ザ・メッセージ
ある公園を家内と一緒に散歩していた時のことでした。一羽のカラスがけたたましい鳴き声をあげて、空の高いところから攻撃するトンビに向かって懸命に応戦していました。普段はカラスが群れてトンビに対して
攻撃する姿はときどき目にすることがあるのですが、この時は反対の態勢にありました。どんな獲物の争奪戦をしているのかとよく見ると、何と、地上には別の一羽のカラスが翼に怪我を負って、翼をだらりとさせたまま、必死に走って逃げ回っていました。思わず私も家内も、応戦するカラスと逃げ回るカラスに向かって「がんばれ!」と、そして、攻撃するトンビには「あっちに行け!」と叫びました。すると傷を負ったカラスは、やっとのことで大きな木の繁みの中に身を隠すことができました。トンビは諦めて空高く飛び去って行きました。普段は何かと嫌われもののカラスですが、助かって、なんだかとってもほっとしました。その時、一つの聖書の言葉を思い出しました。
『主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。』
詩篇91篇3節、4節
カラスが逃げ込んだ大きな木は、神さまが大きく広げた翼のような存在に感じました。
今、私たち人類は、日々、目に見えない敵からの攻撃にさらされ、ある意味、逃げ惑うような毎日を過ごしています。ある方にとっては翼に傷を負うというよりも、翼をもぎ取られてしまったような心境にあるかもしれません。対岸の火事が、身近の危機に迫り、今や個人の生計にも直接打撃を与えています。今まで当たり前だった生活スタイルは変えられ、さらには世界のシステムまで大きく進路変更を余儀なくされようとしています。これがいつまで続くのか、これからどこに行けば良いのか、誰にもわかりません。しかし、全世界で唯一の神であり、救い主であるイエス・キリストは、私たちを、敵の仕掛けたわなや、恐ろしい疫病から救い出してくださるというのです。私たちがその翼の下に身を避ける時に、私たちは救われるのです。そして、どんなに時代が移り変わっても心には平安が訪れます。また、他の聖書箇所には「その翼には、癒しがある。」とあります。いつまでも終わりを見せない戦いに疲れを覚え、傷を負っておられるかもしれません。そんな方にイエス・キリストは癒しをお与えくださいます。ぜひ、あなたも以下のようにお祈りしてみてください。
「天の父なる神さま、私を、私の家族を、私の会社・学校を、私の町をお守りください。神さまの守りの翼を、私と私に関わる全ての領域に広げてください。そして私の傷を癒してください。イエスさまのお名前によってお祈りします。アーメン。」
教会では、毎日皆さまの祝福と守りをお祈りさせていただいております。
私は小さなころから子どもが好きでした。中学生の時、知り合いの紹介で地元の乳児院を見学に行く機会がありました。そこで暮らしている子どもたちと遊んだりしながら、自分で生きていくすべを知らない幼い子どもが、さまざまな事情で乳児院に預けられていることに愕然としました。それから、自分も社会の一員として、子どもたちの将来を少しでも明るいものにするための手助けができればと、思うようになりました。その志を抱きながら大学で保育士の資格を取り、在学中に実習に出向いた乳児院に就職し、現在まで働かせていただいています。
私の職場では、0〜4歳ころまでの子どもたち4〜5名を1ユニットとして、5名の保育士が交替で、食事や入浴など育児のお世話をしながら、生活を共にしています。全部で4ユニットあり、定員15名の子どもを25名のスタッフで担当しています。宿直の時には全ての子どもを寝かしつけた後、スタッフ2名が朝まで担当するのですが、ひとりが夜泣きすると、つられてみんなが泣きだしたりして大変な時もあります。でも、子どもたちの成長に大きく影響する大切な時期を預かる重要な仕事だと思って、ひとりひとりの子どもに対し真剣に取り組んでいます。難しい問題をもった子どもがほとんどで、神様の助けをいただかなければできないと思い知らされ、日々お祈りしながら働いています。
ある日、入所してきた子どもは、私の担当するユニットの子ではなかったので、直接関わることはあまりなかったのですが、発疹がひどく、ブツブツの肌荒れがほぼ全身にでている状態でした。担当のスタッフが保湿クリームを塗ったりして一生懸命対応していたのですが、効果が見られず「かわいそうだねー、なかなか良くならない…。」とみんなで話していました。
ある日、私が宿直当番で、一晩その子のお世話をしました。夜中にミルクを飲ませる時に、私はその子を抱きながらずっとお祈りしました。「〇〇ちゃんの肌よ。細胞よ。主イエスさまをほめたたえよ。喜び賛美しなさい。」と。すると、不思議なことに翌日から湿疹が治り始め、二日後には見違えるほど綺麗な肌になってくれて、本当に嬉しくなりました。そして、いつも祈りを聞いて助けてくださる神様に心から感謝しました。
またある子どもは、施設に入ったときから医師より、身体・知的障害のため、歩行はできない、視力はつかない、と言われていました。子どもの動作を見ていても、それは明らかなようでした。しばらく経って、その子を私のユニットで担当することになったので、お世話をしながら成長のためにお祈りしました。すると、その子どもは一緒に過ごした2年の間に、立ち上がることができるようになり、目で確認してものをつかみ、自分でスプーンを使いご飯を口に運べるようになりました。そのような成長を見られること
が私にとっては何よりも嬉しく、励みになっています。
このような乳児院の置かれている現状は、全体として整ってはおらず、困難な境遇の子どもたちに必要な愛情と保護を十分提供できているとは言えませんが、社会に連鎖する困難や不幸が少しでも取り除かれ、子どもたちの今と将来が明るくなることを願い、まことの神様に祈りながら働いていきたいです。