明言を避け、うまく立ち回った保守的な返答です。現代の政治家とも似ているなと考えさせられます。権力を持つものであればあるほど、言葉には責任が伴います。それがわかっているゆえに、明言できない核心部分に関しては、訳の分からない抽象的な返答に終始します。これは世の常ではないでしょうか。
パウロは最後にこのようにまとめました。
しかし、パウロはこう答えた。「わずかな時間であろうと長い時間であろうと、わたしが神さまに願っているのは、あなたばかりでなく今日わたしの話を聞いておられる方々が、この鎖は別として、みなわたしのようになってくださることです。」
誰が対象であっても、まっすぐに福音を述べ伝え、目的は全ての人が救われること、キリストにあるものへと導かれること、これが私の使命ですと、大胆に権力者の前でも語りました。今の時代、私達を取り囲む権力者はどのようでしょうか?彼らは言葉を守らず、法を犯しても裁かれず、国民を虐げるようなことばかりしてはいないでしょうか?私は、これは政治の話ではなく支配の話だと思います。いつの時代も権力に座す者の背後には悪魔・悪霊の支配があります。それに対し戦う必要が大いにあります。
皆さん権力者の前に出て福音を語るという場面を想定したことはあるでしょうか? そのような備えがあるでしょうか?私達ももしかしたらそういう場面を迎えるかもしれません。
そのような立場に自ら挑もうとしておられる方々もいらっしゃいます。福音宣教、主の戦いの只中で、行動を起こされている方々がいらっしゃいます。
部隊は違うかもしれない、戦いの役割も違うかもしれない。しかし、同じ主を信じるものとして、主の戦いをそれぞれの立場でしていかなければなりません。
それぞれが示された領域で、ぜひ戦い続けて、主から託されている使命を果たし続けていきましょう。主から委ねられていること、主が与えられている恵みが必ずあります。しかしそれをオンにするのはクリスチャンお一人お一人です。マイオカインの話もそうでした。このような体の仕組みは主が備えてくださったものですが、それをオンにしなければ発動されません。オンにしようと行動をとれば、ますます私達に主から与えられる恵みが増し加わっていきます。私達はこれを生涯、命の限りし続けていく、それが主から託されている使命ではないかと思います。
もう一度第二テモテのパウロの宣言をもって終わりにしたいと思います。
「わたしは勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」
このような信仰生活を少しでも目指せるように、お互いに祈っていきたいと思います。
お祈りして終わります。
愛する主よ、感謝します。今、私達一人一人は、決して弱いものではなく、主から召された戦いの勇士であることを心から感謝します。弱い私達にこそ主が目を留められ、お一人お一人を選ばれ、この場所に召されていることをもう一度感謝します。私達はあなたが与えてくださっている恵みを受け取ります。しかし、そこに安住するのではなく、主が拡大しようとしておられる大いなる計画を実行します。主の軍隊として、たとえ一人でも、単騎でも戦い続けることができるように戦いの油注ぎを与えてください。
傷つき、苦しみながらも歩みを進めるその一歩一歩を主が支えてくださっていることを心から感謝します。主が一人一人のその歩みを確かなものとして、ときには「戦う荷物番」としてお一人お一人を祝福してください。もし体の動かない方がいれば、その場所で主の大いなる業をなせるための祈りの勇士として用いてください。力を与え勝利を与えてください。今一度主から与えられている恵みと使命を心から感謝してイエス・キリストの名前によってお祈りいたします。
アーメン