尼崎で集会を開催した日、私たちが属していた教団から一通の手紙が届きました。「霊的戦いを止めないのなら、教団から出て行ってください。」という絶縁状でした。そして「次のような条件を守らない限り、誰も、このグループにとどまることはできない。」という厳しい、条件が付されていました。それを読んで全員、心が重く、暗くなりました。そこには、著名な先生方が集まっておられましたから、その書類を見せて、「どう思われますか」と尋ねたら、「これは悪魔の挑戦だ。どんな問題が起こっても、迫害されても、リバイバルのために戦うべきだ!」いう意見でした。それで、「心を決めて戦っていこう。」と決意しました。
その後、集会が始まりました。メインの講師は韓国から申賢均という先生が来られ、リバイバルメッセージを語りました。すると、体の大きな不気味な男が会場に入って来ました。そして、私の目の前に座りました。
私はその日、賛美リードをしていました。すると、その男が、私の目の前で、気持ち悪い長い舌をべろっと出しました。エクソシストという映画見たことありますか?それと同じです。突然、男の目の玉が、両目とも、くるりと白目に変わって、舌べろを出して私を睨むのです。ぞっとしました。これは絶対に悪霊の挑戦だと思いました。
申先生がメッセージの中で、どのような流れで話されたのかは忘れましたが、「もしもこれが嘘だったら、百万円あげてもいい」みたいな、話をされました。
メッセージが終わると、その男が進み出て、「おいおまえ、嘘だったら百万円くれると言ったよな。」と言いがかりをつけて、「百万円よこせ!」と脅迫し始めました。
そしてそこにいた、日本の有名な先生方はほとんど、一つの部屋に押し込まれ、監禁されてしまいました。
その夜、彼は紙袋を持ち歩いていました。当時、紙袋の中に出刃包丁を隠し持って人を刺す、という事件がいくつも起きていて、紙袋を持った男は危ないと思われていた時期でした。
彼がこう言うのです。「この紙袋の中に何が入っているのか分かるだろうな。」みんな包丁が入っていると思いました。すでに亡くなられた田中政男先生は、当時甲子園ミッションの代表的な存在でしたが、その時に、男にほっぺたをたたかれて、「おまえ、俺が怖いだろう。」と凄まれていました。「怖くないわ・・。」と言っていましたけれど、多分怖かっただろうと思います。事件に発展するかもしれない、という感じでした。
すぐに警察に通報してくれれば良かったのですが、監禁されていて通報できません。これからどうなるんだろうか・・。私はその部屋の端っこにいて、大きな不安と恐れに押しつぶされそうでした。私はおもわず床にひれ伏して、「主よ、助けてください!この状況、なんとかしてください!」と、心の底から小さな声で祈りました。
そして持っていた自分の聖書をはたと開いたら、一つのみことばが光り輝いて私の目に入ってきました。そのみことばが何かと言うと、イザヤ書三十五章三節、四節でした。
「弱った手を強め、よろめく膝をしっかりさせよ。・・・恐れるな。強くあれ。」
このみことばが、突然、目の中に飛び込んできました。
みことばって、不思議です。コンテキストから位置付けられるみことばもありますけれど、みことばとは神の言葉です。時には、前後に関係なく、単体で動く時があるのです。その時は、一つのみことばが、私に飛び込んできたのです。これからどうなってしまうのか・・、という危機的状況の中で、膝はガクガクしていたけれど、そのみ言葉を受け取ったら、勇気が沸いてきました。
すると、「やつが持っている紙袋の中身を点検しろ」という思いが、ふっと来ました。それで、その男が他の先生につっかかっている間に、ちょっとずつ近づいて、紙袋の中を覗きました。
何が入っていたと思いますか?包丁じゃなかったのです。その中には聖書が一冊入っていただけでした。みことばの剣と言えば剣ですけどね。
男は紙袋に聖書を入れて、さも出刃包丁が入っているかのように見せかけて、私たちを脅迫していたのです。
それで私は叫びました。「こいつの袋の中、聖書しか入ってないぞ!」
