王なるイエスさまに向かって一心に

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスさまから目を離さないでいなさい」とあるように、天地万物を造られた、自然法則を超越される、このイエスさまに目を向けて、人には不可能であることを可能にしてくださる全能の王であるイエスさまを、信仰をもって見続けていきたいと思います。

そして最後の場面ですが、『そして二人が船に乗り込むと風は止んだ。船の中にいた弟子たちは、真にあなたは神の子ですと言って、イエスを礼拝した。』とあります。
ペテロ以外の水の上を歩く奇蹟を体験しなかった弟子たちも、「まことにあなたは神の子です」と信仰告白をしました。マタイの福音書八章においても、このような嵐を鎮めるイエスさまの奇蹟があるのですが、そのときには、「風や湖までが言うことを聞くとは、一体この方はどういう方なのだろうか」と言っていただけでした。
しかし、五つのパンと二匹の魚、そして湖の上を歩くという、この立て続けにこの奇蹟を体験した弟子たちは、「まことにあなたは神の子です。」イエスさまを神の子、メシア、この天地万物を創られた、全能なる主、王の王であると信仰告白したわけです。
「まことに」という言葉が、これまでもそのように思ってはきたけれども、この経験を通して確信させられた、そんな気持ちが込められている言葉だということです。ここに弟子たちの信仰の成長を見ることができます。

また、イエスさまが政治的な王として来たのではないと、間違った捉え方をしないように弟子たちを舟に乗り込ませたイエスさまの意図は達成されたことことも見ることができます。
また、このマタイの福音書十六章では、ピリポ・カイサリアで、「あなたは生ける神のみ子キリストです」とペテロが信仰告白をすることにつながっていき、イエスさまが「この教会をこの地に建てる」と語られ、教会の土台が築かれるような出来事につながっていくという流れを見ることができます。
私たち一人ひとりの信仰の歩みが、教会を建てあげるために大切であると受け取ることができます。

そして、もう一つは、私が神さまからいただいた思いであると信じていることがあります。ペテロとイエスさまが舟に乗り込まれて、風が止み波が凪になり全き平和が訪れ、弟子たちがイエスさまを礼拝したのですが、その出来事とイエスさまがこの地上に来られて、全き平和、神のみ国が到来することが重なったのです。み国が到来し、全き平和の中でイエスさまの面前で皆で礼拝をささげるのです。

他の弟子たちもイエスさまを礼拝するようになったということですが、イエスさまがこの地上に来られたときには、信仰を持って歩んだ私たちだけではなく、他の、イエスさまを知らない方々も、イエスさまを礼拝する者につけ加えられていくこと。私たち一人ひとりの信仰の歩みが、ただイエスさまと楽しく歩むということだけではなく、イエスさまが帰られ神のみ国が到来する壮大なご計画へとつながっているということを、強く覚えさせられました。

このように、この地に平和が来て、そして皆でイエスさまを礼拝するということが、最近行われたモンゴル・韓国・日本合同リバイバル聖会の出来事が、まさにそのような時であったと思います。
モンゴル人も韓国人も日本人もなく、国を越え、言葉を越え、民族を超え、世代を越え、一つとなって、神の全き平和の中で礼拝がささげられました。この恵みはどこから始まったかというと、聖会前日、春川の四十六名の方々がチケットがうまく取れず来日出来るか分からなかった、という大嵐から始まったのです。
そのような大嵐の中でも、春川の先生方、兄弟姉妹たちは空港で一晩過ごしながら「絶対に日本へ行く。み心ならば道が開かれる」と信じて祈り続けました。そして、奇蹟的にチケットが与えられたのです。ただし、そのチケットは通常よりもかなり高額でした。「どうしようか?」と悩む状況の中で、リーダーであったイー・ビョンチョル先生が、春川の六名の牧師先生たちを集めて、「それでも行きますか?」と尋ねました。すると、即答で皆さん、「行く!」と言ったのです。
揺るがない、「イエスさまのもとに行く、県民の森に行く」というイエスさまを一心に見つめる信仰の歩みが、今回、この聖会の恵みを受け取るための一端の歩みであったと教えられます。

リバイバルミッションニュースプラスに春川の先生の一つの証しがありました。”日本に行くことができるかわからない状況の中で、みんなで祈っていた時に一つの思いが与えられたということです。「紅海が分かれたから前進したのではなく、イスラエルの民が前進したとき、紅海が分かれた。」”
イスラエルの民は、道があったから進み続けたのではないのです。道はなかったのですが、歩み続ける中で、神さまによって道が開かれました。紅海が分けられました。

私たちの信仰の歩みも、このような素晴らしい神さまご自身のみ国の到来へとつながっていることを覚えて、歩み続けていきたいと思います。
もちろん、春川の方々だけでなく、ソウルのチームやムンフ先生をはじめとするモンゴルの先生方、またリバイバルミッションの先生方、スタッフの方々、通訳の方々、全国から集われた兄弟姉妹、また一度も集会に出ることができなかった食事の接待や奉仕をしてくださったお一人お一人、また都合で参加することができなかったお一人お一人、そして祈りで支えてくださったお一人お一人の、イエスさまを見つめる信仰の歩みが、このような素晴らしい神さまご自身のみわざ、み国の到来の一端を担うわざに連なったということを覚えさせられています。

最後に、預言的メッセージの中で、私の部分をまとめさせていただいたものを読んで、メッセージと代えさせていただきます。

二〇二五年、あなたがたの立ち位置を点検しなさい。み声を聞いたならば、主が共におられない領域から勇気を持って踏み出しなさい。そして、主であるわたしと共に歩み続けるために、万物の創造者・支配者である王なるわたしに純粋に一心に目を止め続けなさい。その中で与えられた信仰を更に育み続けなさい。あなたがたの信仰の戦いは、激しい風が吹きつけてくる終わりの時代の只中にあるのだから。しかし、私は全き平和をもたらすために必ずあなたのもとに帰ってくる。「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」

それでは、一言お祈りさせていただきます。

ハレルヤ、父なる神さま、イエスさま、聖霊さま。今日は、マタイの福音書十四章を通して、イエスさまが私たちに語ってくださったことを覚え、感謝します。二〇二五年、あなたが私たちに持っておられるご計画、また私たちに求めておられること、さまざまなことを、この礼拝の中でお分かちさせていただきました。
聖霊さまがさらに私たち一人ひとりに語ってくださり、信仰の歩みをし続けることができるように助けてください。王なるイエスさまに向かって、純粋に、一つの心で、あなたを見続けてイエスさまとの歩みを歩み続けていくことができるように助け導いてください。
今、恐れを抱いている方々がおられるならば、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と、あなたが語ってくださり、励ましを与え、勇気を与えてくださいますようにお願いいたします。
今日の恵みのときを心から感謝いたします。主の素晴らしい道が、私たちがまだ見たことのない道が、今週、またこの年も備えられていることを信じ、宣言して、イエスさまのお名前によって、父なる神さまに祈りをお捧げいたします。アーメン。