私たちは”今”という時しか見えませんが、神さまのみ業は既に起こっている、成就していると信じて主に期待して進んでいきたいと思います。
マルコの福音書11章22節から24節
22 イエスは弟子たちに答えられた。「神を信じなさい。
23 まことに、あなたがたに言います。この山に向かい、『立ち上がって、海に入れ』と言い、心の中で疑わずに、自分の言ったとおりになると信じる者には、そのとおりになります。
24 ですから、あなたがたに言います。あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
では、次に、”今”という時にしか生きることの出来ない限界のある存在として、神さまのみわざを受け取り続けていくための鍵となることを王室に仕える役人の態度から学んでいきたいと思います。一言で表現すると、それは、「従順」と言えるかと思います。ヨハネの福音書4章の49節で、王室の役人は、イエスさまに対して、なんと呼びかけたかというと、「主よ」と言ったんですね。
この主よという言葉には、キュリオスというギリシャ語が使われています。このキュリオスという言葉は、家の家長・主人という意味、また旧約聖書の神さまご自身を現すヤハウェとかアドナイの訳に当てられています。また当時のローマ皇帝に対しても当てられていた言葉になります。語源としては権力、完全な権力を行使する人、そういった意味があります。この王室に仕える役人ですが、カペナウムから来たので、おそらくその地域の王というとヘロデ・アンテパスではないかということが言われるということですが、いずれにしても、王という存在に対して仕える役人でしたので、権力の中で仕えるということをよく理解していた人物であったと思います。そんなこの王室の役人が、当時、皇帝に対してキュリオスという言葉が使われ、皇帝礼拝がされる時代の中で、その王室に使える役人がイエスさまに対して「主よ」と呼びかけることは、実はとてつもなく大きな告白であります。この王室の役人の立場は危うくなってしまいかねない、大きな迫害を受けるかもしれなかったのです。しかし、そのような状況の中においてもイエスさまを私の「主よ」と告白したわけです。初代教会の信仰は、「イエスは主である」という告白でした。全能なる主、真の王なる主、それがイエスさまだと。権威ある主、私はその権威の中に仕える。主イエスキリストに仕えるものであるという意味を持つ告白であります。そこには、主イエス・キリストに対するこの役人の全幅の従順の告白として見ることができます。その告白の後、王室の役人はイエスさまが語った言葉を信じて帰っていったわけです。カペナウムからカナまでの距離は約40キロあるとをお伝えしましたが、徒歩ならば8時間くらいかかります。この道のりを何時間もかけてトボトボ帰っていたわけですね。皆さんだったらどんな思いでしょうか?私なら、信じて帰ってみたものの、やはりあの奇蹟を行う方に私の息子のとこに来て手を置いて祈ってほしい、何か不思議なことを直接行って欲しいと思い、帰りかけたけど、また戻りたくなるようなそんな思いを持ってしまうと想像します。王室の役人も色々な思いを巡らしたのではないでしょうか。あの方は治ると言ったけど、本当に治るのかな。心配になったり不安になったり、イエスさまの言葉を信じ切ることができないような歩みをしたのではないかと思います。この「イエスが語った言葉を信じて帰って行った。」という箇所の「信じて」のギリシャ語を意味は、信じる、委ねる、また、信仰を持つ、キリストに託すというような意味合いがあます。時制を見ると、過去のある
一点からの動作の開始を表してることが分かります。つまり、その過去の一点の時点から信じるようになった。という意味合いがあるということです。王室の役人の信じる信仰が始まったことを表しています。信じ続けていく歩みが始まっただけで、確かなものにはなっていたわけではありませんでした。私達の信仰の歩みというものを考えても、時々右に逸れたり、左に逸れたり、フラフラするような時があるかと思います。時にには後ろを向いたり、下をうつむいて歩くような時があるかもしれないですね。しかし、王室の役人は、一歩一歩ですが、病気で苦しんでいる息子のところに向かって行きました。イエス様が言われた言葉を握り、信じ続けながら歩み続けていきました。そこには従順の継続というものを見ることができるかと思います。

この地図には、一歩一歩の歩みのように小さな丸い点があります。一点一点の信じる信仰の歩みは、やがて線になっていきます。私達の信仰の一歩一歩の歩みはですね、やがて神さまが用意された。素晴らしい本当に勝利の道、奇跡と出会う道となっていくことを覚えて、私達はただただ神さまに信頼し続けるこの従順を選び続けていきましょう。その時に、私達は、必ず神さまの奇跡を目撃する者となるのです。ただ、時間差があるのみです。
私たちは、諦める必要はないのです。諦めるという行為は、悪魔が一番喜ぶことであり、願っていることです。私達が信仰の歩みを止めてしまえば、たとえ私達が主の奇蹟と出会う道を神さまが用意されていても、そこまでたどり着けなければ、受け取ることができないわけですから。しかし私達は弱い存在でもあることを神さまはご存知で、助けてくださることも忘れないでいましょう。箴言16章の9節
16:9 人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、【主】が人の歩みを確かにされる。
