エペソ書の一章十九節には、
“また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。”
と書かれています。これをリビングバイブルで読みますと、
“また、信じる者を助ける神の力が、どれほど偉大であるかを知ることができますように。”
とありますが、振り返ってみて、教会から離れたいと思って逃げようと思って礼拝を休むと、父や母からすごい迫害を受けました。「なんで休んだんだ。」と。ものすごく怒られました。
小学校の高学年になって、私は友達と遊ぶのが楽しくて礼拝を休んでしまったことがあります。その時、友達と田んぼでいろいろと遊んでいた時、様々物を投げ合って遊んでいた時、私が隠れていたところから、ふっと顔をあげた時に友達が投げた石が眉間の辺りに当たり大出血しました。これはやばい!と思って急いで家に帰ったのですが、帰った時間が一番悪い時間でした。礼拝が終わった直後で、「それみろ!おまえ!」と、両親に激しく叱られました。こっちは痛みに耐えながら、早く治療したいのに「おまえはイエスさまに従わないとダメだ!」と厳しく言われたことを覚えています。
しかし今、自分がクリスチャンとして、牧師としての働きをさせて頂いているのは、エペソ書一章十九節の「信じる者を助ける神の力がどれほど偉大であるかを知ることができますように」とありますが、神の力というのを自分も体験してきた。貧しい中でしたけど、教会の中で、来会してきた方がガラッと変わっていく事を見ることができました。神の力の偉大さを見る事、知ることができた事で今がある事を、本当に感謝だと思います。
先週のメッセージでアメリカのヤキマの先生方、兄姉とともに東京へとりなしに出かけた話がされていました。とりなしの最後に、ジョー先生のリクエストでヤキマの教会にこの頃来られている大原さんというおばあちゃんのためにとりなしたいということで、どこで、どこで祈ろかと考えた時、時間が遅くなり、参加されている方々に夕食を食べさせなければいけないという事で、マクドナルドに行って食事をしながら祈ろうと思っていたそうです。でも不思議と迷い込んで寺に入りこんでしまい、ジョー先生たちが「降りる」と言って、その寺でたくさんの墓がある中で、祈るこことなりました。最後にちょうど目の前に「小原家」という墓跡があり、名前がちがうが、ここで祈ろうという事で、祈ったそうです。アメリカのヤキマという小さな町の「大原さんのために祈り」その墓を写真で写して、ヤキマに送ったところ、驚くべきことを耳にしました。その墓は小原さんの先祖の墓ですが、なんとヤキマの「大原さんは実際は小原さん」。そして東京には、墓や納骨堂が沢山ありますが、なんとそのおばあさんの先祖の墓であった。滝元順牧師も言っていましたが、イエスさまの力を初めて知ったくらいに驚いていましたと言っていました。こんな偶然はありますか?信じられますか?本当に素晴らしい神の力、先ほどもリビングバイブルを読みましたが、「信じる者を助ける神の力がどれほど偉大であるかを知ることができるように」、神さまが私たち一人ひとりに体験させてくださったり、また見せて下さった事に、主の栄光を賛美したいと思います。
この頃新城教会でメッセージされている事は、『大いなる年2024 主よ遅れないでください! 後の日になって知る 歴史と霊的戦い』というタイトルで何回に分けて語られています。その中で、新城教会のルーツや新城教会で起こった昔のでき事が語られています。
また礼拝後「数えて見よ主の恵み」というタイトルで昔の新城教会におきた出来事にスポットをあてたお証しのときがなされました。
私はそれぞれのプログラムに参加して、再度主に感謝な時を持ちました。そしてそのことを感謝して、神さまに祈る時を持ちました。新城教会がこの田舎であっても、このように多くの兄姉が集い会堂や教育館が与えられ、旧神学校も与えられた事、また駐車場も大きな敷地が与えられていることを感謝しました。ぜひ皆さんもっとこの教会の歴史を知っていただきたいと思います。幸い、滝元明牧師が書いた「われ土方なれど」や「私の愛する日本のために」という本ほか。沢山の著書がプレイズブックスにて販売されています。
また滝元順牧師の「主が立ち上がられた日」という本なども沢山売られていますので、ぜひ買って手に取りお読みください。是非とも新城の教会の歴史をもっと知っていただきたいと思います。私も先週何冊が読み返してみました。そして知っていたけど忘れていたことを読み直し、大変恵まれました。
今もそうですが、過去新城教会で起きたでき事は、すごい事が沢山起きていました。昔はよく神さまが生きていることを体験できるようなことがたくさんありました。「こういうことはかつて見たことがない」という出来事が、既に新城教会では沢山起きていたことを本で読みなおしました。
しかし、近頃はあまり「こういうことはかつて見たことがない」という出来事が起きていないことに気づきました。ぜひ本を読み直して主のみ名を賛美してください。
私たちの信仰は、どれくらい主の圧倒的な力を信じているでしょうか?
