2022年クリスマス号

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ザ・メッセージ

 私が初めて教会を訪れたのは、小学校3年生のときでした。子どもの頃に抱いた教会の印象は、明るい場所であり、まるで光の中にいるような感覚でした。また、教会のお一人おひとりがとても輝いていて喜びに満たされているように見えたのを覚えています。その光に導かれ、私は洗礼を受けクリスチャンとなり、今年で21年となります。

2022年もまもなく終わろうとしていますが、皆さまにとってどんな年であったでしょうか? 国々・民族との争い、新型コロナウイルスなど暗い時代のトンネルから抜け出すのにはまだまだ時間がかかりそうです。

ここに一つの図があります。あなたには、何が見えるでしょうか?三角形でしょうか? 星形でしょうか? 線はないのに、まるでそこに存在しているかのようにある図形が見えてきますね。視覚の錯覚により、このようなことが起こっているわけです。

古代の哲学者・神学者アウグスティヌスは、人間の時間意識を「過去は現在の記憶、 現在は現在の直覚、未来は現在の期待」と表現しました。人は、過去も未来も今という現在に集約し捉えることしかできない者であると説いています。未来に対して良いものを期待できるならば良いですが、まだ見ぬ未来に対して、この図形を見て錯覚するように、無いものをまるで在るかのように、まだ起こってもいないことをもうすでに起こっているかのように感じ、不安や恐れ、心配を抱いてしてしまうのが私たち人間ではないでしょうか?
程度の差はあるかもしれませんが、私たちの不安や恐れ、心配という感情は決して絶えることがなく、いつの時代においても、どの社会においても、どの世代においても、私たちは様々な出口の見えない暗闇を繰り返し経験し続けているのが現実ではないでしょうか?

そのような闇に覆われた地上に一筋の希望の光をもたらした方が、イエス・キリストです。

「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。」(Ⅰヨハネの手紙 1章5節)
「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネの福音書 1章4~5節)

暗いところのない光なる神さまは、天地万物を造られた創造主であり、すべてのものにいのちを与えられる方です。その光は、決して闇に屈することのない圧倒的な勝利を有しています。
暗闇の只中で自分の力では、その暗いトンネルから抜け出すことのできない人類のために、神さま自らが人として、神として闇を切り裂きこの地上に来てくださった方がイエス・キリストです。イエス・キリストは、すべての人々の罪の身代わりとなり十字架において自らいのちを捨て、死の闇を打ち破り、よみがえられ、救いのわざを完成されました。誰でも、そのイエス・キリストを真の神として自ら受け入れ信じ告白し、罪を悔い改めるならば、闇から解放され救われる、闇から光へと移されるという一筋の希望を与えてくださいました。暗闇に対して勝利する道を備えてくださったのです。そのイエス・キリストをほめたたえることがクリスマスをお祝いする理由です。
現代、闇が濃くなっていくような時代ですが、イエス・キリストは一人でも多くの方々が真の神さまを知り救われることを願い、この地上の闇を完全に滅ぼされる日まで、救いの機会を人類に与えておられる期間が今なのです。

見えない神など信じることができないという方もおられると思います。雨上がりの特別な日、大空にかかる美しい七色に輝く虹を見て感動することがあります。なぜ虹が見えるかというと、太陽の光が空気中の水滴を通して光が分解されて放たれ、光が持っている美しい七色を私たちが見ることができるということです。私たちは、いつもその美しい光を見てはいるのですが、普段はその全てを見極めることができていないのです。

神さまが与えてくださっている心躍る特別なクリスマスの季節、救いの期間である今、ぜひ、教会へお越しください。七色の美しい虹を見ることができるように、光なる神さまが持っておられる全ての素晴らしさと出会い、闇から光へと移され勝利と希望を受け取るときとなることをお祈り致します。

皆さまお一人おひとりに、神さまからの希望の光が差し込まれますように。


体験

  中学3年生の5月、修学旅行先の宿舎で、クラスメートになったばかりの友だちから、初めてイエスさまの話を聞きました。それから、まわりの友人たちに、教会に通う子たちがいて、何人かはクリスチャンになる子もいました。でも、その時私はイエスさまに心が向かず、どちらかと言えば「丸め込もうとしたって、そうはいかないよ」という冷めた目で見ていました。
それでも、クリスチャンの同級生たちと過ごすうちに、彼らに心惹かれるものがあって、誘われるまま何度か教会に行くようになり、話を聞くうちに自分が少しずつ、神さまの方に向けられ、私もイエスさまの救いを必要としているのではないかと心が変化していくのに気づきました。

高校生になって、クリスチャンの友人たちとはそれぞれ別々の学校に行くようになりましたが、教会を中心とした友人たちとの触れ合いは継続されました。中でも、最初に話してくれた友人のご両親は、私が住んでいた安城市から新城教会まで、毎週ワゴン車を出して友人たちを乗せてくださり、途中のパーキングでおやつや天ぷらそばをごちそうしてくれたりして、いつもみんなの面倒をみてくれました。その包容力に心惹かれ、それが神さまから受けた愛ゆえの行為であることを知りました。そんなわけで、教会に行くことはとても楽しく有意義なものでした。そして、高校を卒業し社会に出た1989年4月9日、「これから先は自分の意思でイエスさまを信じて生きる」と、自分自身にけじめをつけるような心持で洗礼を受け、クリスチャンとしての第一歩を踏み出すことができました。

同時に就職して社会人となりました。同僚や目上の人から悪い遊びや飲酒喫煙の誘いを受けたりすることがあったのですが、「クリスチャンだから」ときっぱり断りました。またある時、仕事の技能試験がありました。検定会場には神棚が設置してあって、教官から参拝を強要されました。「イエスさまを神さまとして信じているので、他の神さまに参拝することはできません」とはっきり断ると、そのとき教官には叱られましたが自分の信仰を貫くことができました。会社の仕事も神さまによって祝福され、今までずっと同じ会社で楽しく勤めることができて、嬉しく思っています。

結婚してからは岡崎市に住むようになりましたが、変わることなく家族で毎週新城教会まで通い、神さまとの良い関係を持ち続けています。運転が好きなので、車で片道一時間の道のりも苦になったことはなく、それも嬉しいことです。

信仰を持ってから今年で33年間、あの時の決断から今まで一度も横道に逸れることなく、クリスチャンとしての人生を歩んでくることができたのは、神さまの祝福以外にないと考えています。3人の子どもが与えられましたが、家族みんな同じ信仰を持ってくれていて、一緒に教会に行くことができることに、喜びを感じています。


Xmas Concert & Special Dinner

12.18sun
5:30pm~/食事スタート

7:00pm~/コンサート開演

◎出演
ジョン・フルカー/ティム・ケプラー
◎ゴスペルメッセージ
平岡修治
◎入場無料※食事は有料となります

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あなたに特別なディナーとコンサートをお楽しみいただくためのクリスマス・スペシャルイベント! ディナーではクリスマス料理各種を¥500でご提供します。そしてロサンゼルスよりゴスペルシンガーをお迎えし入場無料でコンサートをお届けします。さあ、本物のクリスマスをご一緒にお祝いしましょう!


しおんちゃん

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