主が必ず助けてくださり、私達の歩みを確かにしてくださいます。また、新約の時代、聖霊さまが共にいて私達を助け、導き、将来の後に起こることも教えてくださいます。主に信頼し続けていきましょう。
その一歩一歩の信じる歩みは、更なる信仰へと導かれていきます。53節の息子が治った時刻だと知った後、王室の役人の家の者たち皆が信じることになりました。ここでも、同じ信じるという言葉が使われています。王室の役人の信仰が、家全体に広まりました。しかし、その信仰は始まりでしかありません。私達の信仰の歩みというものは、一歩一歩を神さまに信頼する、信じるという繰り返しであることを学ばされます。その過程の中で、時に私達は失敗したり、失望したり、後悔もあり、迷う時もあります。また、喜びの時、感謝の時、強くある時もあるでしょう。そんな一歩一歩の歩みが、神さまの栄光の勝利の道へと繋がっていく線となっていきます。神さまとともに歩み続けていきましょう。
最後に、私の長男の話をして終わりにしたいと思います。彼今14歳になりました。彼の2歳の誕生日を過ぎた時、私の妻がこんな話をしてくれました。長男は生まれたとき少し体が弱かったんですね。そしてお医者さんから、実は彼は「2歳まで生きるかわからない。」そんな言葉を生まれて間もない頃に言われたと、話してくれました。妻にとって、すごく衝撃的な言葉であったと思いますが、彼女は、お医者さんの言葉を神さまのみ心ではないと、神さまからの言葉ではない、受け取りませんと宣言したそうですね。そして、このことを息子が2歳を過ぎるまでは私にも話さないと決めたと言うんですね。もしも、私に話をすれば、お医者さんの言葉を受け入れたことになってしまうと考えたそうです。その代わりに、彼のために与えられた神さまからの言葉を宣言し続けたそうです。彼は、もう14歳になり、今も元気に生きています。そして、彼に与えられた神さまからの約束の言葉が、彼の人生に現されていることを、私たち両親は、目撃しています。しかし私達が目撃したのは、2歳を過ぎた時、そして更に時が経ってからになります。大きな時間差がありました。
今日皆さんとともに覚えていきたいと思います。”今”というとき生きることしかできない限界のある私達一人ひとりであります。”今”という時に、死の陰の谷を歩むような危機的な状況に直面し、気落ちし、失望し、悲しみに暮れる、涙に暮れるような、そんな”今”を過ごすような時があるかもしれません。しかし、そのようなときにこそ、私達が全権力を行使することができる王なる主に、「主よ」と告白する時であると思います。また主に信頼する時、主の約束の言葉を握る時、そしてその言葉に従順になる時であると思います。その”今”という瞬間に神さまの言葉が発せられているならば、神さまの奇蹟は始まっておりまた同時に完成しているのです。私たちが奇蹟を目撃するのには時間差があるだけです。ですから、私達は、この信仰の一歩一歩の歩み、主に従順になり続けていきましょう。「信じるようになった」その繰り返しで良いのです。これが主の奇蹟のみ業を受け取る鍵であります。信じるという一点一点の歩みが主の栄光と勝利、奇蹟のみ業に満ちる線、道となっていくことを信じましょう。
2025年、神さまが働きを加速される年と、初めに少しだけ写真で紹介しました。皆さんの中で、私はそんな年ではなかったと思うような方がいたとしたら、それはまだ受け取っていない領域があるだけで、時間差があるだけです。2025年は、神さまが働きを加速され、確実に主のみ業を現し続けてくださった2025年であるということを信じましょう。そして来る2026年、これから起こされる主のみ業に期待して進んでいきたいと思います。神さまの側では、主のみ業は、もうすでに起こっています。私達はただ受け取っていないだけです。ヘブンズファームの種の写真をお見せしました。種が存在していることということは、実が存在しています。その実を収穫するのには時差があります。神さまのみ心の中にある私達には、もう既に完成された主の勝利、奇蹟が存在しています。既に私達は受けたと信じて、この2025年、来たる2026年、主とともに歩み続けていきましょう。一言、お祈りさせていただきます。
ハレルヤ父なる神さまイエスさま聖霊さま、今日こうしてこの王室の役人の子どもの癒しの奇蹟を通して、神さまのみ思いを語ってくださったことを覚えて、感謝します。2025年、神さまが働きを加速されて、私達のうちに、新城教会のうちにみ業を成し続けてくださったことを、新たな約束が成就し続けられたことを覚えて、心から感謝します。全てはあなたのみ業です。あなたの栄光です。主に栄光としてお返しします。そして、来たる2026年も私たちは新たに主に信頼し、信じ続ける歩みを続けさせてください。あなたが私達の足のともしびとなって導いてください。私達は”今”というときにしか生きることしかできませんが、聖霊さまが先に起こることを教え、”今”私達がしなければならないことを教えてくださって、主が与えられた限られた時の中で神さまの使命を全うしていくことができるように助け導いてください。今、困難の中にある方々に、主が語ってください。主が役人の子どもに「あなたの息子に治る」と言われたように。そして、信仰から信仰へと導いてくださいますように。今日こうして聖日を守ることができた主の恵みと祝福を心から感謝します。全ての栄光を主にお返し。期待して、主イエス・キリストのみ名によって父なる神さまに祈りをお捧げいたします。アーメン。