またもう一つの出来事を『私の愛する日本のために』という明牧師の書籍の中にあるのですが、新城教会の兄弟姉妹のことが書かれています。今は亡くなられている方々ですが
三国宇吉さんと冨美子さんご夫妻です。冨美子さんは神奈川県川崎市に住んでおり、非常に困難な状況にあった方でした。離婚を経験し、自殺を考えながら歩いていたとき、路傍で伝道活動をしている方の説教に触れ、イエスさまの言葉に心を打たれ、クリスチャンになったのです。
その後、川崎で教会に通っていた冨美子さんは、三国宇吉さんから結婚の申し込みをされました。「宇吉さんはクリスチャンではない。しかしこの結婚を逃したら私のような離婚を経験した自分が結婚できるとは考えられない。人生後半になって再度イエス様を信じれば良いのではないか」と思い、結婚を決断したというのです。しかしその三国宇吉さんと結婚したものの彼は、とても怖い人でした。常に大酒を飲み、品行も悪く、土建業の仕事をしていた彼は、すぐに怒り、毎日ケンカばかりをしていた人でした。人々に恐れられ、怒ると手に持っていたスコップなどで相手を殴ったり倒すなどで、よく警察に逮捕される人でした。また女性関係もひどく、ギャンブルにも手を出すような人でした。私もよく覚えているのですが、とにかく近寄りがたい、怖い人でした。
その三国宇吉さんと三国冨美子さんが結婚し、流れに流れて、新城市の豊栄の臼子という所に住むようになりました。冨美子さんは教会に来るようになり、再度イエス様を信じて、よく「宇吉を救ってほしい」泣いて祈っていました。私たちは冨美子さんが教会に来ると「また泣き女が来ている」と言ったものです。
私は、彼の片目は義眼でガラス玉を入れており、口の中でそれを舐めてからまた戻すようなことをしており、とても不気味で、幼い私にはとても怖い存在でした。教会でもメッセージ中に大声を上げることもあり、教会員も近寄りがたい存在でした。
その三国さんが素晴らしい神さまと出会う体験をしたことが本に記されています。私はそれを見て、滝元明牧師でのメッセージで良く聞いていましたが、再度本を読み直しました。読んで、今では、こんな不思議な出来事は聞いたことがないと思いました。
「こういうことはかつて見たことがない」今の時代、そんなこと聞いたことのない出来事でした。
『私の愛する日本のために』という本の中で、六十六から六十八ページを読んでみたいと思います。
“ある時、三国さんの住んでいた新城市臼子地区のクリスチャン家庭を開放して頂き、伝道集会をすることにした。その日宇吉さんは畑で仕事をしており、夕方になったのでそろそろ仕事をやめようと思っていた時、誰だかわからないが彼の脇腹をつつき、「おい!三国今晩キリスト教の集会に行け!」と言うものがいた。「誰だ、俺をつついたのは」とあたりを見渡したが、誰もいない。不思議に思っているともう一度誰かが「三国、今晩キリスト教の集会に行け!」と声をかけた。「誰だ」。見回しても、誰も見えない。誰であったかわからない。天使であったのか、それともご聖霊さまであったのか。
その夜彼は村の伝道集会にやって来た。二階座敷は一杯であった。彼は一番後ろに座った。とにかく怖い顔をした男で、片目がつぶれていて義眼であり、ガラス球を入れていた。会場に入るとその義眼のガラス球を取り出し、口の中に入れてペロペロなめてから、また目の中に入れた。これは人々に、自分の存在感をアピールするためであったのかも知れない。
私はその夜「地獄と神の審判」について語った。人間は一度死んだ後、神のみ前に立ち、裁きを受けなければならないこと。姦淫する者や、盗む者、暴力を振るう者、ギャンブルをしたり、酒を飲んだりしている者は底知れぬ地獄に落ちて、消えることのない火の中で苦しみ続けなければならないと語った。
私も強烈に語ったが、ご聖霊さまも強烈に働いて下さった。宇吉さんは、あまりにも話が恐ろしいため、ガタガタと震えだし、入れ歯を出したり入れたりしていた。
最後に「どんなに罪を犯している人でも、イエスキリストを信じたら、赦されない罪はなく、誰でも救われる。今日からイエス様を信じたい人は手を上げてください」と言うと「おい俺、信じるから救ってくれ!」と叫んだ。
神は妻、冨美子さんの祈りを聞いて下さったのである。それ以来彼は冨美子さんと一緒に礼拝に来るようになったが、あまり品性の良い男ではなく、酒もタバコもやめることができず、冨美子さんから「あなたクリスチャンになったから、酒もタバコやめなさい。」と言われると「うるさい!イエス様だって、少しぐらいの酒やタバコを飲むことだって赦してくれるわい」と怒っていた。
そんな彼を神さまは愛しておられ、ある夜、夢を見せられた。・・・・彼が鼻歌を歌いながら広い道を歩いていると、急に道が二つに割れて、一本の手が地獄からスゥッと出て、足を捕まえ、「お前のような悪い奴は、地獄に連れて行く」と言って地獄に引き込もうとした。彼は必死になって叫んだ。「イエス様もう酒もタバコもやめる。今までやった悪いことを赦してくれ!」
あまりにも大声に、冨美子さんは驚いて目を覚まし、寝ている宇吉さんを揺り動かし、「あなたどうしたの?」と聞くと、彼は汗びっしょり流して「ああ、夢だったのか。本当の地獄でなくて良かった」と喜び、以来彼は大きく変わった。タバコも酒も清められ、偶像を拝まず、ひたすら主イエス・キリストのみを愛し、熱心に主に仕える人となった。彼の晩年はイエス様を愛し、安らかに天国に帰っていった。冨美子さんも、夫を追いかけるように天国に帰って行った。” と書かれています。
皆さん、こんなことが過去新城教会で起きたのです。不思議と畑で仕事をしているときに、脇腹をついて、「三国、今晩キリスト教の集会に行け」と声をかけてきました。それが二度あって、そして彼は恐ろしくなって、集会に来ました。そして見事に変えられました。
