準備して主の計画を受け取ろう

2025年8月24日(日)新城教会牧師 岡本信弘

エペソ人への手紙 1章11・12節
“この方にあって、私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。みこころにより、ご計画のままを皆行う方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです。それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。”

ハレルヤ! 主の御名を心から賛美いたします。

今、美佐子さんの素晴らしいピアノ演奏を聴いて、いつもマグロのように忙しく動いている私も、心が洗われたような気がしました。
皆さんお元気でしょうか。ずっと暑い日が続き、私の周りには体調を崩している方が何人かおられます。お互いにとりなして祈り、喜んで主に仕えていきたいと思います。
私は先週の八月十四日で、六十九歳になりました。皆さんのお祈りに支えられ、ここまで健康が守られ、今日もここに立つことができていることを心から感謝します。

プレイズのためにもいつもお祈りありがとうございます。この働きが始まって三十五年となりますが、今年から新たに農業部門のベテルファームを始めました。最近は、週に何日か、草を刈ったり、雑草を抜いたり、水やりをしに行きます。久しぶりに会った方に、「先生、だいぶ黒くなりましたね。ハワイでも行ってきたんですか?」と言われました。行ってはいませんが、「そうですね」とだけ返事をしておきました(笑)。暑い中でも守られていることを感謝します。

昨日までモンゴル・ゴビ砂漠ミッションがありました。本当に祝福されたことを、皆さんも世界宣教報告ですでにご存じかと思います。本日の午後に報告会が開かれ、恵まれた証しを聞くことができます。ぜひ午後まで残っていただき、恵みを共に分かち合うときを持ちたいと思います。
八月十一日には上條頌兄を迎え、コンサートが行われました。どれだけ集まるか少し心配していましたが、多くの人がここに集まってくださり、本当に祝福されました。かつて下手なギターを弾いていた頌くん(笑)に、「ギターで飯が食えるか!」と笑いながら言ったことがあるのですが、今は押しも押されもせぬギタリストとなりました。そして彼は、主に恩返しをしたいという思いで、賛美のプロジェクトを立ち上げました。全国各地からメンバーが集められ、賛美がささげられている様子を見て、頌くんの信仰ももちろんですが、神様って本当に素晴らしいなぁとあらためて思わされました。

さて今日は、今読んでいただいた御言葉から「準備して主の計画を受け取ろう!」というテーマで学んでいきます。
ここに順先生がおられるのですが、昨日夜中にモンゴルから帰ってこられたので、私にメッセージの番が回ってきました。語るのが下手な者ですが、少しでも皆さんに分かりやすく伝えられるよう、お話ししたいと思います。

皆さんは、何か新しいことをするとき、何かしらの準備をするかと思います。それが重要なことであればあるほど、しっかりとした準備が必要になります。「備えあれば憂いなし」と言われるように、目標達成のために準備を着々と進めていくことは重要です。高校や大学に入るためには、猛勉強をして自分の希望の学校に入るために準備をします。また、結婚が決まったら、新居や様々なことを準備します。子どもが与えられたら、特に初めての子どもなら心構えや色々なことを準備し、問題が起きないようにします。皆さんもご自分の人生を振り返るなら、あのときは目標達成のために頑張ったなぁというときがあると思います。
私はあまり物事を立ち止まって考えないので、「とりあえず走りながら考えたらいいよ」と言ってしまうような者です。そんな私も、一つ、小学校のときにすごく準備して臨んだことがありました。それは運動会でのことです。皆さんは、運動会と聞いて何をしますか? 走って体力をつけて準備しようなどと思われる方もおられるのではないでしょうか。
私の家族は、いつもお話ししているように、滝元家とは違って皆走るのが遅かったんです。しかし教会の運動会でパン食い競争があり、私が毎年一位だったので、「先生は早いですね」「運動神経がいいですね」と言われましたが、それは皆さんの大きな勘違いです。私はいつも走るのが遅く、運動会では六人走ったらいつも五番くらいでした。ただ、パンを食べるのが早いだけなのです(笑)。ですから、何カ月も前から走って、徒競走で五番を四番、三番にしようなどということは最初から諦めていました。
では、私が運動会で何を準備したのかというと、裁縫です。ミシンと格闘したのです。「なぜミシン?」と思うかもしれませんが、当時私の学校では「帽子取り」という競技があったのです。つばのない帽子をかぶり、互いに取り合うというものです。今は多分、つばのない帽子はないのかもしれませんし、帽子取り自体も危険だということで、やっていないかもしれません。
私は、どうしても勝ちたい思いがあり、母に頼んで、私の形の悪い頭に合わせて、帽子をつかめないように縫ってもらっていました。私が何度も何度も「ちょっとこうしてみて」と言うので、母はもう嫌になって、「ミシンを教えてあげるから、自分でやって」と匙を投げられてしまいました。それで私はミシンのやり方を覚えたという記憶があります。つかむところがないように、夜な夜なミシンで縫い縮め(何枚帽子をダメにしたか分かりません)、運動会に臨みました。結果はどうだったかというと……、私は走るのが遅かったので、周りを十人くらいに囲まれ、押さえ込まれて帽子を取られそうになりました。でも、まず全然つかむところがないのです。そして、ようやくつかまれても取れませんでした。十数メートル引きずられましたが、最後は相手が諦めたのです。それで、小学校六年のときは、みんなから私が一番強いと思われようで、「あいつを倒した奴が一番だ」と言われたくらいです。そのときには、すごく準備をしたのです。

