信仰の創始者であり完成者であるイエスから、 目を離さないでいなさい

そして、最後の場面です。創世記二十六章二十八・二十九節、

“二十八 彼らは言った。「私たちは、主があなたとともにおられることを確かに見ました。ですから、こう言います。どうか私たちの間で、私たちとあなたとの間で、誓いを立ててください。あなたと盟約を結びたいのです。
二十九 私たちがあなたに手出しをせず、ただ良いことだけをして、平和のうちにあなたを送り出したように、あなたも私たちに害を加えないという盟約です。あなたは今、主に祝福されています。」”

アビメレクたちがこのように語りました。神さまの圧倒的な祝福を目の当たりにして、盟約を結んでほしいと言ってきたのです。この神さまご自身の圧倒的な勝利がもたらされた出来事と言ってもいいのではないでしょうか。

イサクはアビメレクともゲラルの人々とも争わず後退し続けていきました。ある意味、敗北し続けてきたように見えたかもしれませんが、そうではありませんでした。主ご自身が圧倒的な勝利を約束通りに現してくださったこととして見ることができます。そしてこの盟約を結ぶ前にイサクたちはベエル・シェバに移り、井戸を掘っていましたが、盟約が結ばれた後に、創世記二十六章三十二節

ちょうどその日、イサクのしもべたちが帰ってきて、自分たちが掘り当てた井戸のことについて告げました。「私どもは水を見つけました。」

井戸を掘っていて、水を見つけたということです。井戸が空であったら何の意味もありません。その命の水の源を見つけたのです。神さまご自身の約束の確信を、この時にイサクは受け取ったのではないかと思います。そして、ベエル・シェバというのは契約の誓いの井戸という意味を持ち、アブラハムも、当時のアビメレク(これは王の称号であったと言われます)との間に契約を交わした場所でありました。イサクは、奇しくもその同じ地において、水の源を見つけました。「アブラハムの故に祝福する」と約束された祝福の源をここで見つけた、そんな印象を私自身、このメッセージを準備させていただく中で覚えさせられました。

命の源、祝福の源は主です。私たちはその主に目を一心に留め続け、主の約束を握り続け、私たちのゴールである神の国を見続けていきたいと思います。イサクの歩みは人の目には後退、敗北の道のようにも見えたかもしれません。しかし、それは勝利に向かっての前進でありました。後退という名の前進と呼べることではないでしょうか。
私たちも主に目を留め続けて主の約束を握り続け、主が私たちに望まれる行動に導かれ、信仰を持って応答していくならば、時には結果が目の前で後退していると人間的に思ったとしても、また井戸を掘らなければならないのか、というような同じことの繰り返しが起こってきたとしても、不当に訴えられ攻め立てられ心を砕かれるようなことが起こったとしても、必ず主がその約束の祝福を成就してくださって、圧倒的な勝利を与えてくださると、今日受け取っていきたいと思います。

最後にガラテヤ人への手紙三章六・七節

六「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」とあるとおりです。
七 ですから、信仰によって生きる人々こそアブラハムの子である、と知りなさい。

今、信仰によって、私たちはイエスさまを私たちの救い主、主として信じています。それ故に私たちはアブラハムの子であって、アブラハムに約束された祝福を受け取ることができます。主に期待して、この新しい季節を神さまとともに歩んでいきたいと、そのように願います。

最後に一つの写真をお見せします。

先日、ヘブンズファームで種を植えました。その種が芽を出しています。神さまが何百倍の収穫を与えてくださるか、本当に期待させられます。信じていきたいと思います。

最後にお祈りさせていただきます。

ハレルヤ、父なる神さま、イエスさま、聖霊さま、今日こうして礼拝のとき、みことばを主が備えてくださって、主が私たちに語ってくださったことを覚えて、感謝します。もう一度、主ご自身が、私たちに与えておられる約束を強く握らせてください。私たちとともにおられる主に私たちは目を見止め続けることができますように、どうか助けてください。弱っている方がおられたら、あなたが強めてください。恐れるな、恐れるな、とあなたが語って目を上げさせてください。そして私たちが主の望まれる行動を選択し、的確に効率的に右にも左にも逸れることなく、神さまに応答していくことができますように助け導いてください。これから現れされる何百倍もの祝福・収穫・圧倒的な主の勝利を期待します。今日の恵みのときを主が与えてくださったことを感謝します。全ての栄光を主にお返しして、イエスさまのお名前によって父なる神さまに祈りを捧げいたします。
アーメン。