主の使命に生きる2025

最後にダビデの話をもう一度見たいと思います、サムエル記第一の一七章四五節から四八節。

「ダビデはペリシテ人に言った。『おまえは剣と槍と投げ槍を持って私に向かって来るが、私はおまえがそしったイスラエルの先陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かう。今日、主はおまえを私の手に渡される。私はおまえを殺して、おまえの頭を胴体から離し、今日、ペリシテ人の軍勢の屍を、空の鳥、地の獣に与えてやる。すべての国は、イスラエルに神がおられることを知るだろう。ここに集まっているすべての者も剣や槍がなくても、主が救いをもたらすことを知るだろう。この戦いは主の戦いだ。主は、おまえたちを我々の手に渡される。』そのとき、そのペリシテ人はダビデの方に近づき始めた。ダビデはすばやく戦場を走って行き、ペリシテ人に立ち向かった。」

これはダビデが初陣でイスラエルに大勝利をもたらした直前の場面です。ダビデは万軍の主の御名によって立ち向かい、ゴリアテは自分の力だけを誇り向かってきました。対照的にダビデの目的は、ゴリアテを打ち倒すことではなく、全ての国がイスラエルに神がおられることを知ること、つまり主の栄光のためでした。「この戦いは主の戦いだ」と。私たちもそれを忘れず、間違えることなく主の戦いに参加させていただきたいと思います。当時、戦場にいた多くのイスラエル軍の中で、駆け出したのはダビデ一人でした。クリスチャンはこのような存在でなければなりません。主の戦いですが、その使命はクリスチャンに託されています。周りが誰も駆け出さなくても、一人でも強大な敵に立ち向かっていく存在、それがクリスチャンの召された姿です。
今日、それぞれ主の使命のために生きていますが、それは私たちの人生、私たちの働きの成果のためではありません。他の人と比べて使命を果たせているかどうかでもありません。私たちは誰一人、間違いなくこの世を去っていく名もなき者の一人です。誰も歴史に名を刻む者はいません。ただ、永遠に立つ神の言葉に立ち、神の言葉を実行し、神の栄光を現すためだけです。それを皆さん、ぜひもう一度受け取っていただいて、それぞれの使命に生きていけたら本当に素晴らしいと思います。

お祈りさせていただきます。

愛する主よ。心から感謝します。今日もあなたの御言葉に立って、私たち一人ひとりがこの地にあって生かされている意味、そして私たちの使命について考えさせていただけたことを心から感謝します。
み言葉から学んだ通り、私たちは過ぎ去るものですが、私たちが世代を超えて神のみ言葉のために、み言葉を述べ伝え、み言葉を広め、宣言する働きを継承していく中で、神の国が拡大し、この地上に神の国が打ち立てられていきますように。やがて完全な神の国の到来が来るその日まで、主とともにこの戦いを戦い抜くことができますように。そのような大きな使命が私たち一人ひとりに委ねられていることを心から感謝します。子どもであっても、お年を召した方であっても変わりません。ダビデと同じ油注ぎを得た、敵に向かい戦場にかけていく者です。私たちに今一度その主の使命の自覚を与えてくださり、また敵に対して立ち向かう油注ぎを与えてください。特別に、今この教会に新しい賛美の油を与えてください。新しい世代に、子どもたちに、大いなる主の計画を賛美の領域において現してください。
そしてまた、私たちがこの地上に生きる限り、それぞれに主が望んでおられる、それぞれに託された使命がありますから、私たちは命の限りそのために生き続けることができるように、霊、肉、魂の健康を支え、油注ぎを日々新たにしてください。自分ではなく、主を誇る存在であることを忘れず、あなたの戦いをあなたのために戦っていくことができますように。特別、今週一週間、心新たに、霊を新たにし、直面している様々な領域に立ち向かうことができるように新たな力を与えてください。お一人お一人を祝福し、全ての領域に主の勝利と支配があることを宣言して、主の御名によってお祈りいたします。
アーメン。