この写真が三国さんご夫妻です。彼の顔はとてもにこやかで、昔の怖いイメージは全くありません。夫婦そろって主に従い、はじめに宇吉さんが、そして続いて冨美子さんが天に帰って行きました。私はお二人の召天式のお手伝いをさせて頂きました。「こういうことはかつて見たことがない」宇吉さんの救いは素晴らしい主の働きを見せて頂きました。
神さまが直接介入をして下さり、「おい、三国。教会に行け。集会に行け。」そんなこと今あります?本当に聞いたこともありませんよね。そして地獄から手を出して・・なんていう夢なんて、主が夢にまで働き、彼を救いに導いたのです。まさに「こういうことは、かつて見たことがない」出来事です。私は思います。先ほどの甲子園ミッションの話や、三国さんの事も、背後に何があったかというと、『祈り』です。
全日本リバイバル甲子園ミッションでは三日間にわたって六万人ずつ、計十八万人を集めたいということで、「十八万時間の祈祷プラン」を計画しました。一人のために一時間祈ろう!ということで、全国にハガキを送って呼びかけました。当時はまだアナログでしたので、全国の各教会にハガキを送り、祈ってくださった方が返信を送ってくれました。
その結果、当初の十八万時間を超え、三十四万時間もの祈りが積まれました。祈っても送ってこなかった人もいますから、本当にこの甲子園のために、祝福のために、全国の方々がリバイバルを求めて祈ってくださいました。そのことの故に天候の奇跡が起き、救われる人が大勢与えられました。
また、三国さんのことも新城教会の兄姉も祈りましたが、特に冨美子さんが涙を流しながら、夫を愛して祈り続けた結果です。神は、その祈りに必ず応えて不思議なわざを起こしてくださったのです。
士師記十三章十八節
『【主】の使いは彼に言った。「なぜ、あなたはそれを聞こうとするのか。わたしの名は不思議という。」』
主の名前は不思議です。私たちの信じている神は不思議を行う方です。そしてⅠコリント二章九節
『まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」』
目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないものを、神を愛する者のために、神が備えてくださるのです。
またマルコ十二章十一節
『これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである。』」
主が私たちにして下さるのは不思議です。今日私たちは難しい岩のような動かない、解決しない問題があったとしても期待しましょう。過去新城教会に人には理解できないような不思議なことが沢山起こりました。今日も起こしてくださる方です。イザヤ五十九章十九節
『そうして、西のほうでは、【主】の御名が、日の上るほうでは、 主の栄光が恐れられる。主は激しい流れのように来られ、その中で【主】の息が吹きまくっている。』
今日聖霊さまが激しく望んでくださるように祈りましょう。ヘブル十一章一節
『信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。』
主が不思議な事を起こしてくださる事を信じましょう。ヘブル十三章八節
『イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。』
新城教会の初期の時代は不思議なことが起きました。その神はきのうもきょうも同じ神です。マルコ二章十二節
『すると彼は起き上がり、すぐに床を取り上げて、みなの見ている前を出て行った。それでみなの者がすっかり驚いて、「こういうことは、かつて見たことがない」と言って神を
あがめた。
今日も全く動かない問題、病、救いも主が「こういうことは、かつて見たことがない」という事を起こしてくださいます。Ⅰコリント二章九節
『まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」
神は目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないものを、今日神を愛する者であるあなたに備えてくださっています。
信じましょう。「こういうことは、かつて見たことがない」これからはそのような出来事がこの教会に起こされるように祈りましょう。今週はぜひ不信仰にならず、過去新城教会に「こういうことは、かつて見たことがない」事を起こしでくださったように、信仰持って祈っていきましょう。聖霊さまが訪れて下さるように、聖霊をもとめて祈りましょう。賛美しましょう。これは告白の賛美です。ローマ十章九節~十節
『なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で 神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。』
口で告白する時に救われます。ヘブル十章二十三節
『約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。』
今抱えている問題、病などが必ず解決する。癒されると希望を告白しようではありませんか。「主は今生きておられる」という賛美があります。「こういうことは、かつて見たことがない」事が教会にある様に期待して賛美しましょう。
♪主は今生きておられる。わが内におられる。すべては主のみ手にあり、明日も生きよう主はおられる♪
今日、イエスさまはあなたの神であることを信じてください。「こういうことは、かつて見たことがない」事があなたの人生に、新城教会に起こることを期待します。ハレルヤ!