主イエス・キリストにある平和

終焉説って言ったり終結論って言ったりですね、終止論って言ったりちょっと言葉がいろいろあって私もどれが正しいのかがよくわからないです。今回は終焉説と継続説というふうに呼びたいと思います。
これは何かというと、新約聖書に記されている、教会を高めるために聖霊によって与えられる賜物、特に預言や異言・癒しの奇跡など、そういうものが現代の教会においてもあるのか、それとも使徒の時代に終わったかっていう議論であります。

これをAIにイラストにしてくださいって頼んだらこんなイラストが出てきました。


左側は終焉説を描いたものです。終焉説は聖霊の賜物は使徒時代、初代教会の終わりとともに終了したと考える立場です。聖書が完成したことで、神のメッセージは全て書き記されたと考えます。そのため特別な預言とか奇跡はもはや必要なくなった。ということを終焉説では述べるんです。それが、石の台座に置かれた聖書に象徴されています。背景に描かれたギリシャ風の柱とか遺跡は、聖書に書かれている聖霊の現われは歴史の中の出来事でありもう昔にもう終わった遺跡のようなものだっていうことです。空に書かれている杖は癒しを、炎は聖霊の力を、巻物は預言を意味するのすけが、これが薄い色や点線で書かれている、ということは、それらが今は停止しているということを現わします。
右側は継続説です。新約時代に現れた聖霊の賜物は現在も変わらず教会に与えられていると考える立場です。聖書は今も生き生きと人々の手の中で活用され、その教えが現代の奇跡や体験と結びついている。明るい色彩と活気ある礼拝の様子は、聖霊の働きが今ここにあるっていう躍動感を表現しています。そして、炎は今も燃え上がる聖霊の力、手は癒しの祈りや力、開いた口は異言や預言の賜物、これらがはっきりと描かれ現代の信仰生活においても有効であることを象徴しています。この二つのイラストを見ると、両者の考え方の違いが、コントラストとして描かれているわけです。

私は昨年11月9日に礼拝メッセージでコリント人への手紙第Ⅰ 12章7節『皆の益となるために、一人ひとりに御霊の現れが与えられているのです。』から、聖霊の賜物というテーマを述べさせていただきました。

最近も滝川副牧師が聖霊の現われの一つである預言について詳しくお話しされていましたね。実は昨年11月あたりから「終焉説」の立場について調べたいなと思いました。なぜなら、「終焉説」をとる教会と「継続説」をとる教会とは互いに距離を置き、あまり交わりをしないから、私もご多分に漏れずあまりこの教えについて知らず、そのくせ継続説側から一方的に批判するのは「同じクリスチャンなのにこういう態度はよくないな」と思わされたからです。

新城教会が中心的な役割をもって日本中に働きかけている超教派団体「リバイバル・ミッション」に対しても、これが聖霊による顕著なみわざによる宣教の拡大「リバイバル」を求めていることから、終焉説を信じる多くの教会はこれに懐疑的であり、距離を置いて協力しようとしません。私たちにとっては当たり前である聖霊さまによる力強いみわざは、彼らにとっては神からのものとは認めず、むしろ悪霊による偽造か、人間の心理的な作用と見なす傾向があります。
随分信仰の持ち方に違いがありますよね?新城教会で救われ、信仰を育まれてきた私たちにとって、こんなに違う価値観を持つクリスチャンが存在することは驚きかもしれませんが、事実です。こんな話をすると皆さんに混乱を与えてしまうかも知れませんが、なぜこんなことを話すのかというと、先ほどからお話ししている、神さまの広い愛と、聖霊による一致について考えたいからです。

みなさんは「終焉説」を支持するクリスチャンについてどう思われますか?
彼らは聖霊の力あるしるしと奇跡を伴うリバイバルのみわざを受け入れようとも、求めようともしません。むしろそれは信仰にとって危険だとして距離を置きます。
「それはけしからん。とてもクリスチャンがとる態度とは思えん。彼らは神のみ心に反対するかわいそうな人々だ。目が開かれるように祈らないといけない」と感じられるかもしれません。実は私もそう思っていました。けれども、それは天と地が一つとなったキリストの教会・世界大の神の国の体現を熱望する者として本当に正しい態度と言えるでしょうか?

