捨てられた石

その時、東京ミッションの金山さんという、すでに召されたお母さんですが、事務所を貸してくださり、折々に差し入れを届けて助けてくださった方がいました。いよいよ田舎に帰るというご挨拶をした際、彼女から「あなたはこれから神様に仕えるのだから、もっと胸を張って堂々と生きなさい」と言われました。自分を「選ばれた種族、王である祭司」などとは全く思えない、自覚が持てない時にそのように言われたことが、今でも鮮明な思い出として残っています。まだ牧師としての按手も受けていない、献身し始めたばかりの人間に対して「あなたは聖なる王である祭司なのだから」と言ってくださったことが大きな励ましになりました。このみことばを読むと、そのことを思い出します。

私たちは自分に価値がないと思える時もありますが、主がそう語ってくださったのです。あり得ない身分に置かれているのは、私たちを闇の中から光に招いてくださった素晴らしい方のみわざを宣べ伝えるためなのです。

私たちは「選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民」と言われて「よかった」で終わるわけではありません。本来ふさわしくない者を選び、「そのような者となるのだ」と宣言してくださった驚くべきみわざを感謝し、この喜びを宣べ伝える者とならせていただきたいと思います。私たちはこの社会にあって、光を放つ者として置かれていることを心から感謝しています。主の栄光が、みわざが日本の社会の中に広がっていくことを期待しています。

本当は私も今日の祈祷会に出たかったのですが、時間がないため参加できないのが残念でなりません。しかし、ますます豊かな聖霊の油注ぎがこの場所から日本中に再び広がっていくことを心から期待しております。

お祈りしましょう。
愛する天のお父様、み名をほめ称え、心から感謝いたします。私たちは捨てられた石、イエス様ご自身の苦しみを覚えます。しかしその捨てられた方が、私たちのために全てを投げ出し、絶望と苦しみを通して生ける石となり、私たちの人生の土台になってくださったことを感謝します。私たちはいつも、この方を人生の要石として置き、その上に私たち自身も生ける石として積み重ねられていく恵みに感謝いたします。
私たちが人から捨てられ、足りないと思える時でも、イエス様が全ての苦しみと悲しみを知って土台となってくださっていることを覚え、イエス様という要石の上に人生を重ねる者、そして聖なる捧げ物を捧げる祭司として、とりなし祈る者とならせてください。小さな足りない者ですが、あなたが私たちを「選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民」と宣言してくださったことを感謝します。どうぞ私たちがあなたの言葉通りに、ふさわしく、また喜びをもってこの地上で輝き、この素晴らしいみ名を宣べ伝える者とならしめてください。
感謝して、イエス様のみ名を通してお祈りいたします。アーメン。