2021年8月9月号

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ザ・メッセージ

 この問いに、私たちは完璧な答えを見つけることはできません。なぜなら、神さまがいるとしても、私たちはその姿をこの目で見、確認することは、残念ながらできないからです。それにもかかわらず、世界には神と呼ばれるものが数えきれないほどたくさんあります。
しかし昨今、宗教を信じる人が減少しているといわれます。私たちの生活は、一見神さまとは縁遠いものとなっているように思われるかもしれません。けれども、人というもの、病や突然の事故・天災など生き死に関わる事態に遭遇したり、進学や就職、結婚など、その後の人生に大きく左右する、勝負のかかった重要な局面を迎えたりするときには、「神さまに頼りたい」という願望が自然に湧いてくるものではないでしょうか。
いつの世でも、人は人の助けを必要とするように、神さまの助けを必要とするものです。このことは、神さまが存在することの一つの証拠です。人は神さまに頼り、神さまの助けを求め、それを受けることが必須な存在なのです。
実は、私たち人間は「神さまに頼りたい」という本能的な要求を持っています。それを満足させるために、人は長い歴史を通じて無数の神々を創作し、現在まで生きているのだと思います。「鰯の頭も信心」という諺があるように、神さまを求める人の数だけ生み出されているかのように感じられます。しかし、果たしてそのような神さまに人を救う力があるのでしょうか?

歴史作家の海音寺潮五郎(1901─77)は73歳のとき、二ヵ月間の入院生活を送った折、古事記を再読し、こんな記事を新聞に寄稿しました。「…神代の巻きでは、やたら神が発生するので驚いた。ひょいひょいといくらでも発生する。そして日本の神々は少しも神らしい霊力を持っていないのが特徴であることに気づいた。【中略】日本のカミは、神という字をあてても、印度の神とも、キリスト教の神とも、本来はまるで違うのである。神という同漢字をあてるので、混同するようになったらしい。こんな神は宗教の対象などになるものではないであろう。嘘だと思うなら、古事記を読んでみることだ。…」
海音寺の言葉を借りれば「信じるには値しない」ような存在であっても、信じる者にとってはありがたい存在ともなるもので、日本ではこのような神々に毎年数千万人が初詣に出向き一年の無事を祈るのです。そこには人の無垢な信心が確かにあるのですが、それを向ける対象が的を得ていないのす。

この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。
─使徒の働き17章24・25節─

世の中にある「神さま」と呼ばれているもののほとんどは、神さまを欲する人間の欲求が創り出した空想の神=『偶像』であって、そこには本当の救いはありません。本当の救いは、「人間が作った神さま」によらず、「人間を創られた神さま」によって与えられるものです。あなたを創られいのちを与えられた、ただおひとりの真の神さまがおられますよと、永遠のベストセラー「聖書」は語っています。

神さまを知るためにあなたも声を出して祈ってみてください。

私を創られた天のお父さま。あなたを知り、信じて、あなたと一緒に人生を歩むことができますように。イエス・キリストのお名前によりお祈りいたします。 ─アーメン─


僕のお父さんは牧師で、
生まれたときから
教会の中で育ちました。

幼少期から教会の音楽がある環境で育ち、父は元々ベーシストだったとういう事もあり、僕も8歳の時にベースを習い始めました。そして小学生の頃から教会の礼拝やイベントなどでベースを弾かせてもらっていました。中学の時に、世界的な舞台で活躍するミュージシャンが教会に来て、彼らの演奏を聴く機会があり本物のブラックミュージックに触れました。その時の衝撃は今でも忘れられず、感動して涙したのを覚えています。その時からベースへの情熱がものすごく大きくなりました。小学・中学の文集にも将来の夢でベーシストと書いていて、それが実現できているっていうのは本当に幸せだなと思います。音楽学校卒業後上京し、数年間は大した仕事もなくバイト生活しながら、音楽関係の場所に顔を出したり、小さいライブハウスで演奏したりしていました。いわゆる下積み生活ってやつです(笑)。
26歳の時にMayJ.さんの全国ツアーで演奏させていただく機会があり、それから徐々にメジャーアーティストの仕事をいただけるようになり、EXILE TAKAHIROさん、ナオトインティライミさん、EXO-CBX、星野源さんなど、有名なアーティストさんのレコーディング、ツアー、ライブ、テレビなどの仕事をさせていただいています。仕事を通していろいろな方との出会いがあり、その中で、人はそれぞれ一様ではなく、神さまが与えてくれたタレント(性格・才能)を見極め、それをしっかりと磨き伸ばすことが大切だということを教えられました。そのことに気づかされて、自分に自信を持つこと、同時に人の個性を認め、尊敬し、人に対して優しさを持つことの大切さを教えられました。

2020年になり、コロナでエンタメ業界全体が揺るがされることになりました。この年は5つのツアーが決まっていたのですが全てキャンセルになりました。ところが、たまたまパンデミックの少し前にライブ配信アプリを軽い気持ちでやってみたのですが、思った以上の反応がありました。そこからアイデアを得て、仕事がなくなった折に配信ライブに切り替えて取り組んだところ多くの反響をいただきました。そこで、ピンチをチャンスにして、ミュージシャン仲間を大勢巻き込んで、ライブ配信の音楽事務所を立ち上げ、僕が代表を務めさせていただいて、仲間たちと一緒に苦境を乗り越えることができました。今思っても本当に神さまの助けだったと思い感謝しています。

僕のおじいちゃん、おばあちゃん(注:新城教会の開拓者、故滝元明・清子牧師夫妻)から両親を経て受け継がれていると感じるのは、聖書のみことばが僕を支えて道を照らしてくれているということです。聖書に「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。」とありますが、孫から見ておじいちゃん、おばあちゃんはこのことばを絵にかいたような人でした。僕も仕事に対して常に喜び感謝の気持ちを持ち、またライブの前には祈るようにしています。
「人を自分よりも優れたものと思いなさい」この聖書のことばは僕にとって仕事をする上でのモットーとなっていて、いつも謙虚でいることができるようにと願っていますが、これもおじいちゃんが繰り返し語っていたことばです。
そして、おじいちゃんが僕の聖書の1ページ目に書いたことばは「忍耐」です。逆境の時、辛いことがあったときに、このことばが支えになっていました。このようなシンプルなことばは、多分世の中で生きるすべてのことに通じるのではないかと思うのですが、僕が物心ついた時から教会の中で繰り返し語られて心に刷り込まれていました。

教会という素晴らしい環境で育ち、おじいちゃん、おばあちゃん、家族や教会の方々に愛されて育ったお陰で、今心から自分の人生は最高で幸せだって胸を張って言えます。全てに感謝です。


Heaven’s Icecream & Coffee


主日礼拝・水曜主日礼拝・木曜賛美集会

しおんちゃん

 

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