かなり前の話になるのですが、リバイバル聖書神学校の校長をされていた山崎ランサム和彦先生との交わりの中で、私が先生にこう言ったことがあります。「リバイバルを認めず、奇跡を否定するグループはけしからんですよね」と。そのとき先生は私の意見に同意する代わりに、興味深いことをぽつりと一言だけおっしゃいました。「でも、彼らは時代の荒波からキリスト教を擁護するため一生懸命に働いてきたという側面もありますよ」と。先生はその時はそれ以上語ることはなかったのですが、このことばは私の心に残り続けていました。

実は「終焉説」はキリスト教の歴史において、かなり昔からあるのですが、この考えが大きく発展したのは17世紀から18世紀に起きた啓蒙主義のうねりの中でした。私も過去に取り上げたことがある世界史の重要な転換期です。

「啓蒙(けいもう)」の言葉の由来は、中国の古典にある「蒙(くらき)を啓(ひら)く」に遡ります。無知(暗闇)を切り開いて知識や道理(光)を与えるという意味です。18世紀欧州の(Enlightenment:インライテンメント=光で照らす)を、文明開化期の日本で「啓蒙」という訳語として採用した言葉です。

啓蒙思想はヨーロッパで興隆した思想運動であり、人々に正しい知識を与え、合理的な考え方をするように教え導くことを指します。中世的な価値観に対して多くの新しい視点や光を当てました。
啓蒙思想はまた、宗教に対して批判的な姿勢を持ちました。それまで社会ではカトリック・キリスト教が支配的であり、そこには様々な聖人の伝説、それもしるしや奇跡、天使や悪霊の描写がドラマチックに演出され、それにちなんだオカルト的な儀式や現象が数多く存在していました。それらが神の名のもとに教会の教義や権威に結び付けられて民衆を縛っていました。
中世ヨーロッパにおいて、聖人たちの伝説や奇跡は単なる信仰の対象だけでなく、人々の生活や文化、さらには巡礼地として教会を中心とした経済構造を社会にもたらす巨大なエンターテインメントでもありました。

少しだけ例を挙げますと、イタリアの聖フランチェスコは、1224年、山での祈りの最中にセラフィム(六翼の天使)が現れ、フランチェスコの体にキリストと同じ5箇所の傷(聖痕)が刻まれた。これはカトリック史上、公式に認められた最初の聖痕とされています。

エルサレムで殉教した聖ヤコブの遺体は、天使が操る石の舟に乗せられスペインに流れ着きました。その後、行方不明となっていましたが、9世紀に「星の輝き」に導かれた修道士が森の中で遺体を発見しました。この場所が「星の野(コンポステーラ)」と呼ばれる聖地となり、ここを巡礼路として歩くこと自体が、病の治癒や罪の赦しを得るための「癒し」のプロセスと考えられました。

イギリス最大の聖地、カンタベリー大聖堂の聖トマスは、イギリス国王ヘンリー2世との対立の末、1170年に大聖堂内で暗殺された。彼の死後、墓を訪れた巡礼者たちが、彼の血を薄めたという「トマスの水(Water of St Thomas)」を飲んだり体に塗ったりすることで、失明や麻痺が治ったという報告が相次ぎ巡礼地となりました。

中世の人々にとって、聖書と同じくらい読まれたのが、13世紀にドミニコ会のヤコブス・デ・ウォラギネによって編纂された『黄金伝説』です。ここには、ご紹介したような多くの聖人のエピソードが網羅されており、中世の絵画や彫刻のテーマのほとんどがこの本に基づいています。

どうです?こういう逸話を聞かれると、第一印象として「これやばくね?」と思われるのではないでしょうか?私には日本で語り継がれている神話と変わらないなという印象です。日本の神社仏閣にはこういう伝説・神話がいっぱいあって、人々はご利益を得るためにそこに出向き、偶像に祈りをささげるのです。