今日のタイトルにもさせていただきましたが「こういうことはかつて見たことがない」という出来事は、新城教会の初期は沢山起きていたことを覚えています。滝元明牧師の著書に書かれている本を読み直してみると、近年はこんな不思議な事は起きていないなぁと思うような出来事が多くあります。
今日最初に読んでいただいたマルコ二章での記事は、どんな箇所かというと、中風の男性が寝かされたまま、四人に抱えられてイエスさまのもとに連れて来られた話です。しかし群衆が多すぎて、イエス様の近くまで入れなかったため、屋根に登って屋根を剥がし、そこからイエスさまの前に患者を吊り下ろしたという記事です。リビングバイブルで読むとわかりやすいので、良く読みます。マルコ二章三節、四節、
“その時、四人の人が、中風(脳出血などによる半身不随、手足のまひ等の症状)の男をかついで運んで来ました。しかしあまりの人に、群衆をかき分けて中へ入ることもできません。そこで、屋根にのぼり、穴をあけると、そこから病人を寝床のまま、イエスの前へつり降ろしました。”
とあります。
そしてマルコ二章十二節(リビングバイブル)、
“すると男は飛び起き、寝床をかかえ、あっけにとられている見物人を押し分けて、出て行ってしまいました。「こんなことは、見たこともない!」人々は口々に叫び、心から神を賛美しました。”
私の家内が入居している施設に見舞いに行きますが、家内は寝たきりで、車いすの乗り降りも大変で、施設の方にお願いして、時々散歩に連れて行ったりします。その時車いすに移る時が大変です。彼女は自力では動けないのです。
この男性も同じです。動けない状況でした。その為四人の人は彼を寝かせたまま連れて行きました。そして人が一杯なので屋根に登り、屋根に穴をあけると、そこから病人を寝床のまま、イエスの前へつり降ろしたというのです。
他人の家の屋根を壊してでも、癒してもらいたいため屋根をはがしました。イエスの前につり降ろして祈ってもらいました。この中風の人がイエスさまによって祈った時に、マルコの二章十二節のリビングバイブルに「男は飛び起き」とあります。寝たきりで動けなかった者がパッと飛び起きて、寝具を抱えて、あっけに取られた見物人を押し分けて出て行った。すると奇跡をイエスさまが起こされたのです。
そのイエスさまを私たちは今も信じています。今私には家内が寝たきりです。
最近携帯で動画を見返すこともあり、「何月何日の出来事を覚えてますか?」と思い出画像が出てきて、二年前の家内が歩いている動画を見たりすると、「あのときはこんなに元気だったのに」と、今の現状を思うと本当に悲しくなります。昨年は気管切開や他の手術もあり、「家内はどうなってしまうんだろうか」と恐怖で祈れない時がありました。イエスさまを信じていても、不安に襲われ、「家内はこのまま亡くなってしまうのではないか」と、痩せた姿を見るたびに不安になることがありました。
そんな時に神さまがこのリビングバイブルでも「こんなことは見たことがない」、また新改訳の第三版のほうでは、「こういうことはかつて見たことがない」、そんなことが起こされたら、なんと素晴らしい神の栄光かと思います。
同じ状況で家内が寝ているわけですから、私もこの頃本当に祈ります。「イエスさまのみ名によって立ち上がれ!」と、いつも祈るのですが、寝たままなのです。是非とも祈ってください。神の奇跡が起こされるように祈っていただきたいと思います。
そんな中で、私の過去にも「こんなことは見たことがない」と思う出来事がありました。一つは、一九九三年に行われた全日本リバイバル甲子園ミッションです。阪神の甲子園球場で開催された集会で、多くの人々が神の力を体験しました。今日は十月の最後の礼拝ですが、その集会があったのは十一月五日から七日、ちょうど三十一年前になります。