すると男は驚いて、その部屋から走って逃げ出しました。
私はここで男を逃がしたら、一大事だと思って、今まで膝がガクガクして、おしっこをちびりそうだったのが、勇気百倍、一人、男を追いかけて行きました。男は建物から外に出て、歩道に出ました。私は全力で男を追いかけました。すると後ろから、田中先生が、「順、やめろーー!!!」と叫びました。私の後ろから、「やめろ、やめろ、やめろ…」という声がこだまのように響いていました。一瞬、スローモーションのような感覚になりました。
気がつくと、私は男の背後から飛びかかっていました。いままで山のような大男に感じていたのが、風船の空気が抜けるように、しゅーーっと男から抜けて、小さな男が歩道に一人倒れていました。私は馬乗りになって、その男を押さえていました。
しばらくすると警察がやってきました。誰かが通報したのでしょう。初め、馬乗りになっている私が犯人だと勘違いされたのですが、男は逮捕されました。以来、妨害はなくなりました。
甲子園ミッションは、本当に大きな霊的戦いでした。悪魔は人を使い、指導者たちを使い、国をも使って主の民に挑戦して来ます。
しかし悪魔に勇敢に立ち向かう時、主が助けを与えてくださるのです。
イザヤ書三十五章の最後には何と書かれているのでしょうか。
『主に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンに入り、その頭にはとこしえの喜びをいただく。楽しみと喜びがついて来て、悲しみと嘆きは逃げ去る。』
ここに主の民の、完全な勝利が描かれています。今の世界は、悪魔の王国のように見えます。しかし、やがて主が完全な勝利を取ってくださる日が来ます。それはイエスさまが再臨される日です。
その日、被造物全体が解放され、主の民は喜びながらシオンに入るのです。
新城教会は今年で創立七十二年目に入ります。ここまで主が支えてくださったことを、心から感謝しています。七十二年間に失われたものも多くありますが、主はそれを回復してくださり、再建し、それだけでなく、敵に復讐してくださるのです。
皆さんにとっても、私にとっても、悪魔によって人生を破壊されたり、苦しめられているところが多くあると思われます。
しかし主は、それを取り戻し、私たちに危害を加えた敵に復讐してくださるのです。今年はそれを期待しましょう。
昨日、新年の礼拝がありましたが、そこで子どもたちが賛美してくれました。大変感動しました。彼らだけでバンドを組んで演奏してくれたのと、もう一曲は、現代っ子にはなじみのない子ども賛美歌、「主我を愛す」を歌いました。この口語体の歌詞を現代っ子に理解せよと言っても難しそうです。しかし彼らは全て覚えて歌ってくれました。
子どもたちのを賛美は、敵に対する復讐を含んでいます。
詩篇八篇、
『私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。あなたのご威光は天でたたえられています。あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。』
昨日も少し触れたのですが、1992年、子どもたちを連れてある場所にとりなしの祈りに行きました。ある所で、子どもたちが何かわいわいと話しているのです。「あそこにいるじゃないか。あそこにいる。」「何がいるの?」と聞くと、「悪霊がいる!」と言うのです。「見えないの?」と、私に言いました。子どもたちの霊の目が開かれました。彼らが戦って祈ったら、「あっ、倒れた!消えた!」なんて言うわけです。
その頃、私の娘は小学生でした。ある日、娘を連れてとりなしの祈りに行きました。それは、おどろおどろした霊能者たちが集まる、気持ちの悪い場所でした。主がそこに霊的戦いに行け、と示されたので行きました。娘と伊藤義也さんと一緒に行きました。
でもその拠点の名前は分かっていても、所在地は分かりませんでした。今のようにネットがあるわけではないので、調べるのが難しかったのです。