中世のカトリックでは、それらが神の名のもとに教会の教義や権威に結び付けられて民衆を縛っていました。啓蒙思想はそのような宗教の教義や権威に対して批判的な態度を持ちました。迷信である教義を盲信することは無知のなせることだ「宗教」を理性と科学に基づく「知識」に置き換えるべきだ、という考えを持ちました。「宗教」を理性と科学に基づく「知識」に置き換えるべきで、迷信である教義を信じることは無知のなせることだという価値観が世界的に主流になってきました。

そうなると教会は「キリスト教は決して非科学的な迷信ではない」と証明する必要に迫られました。そこで、啓蒙に対する防御壁・アンチテーゼとして「奇跡は聖書時代で終焉し現代は起こらない」という、終焉説を完成させたのです。

啓蒙主義以前にも終焉説はありましたが、「神様が止めると決められたから、今はもうないのだ」という「神学的な説明」程度でした。しかし啓蒙主義以降の終焉説は、「理性的に考えて現代に奇跡が起こるはずがない。それは使徒時代の特殊な歴史的環境下で限定的に起こされたのだ」という、「論理的な証明」へと姿を変えました。

この時代に活躍した人物として、「聖書が神の言葉であることは、歴史的・論理的な証拠によって証明可能である」というコモン・センス実学・プリンストン神学を唱えたBBウォーフィールド、また、啓蒙主義の主要な理念である「理性」の源が聖書の神であることを説いたCSルイス(「ナルニア国物語」の著者)などがあります。

啓蒙主義という「理性の光」に対して、終焉説はキリスト教を「知的に説明可能なもの」に鍛え上げました。啓蒙の批判から聖書の権威・キリスト教の教えを護る役割を担い、キリスト教が歴史の遺物として風化することを防ぎました。終焉説は啓蒙主義によって鍛え上げられたキリスト教の教理と言えます。もし終焉説がなかったら、キリスト教は近代の荒波の中で「非科学的だ」と徹底的に叩かれていたかもしれません。その意味で、時代の要求に応え、キリスト教が生き延びる道を作ったとも言えるのではないでしょうか。

しかし、終焉説が作り上げた「教理」は一方で、信徒一人ひとりの「神との生き生きとした交わり」を失わせることになりました。今度は「聖霊体験の回復」を求める大きなうねりが起こります。これが現代の聖霊派のクリスチャングループへとつながる歴史の流れです。

詳しくはお話しできませんが、18世紀のメソジスト運動、19世紀のホーリネス運動、そして20世紀初頭のアズサストリートのリバイバルから全世界に広がった聖霊運動。ここで、現代キリスト教界につながる大きな転換が起こります。アフリカ系アメリカ人のウィリアム・シーモア牧師らの集会で、人々が突然「異言」を話し始めました。この運動は「使徒時代の力は、今ここに戻ってきた!」という熱狂とともに、わずか数十年で全世界へ広がりました。彼らは啓蒙主義が作った「現代に奇跡はない」という論理を、「今ここで起きている事実」によって打ち砕こうとしたのです。
終焉説と継続説の主張の違いをあげるとこんな感じになります

終焉説はキリスト教を「知的に説明可能なもの」に鍛え上げました。時代の荒波から聖書の権威を・キリスト教の教えを護る重要な役割を担いました。しかし、同時に人々から「神を肌で感じる喜び」を奪いかけました。リバイバル運動や聖霊派は、奪われかけた「神との生きた触れ合い」を取り戻すために起きた私たちの内に宿る聖霊による自浄作用だったのかもしれません。

コリント人への手紙 第1 2章16節
「だれが主の心を知り、主に助言するというのですか。」しかし、私たちはキリストの心を持っています。

結局のところ、終焉説が守ろうとした「聖書の真理」と、継続説が求めた「神との生きた体験」は、どちらも欠かすことのできない「信仰の呼吸」のようなものだと言えるでしょう。一方が吸う息(インプット)なら、もう一方は吐く息(アウトプット)のような関係です。