その三十一年前の今日というのは、大きな大会を控えてすごく緊張していたと思います。どんな集会になるかと心配していました。しかし本当に素晴らしい集会を見ることができました。甲子園での集会模様を知らない方もいるかと思いますので、写真がありますので出したいと思います。
当時、新城教会からその甲子園に何人参加したと思いますか?滝元明師の「私の愛する日本のために」という本に記されていました。
何と新城教会から五百七十名も参加したそうです。そのバス代はすべてマルイチさんが負担してくださり、みんなが無料で西宮の甲子園球場まで行けたのです。
集会では、十字架の舞台の所でプログラムが三日間行われ、特に毎晩滝元明牧師が伝道メッセージを語りました。愛知県の小さな村で生まれた田舎のおじさんが、延べ十二万四千人の観衆の前で、「今日イエスさまを信じた人は、球場の真ん中に立てた十字架の前に出てきなさい!」と呼びかけたのです。
そのとき、私は運営の仕事をさせて頂き、決心者の整理のためクランドにいました。しかし十字架のステージにいっぱいの人が上がってきて、イエスさまを信じたい、救われたいと涙ながらに決心する姿を見た時、私は感動と感謝で鳥肌が立つような経験をしました。
その三日間の集会で、十一月七日日曜日、最後の夜の天気予報には雨の予報が出ていました。それも強い雨の予報が出ていました。運営の部屋には電話があったのですが、問い合わせの電話が沢山かかって来ました。甲子園球場は大阪府の隣の兵庫県西宮市にあるのですが、「大阪は大雨なんですけど、甲子園での集会はやっていますか?」と電話がたくさん来ました。「こちらでは雨は降っていません」とお答えさせて頂き、人々が最終日にも沢山集まってくださったことを思い出します。滝元明牧師がメッセージを始めようとするとき、少しずつ雨が降り始めました。そこで明牧師は、大胆に皆の前で「皆さん!雨が止まるように祈りましょう!」と、大群衆の前で祈りを捧げたのです。見事雨が止んだのです。最後決心者を招き出て、その後牧師先生の祝福の祈りをしている写真もあるのですが、それを見ると全く雨が降っていないのです。
牧師先生方がその十字架のステージに膝をかがめ祝福を受けている写真があります。本当に奇跡を見ることができました。周りはすごい雨だと聞きましたが、あの甲子園球場の上だけは雨が止んでいたのです。
そして集会の最終日だったので、プログラムがすべて終わり、舞台やスピーカーの撤収作業を急ピッチで進めました。私は旧都ホテルの前で新城教会の参加者のバスを見送り、再び球場に戻り、撤収を手伝いました。多くの兄弟姉妹の助けもあり、見事にすべて片付けが終わった瞬間、私はベンチに向かって歩いていました。ベンチの奥に運営の部屋があり、荷物を持ってホテルに戻ろうとするためにでした。私はベンチに入った途端、後ろで激しい音が聞こえました。何だと思いますか?強雨が降って来たのです。今まで、主が西宮市の上に大きな雨傘をさしてくださり、集会と全部の撤収が終わった直後に、傘を閉じて雨が降って来たのです。その時は私たちは被造物の管理人であるという事は、全く知りませんでした。しかし全国の祈りの勇士の祈りに支えられて祈った祈りに応えてくださいました。ドンピシャのタイミングでした。その雨を見ながら「イエスさまは生きている!」と主を褒め称えたことを覚えています。
すごい驚きというか、怖くてたまりませんでした。ここまで私たちを祝福してくださり、守って下さった。確かに生きている神を体験しました。こういうことはかつて見たことがない」本当に素晴らしい状況を体験しました。