるということです。今日何度も取り上げている聖書箇所、ヨエル書の預言の言葉である使徒の働きの2章17節、
「わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。」
と、聖霊さまの臨みがなければ、聖霊さまの力によらなければ、私達は預言することはできないということです。ですから、私達が預言の賜物を熱心に追い求めていく前提の一つとして、私たちは聖霊さまを追い求めていく、聖霊さまに満たされていくことがとても大切だということを教えられます。
1992年2月13日に聖霊さまが激しく新城教会に臨まれ、新城教会の歴史の中で、決して人間の力ではすることが到底できないような主のみ業が現され、全日本への宣教、全世界の宣教へと開かれていきました。これは神さまから預けられた言葉が聖霊の力によって進められた証しではないかと思います。その原点は熱い祈りでした。
今週3月10日は日本の初のプロテスタント教会・横浜公会が設立された記念の日です。横浜公会が設立されるにあたって、フルベッキという宣教師が報告した記録が残っています。
「集会は驚くほど盛んになり、何週間も続き2月末までにいたりました。1~2週間後、この国の歴史で初めてのことですが、彼らは祈祷会で膝をかがめて、感動しつつ、その顔は涙にぬれながら神に祈ったのです。神がかつて初代教会と、また使徒たちを取り巻く人々に御霊を賜ったように、日本にも御霊を与えてくださいと。これらの祈りは熱烈そのものでした」
熱い祈りの中、聖霊さまの臨みがあり、その延長線上で教会が設立されたということです。横浜公会はジェームス・バラ宣教師を仮牧師としてスタートしました。新城教会は、津具村を通してこのジェームス・バラと関わりがあります。熱い祈りと聖霊さまの働きの流れの中で今の新城教会が存在しています。
私たちはますます熱い祈りを主にささげ、聖霊さまで満たされていきたいと願います。その時に、聖霊の力によって私たちが預けられた主の言葉に生きることができます。預言することができます。
最後に、私の末の息子に起こった100点時件を振り返って終わりたいと思います。すでに順牧師がお分かちしているので詳しくはお話しはしませんが、神さまがされた不思議な奇蹟でした。算数の問題用紙を受け取ると赤い字で答えが全部見え、息子は自分で計算をせずにその赤い字をなぞって答えを先生に出してやったと自慢げに母親に告げたそうです。「それが100点だったらすごいね。でも0点だったらもっとすごいね」と話していましたが、まさかね100点を取ってくるとは思わず、親としても驚きましたし、とても戸惑いました。このことを通して神さまは何を語りたいのだろうかと全く分かりませんでした。しかし、「預言的に生きる」という思いが私の心に巡り、預言について、私たち一人ひとりは神さまからの言葉を預かる器とされている者ということを学んでいく時に、この奇蹟の解き明かしを受け取ったような気がしました。私達一人ひとりはイエスさまによって救われて、罪赦され聖霊の宮とされ、私たちの只中にはもうすでに神の国がある。天と地が接する場所となっている存在である。それ故に私達の只中には天にある神の100%の100点満点のご計画が預けられている。もし、それに私達が従ったらば、100%の100点満点の神さまのご計画が私達一人ひとりを通して、教会を通して、天で完全なようにこの地上に鮮やかに完全に現されていくということを示されました。このことを伝えるために、私の息子にキリストの体の中の各器官の一つの預言者としての役割を与えてくださったのではないかと思います。ですから、ただ100点が取れたという奇蹟で終わらなくてよかったなと心から思います。
私達の只中には天があります。神の国があります。完璧で鮮やかな神のご計画が預けられています。神の言葉が預けられています。私の息子が神さまが示された赤い字をなぞったように、もし、神さまが預けてくださったことに対して、私達が忠実に生き従っていくならば、その預かった言葉を私達が唇で地上に100%そのまま宣言していくならば、人間の力では到底することができない、デュナミスという聖霊さまによる力によって、天でみ心がなされるように地でなされることが必ず起こされます。期待して主の言葉を預かり続けていきましょう。
旧約の預言は、イエス・キリストの到来によって、十字架の贖いによって成就しました。しかし、新約にも預言があります。新約の預言は神の国の完成に向かっての預言です。私達が預言することは、教会の成長となると学びました。神の国の完成と繋がっています。終わりの日に対しての態度としてテサロニケ人への手紙第一5章の19から20節があります。
「19 御霊を消してはいけません。
20 預言を軽んじてはいけません。」
聖霊に燃やされて、預言の賜物を熱心に求めていく必要があるということです。 預言を軽んじるというのは、「無に等しく扱ってはいけません」という意味があります。もう預言は終わった、神さまの言葉を預かることなんかないんだと思ってはいけないということです。神の国の完成を前に、私達は預言の賜物を熱心に求めていきたいと願います。最後にお祈りをさせていただきます。
ハレルヤ、父なる神さま、イエスさま、聖霊さま、この新約の時代に、聖霊さまの時代に私達は生かされ、今、十字架の贖いによって私達一人ひとりは救われて、神の子とされ、預言の賜物が私達一人ひとりに与えられていることを感謝します。 私達の只中に天が現わされていること、天が接していることをありがとうございます。神の国があることを感謝します。神さまの完璧な素晴らしい天のみ心が、天の神さまの100%のみ思いが私達の只中にあることを覚えて感謝します。それを私達が大胆に受け取って、そして大胆にその神さまのみ心に従って、預言に従って生きるものとさせてくださいますようにお願いいたします。 そして、私達を通して、神の国が拡大し、完成と繋がっていきますから心から感謝します。さらに私達に熱い熱い祈りを与えてください。聖霊さまが更に私達に激しく臨んでくださいますようにお願いいたします。それを妨げようとする一切の暗闇の力を打ち破ってください。偽預言者たちを遣わそうとしている暗闇の策略を断ち切ってください。私達が聞く必要のない、受け取る必要のない偽預言者たちの言葉から完璧に守ってくださいますようにお願いいたします。そして私達が神の言葉をしっかりと受け取っていくことができるように。それは人間の力ではできません。聖霊さまの力ですることができますから、どうか聖霊さまが更にこの新城教会に激しく臨んでくださいますようにお願いいたします。 そして、神さまの鮮やかなみわざがさらに現れてきますように。今週も一人ひとりを通して素晴らしい神さまのみ心がこの地でなされ、豊かな実を私達が受け取る週であることを宣言して、主イエス・キリストのお名前によって父なる神さまに祈りをお捧げいたします。アーメン!