それで「どう行ったらいいのですか。」と主に祈りました。
すると、交差点ごとに、主が、「右、左、まっすぐ、右・・。」と娘に語られて、三十分くらい走り続けました。
最後に、祈りの中で、目の前に信号が現れて、青が点滅したと言うのです。そうしたら、そこが目的地でした。私はびっくりして、「主は生きておられる。子どもたちの霊の目を開かれた!」と分かり、主を崇めました。
しかし属していた団体のボスが、「子どもたちを霊的戦いに使うな!」と止めました。しかし考えてみれば、罪に汚れた大人よりも、罪に染まっていない子どもたちのほうが、神さまは使いやすはずです。今年、この教会の子どもたちのために、是非、祈っていただきたいと思います。
敵に対する復讐が、「幼子と乳飲み子の口によってなされる」からです。詩篇八篇を、イエスさまは宮きよめの時に引用されました。
マタイの福音書の二十一章、
『幼子たち、乳飲み子たちの口を通して、あなたは誉れを打ち立てられました。』
子どもたちの賛美によって復讐が来るのです。今年は子どもたちの賛美が祝福されるように祈ってください。
また、イエスさまは弟子たちのことを「幼子」と呼ばれました。神さまから見たら私たちは幼子です。私たちが心の底から主を賛美する時に、敵に復讐がなされます。
この詩篇八篇は、「人とは何者か」の理由が示されています。それは、「被造物の管理人」であると教えています。これはイザヤ書三十四章と共通する概念です。我々クリスチャンが、被造物の管理人である事を理解して、神の復讐を祈る時、主が帰ってこられる道が用意されるのです。
一昨日は、二〇二二年に対するメッセージが語られましたけれど、来週ぐらいには、渡せると思うのですが、是非、読んでみてください。
今日はダイジェストで、百文字から二百文字くらいでエッセンスをまとめてもらったので、それをつなぎ、預言的メッセージのように、神さまという部分を「わたし」と一人称に変えて、八人分の文章をつないでみました。
私が読むよりも、新城教会のアナウンサーがいます。朗読がうまいです。梶村文平君です。彼に読んでいただきます。
<2022年新城教会に与えられた預言的なメッセージ>
昨年、わたしは一人ひとりに「布陣を敷け」と号令を発しました。その結果、あなた方は大きな勝利を体験しました。今年も、わたしに従って戦いに臨むとき、さらに大きな勝利を体験することでしょう。その勝利は大きく拡大し、敵にとどめを刺す年となります。
もう一度言います。布陣を敷きなさい!
そして2022年、あらゆる領域の垣を越える年となります。なぜなら、わたしが根株から若枝を出させ、実を結ばせるからです。その働きは早く走るカモシカのように加速します。あなたは、ただ、主の手に握られた「道具」として戦うのです。
あなたがわたしを信頼し、わたしに身を避けるならば、必ず、あなたを守ります。わたしに身を避けるとは、一見、弱い存在のように思えるかもしれません。しかし避けどころとは、霊的軍事施設、「とりで」であることを忘れてはなりません。あなたがみ言葉の剣を握り、祈りの使命を果たすとき、万軍の主であるわたしによって、信じられない大勝利を受け取るでしょう。
また、今年は満ち足りる年となります。去年までの部分的な勝利や祝福ではなく、「完全な勝利と祝福の年」となります。神は試練を通過したヨブのように、長く、祝福に満ちた人生をあなたに与えます。それはあなたがこれからの人生を楽しむためです。そのために、さらにわたしを慕い求めなさい。
あなたは今まで巨大で強固な城壁を眺め、途方に暮れていました。しかしわたしは、あなたにどんなに高い城壁でもよじ登り、強力な軍隊を襲う為の力を与えました。解決できなかった問題、病、出来事に対して、圧倒的な勝利を与えます。
わたしの道は完全で純粋、盾です。あなたの足を野やぎのようにし、絶壁の上にも立つことができるようにします。戦いのためにさらに鍛え、鉄の弓さえ引く力を与えます。そして、霊的戦いがこの年、大きく前進します。