そんな笑い話はさておき、人生において、私たちクリスチャンには重要な準備があるということを聖書は教えています。今日はここで、私たちクリスチャンに求められる準備と神の計画について学んでみたいと思います。

聖書には、『あなたはあなたの神に会う備えをせよ』(アモス書四章十二節)と書かれています。それは、どんなときにも揺るがない信仰の確立を求めるということです。また、テモテへの手紙第一 六章十九節には、『まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように』とあります。
私たちが信仰を持ってクリスチャンになった最大の御利益(ごりやく)は、イエスさまの十字架の血潮によって罪が贖われ、永遠のいのち、天国に行く者とされたことです。これは何にも代えがたい御利益です。今、皆さんの中には、信仰が始まったばかりの人、五年、十年、二十年以上の信仰歴の方もおられます。しかし、信仰を持っていたにもかかわらず、この素晴らしい愛を途中で手放してしまった方も少なくありません。私は六十年のクリスチャン生活で多くの人を見てきました。「私は大丈夫だ」と今は思っている人でも、自分や家族が病気になったり、交通事故を起こしてしまったり、会社をリストラされ生活が困窮したりと、そんな状況になったときに、「もう私は駄目だ」と思ってしまうことがあるでしょう。また、教会に行くのを反対され挫折して来られなくなったり、何かにつまずいて、一週間、二週間来ないうちに、「もう行かなくてもいいかな」と思ったりして、信仰を失ってしまうケースもあります。
確かに私たち一人ひとりは弱い者、何もできない者ですが、新約聖書に出てくる最も偉大な伝道者の一人パウロは、コリント人への手紙 第二 十二章十節でこのように語っています。
『ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。』
パウロは、数々の苦難を乗り越えてきましたが、自分の弱さを痛感していた人でもありました。弱さを認めることは決して敗北ではありません。主が私たちの味方であるということを再認識するときでもあります。たとえ目の前にどんなに困難な問題があり、どんな難題が降りかかったとしても、しっかりした土台の上に築き上げられた信仰が必要です。そのために準備して、第一コリントの 十五章五十八節に、『ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから』とあるように、主のわざに励む者とならせていただきたいと思うのです。
これからも皆さんには、クリスチャンになったゆえの戦いが続いていくでしょう。クリスチャンは、「ハッピーで楽しいことばかり」ではないことを、皆さんはもう分かっていると思います。この地上で生きる限り戦いは続いていきます。信仰を持ったときには喜んでいますが、生まれたての赤ちゃんのように、すぐには何も自分ではできません。多くの人に助けてもらい、歩くこともできなかったのが、だんだん歩くようになり、独り立ちしていきます。時には、様々なことでつまずき、涙を流したり、悔しい思いをしたりすることもあります。そんなときこそ、主により頼み、成長させていただける大きなチャンスではないかと思います。
見えるところではなく、見えないところの基礎を築いていかないと、ちょっとしたことで倒れてしまいます。教会には大勢の兄弟姉妹がいます。お互いに祈り合い、どんなときにも揺るがない信仰を築いていくため、基礎を築いていくことが大切です。そのような準備をして、どんなことがあっても、すでに皆さんが受け取っているこの天国行きの切符、永遠のいのちを、絶対に手放してはなりません。そのことをぜひ覚えていただきたいです。

揺るがない信仰をもって神に近づき、神様の計画を受け取った二人の人物を、聖書から見ていきたいと思います。
旧約には、様々な王様や預言者、素晴らしい信仰者、勝利を手にした人がたくさんいますが、その中の一人は、ノアです。彼は今まで体験したことのない神様の計画、救いを受け取った人です。
『そこで、神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。それで今わたしは、彼らを地とともに滅ぼそうとしている。あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外とを木のやにで塗りなさい。」』(創世記六章十三~十四節)
ここで重要なことは、主の声を聞いて、それを受け取って実行したということです。皆さん考えてみてください。神様は大洪水を起こして、地上に蔓延した悪を一掃しようとされました。しかし、正しいノアとその家族を見て、彼らを救おうとされたわけです。皆さんは、この話を何度も聞いていると思います。しかし、考えたことがありますか。もし皆さんが神様からノアと同じことを提案されたとしたら、その提案を受け取って実行することができるでしょうか。私は気の短い男なので、そんないつ起こるか分からないようなことを言われても、受け取れなかったかもしれません。
当時は、この地上に雨が降らず、地から水が湧いていて、雨というものを見たことがなかったと思われます。体験したことのないことが起こるという話を聞いたとき、ノアは、神様からの未知の提案を受け取ったことになるわけですが、新約聖書のヘブル人への手紙 十一章七節には、ノアについて、このように書かれています。
『信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。』
ノアは、今まで見たことのない事柄について神様から警告を受け、何十年もの間、忍耐を持って箱舟を作り続けました。そして、「信仰による義を相続する者」となったとあります。箱舟を作るのに何十年かかったか、聖書にはっきりとは示されていませんが、最低でも五十~百年くらいかかったのではないかと言われています。その間には、多くの人に罵倒され、多くの人に笑われたことでしょう。それでも彼の信仰は揺るぎませんでした。明日のことだったら我慢しようかなと思うかもしれませんが、先の見えない何十年もの間、彼は信仰を持ち続け、忍耐し、神の計画のとおりに箱舟を完成させ、家族を救い、祝福をいただいて、信仰による義を相続する者となったのです。