2024年10月27日(日)新城教会牧師 上條実
マルコの福音書 2章12節
“すると彼は起き上がり、すぐに床を取り上げて、みなの見ている前を出て行った。それでみなの者がすっかり驚いて、「こういうことは、かつて見たことがない」と言って神をあがめた。”コリント人への手紙 第一 2章9節
“まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」”
ハレルヤ!今日こうして皆さんの前に立って、お話ができることを感謝します。いつも皆さんにお祈りいただき、私も、また家内も、また家族も守られていますことを、高いところからですが心から感謝します。
特別家内のために、ご心配を頂きお祈り頂いております事を感謝いたします。昨日も家内の所に行きましたが、特別変わりはありませんでした。私の礼拝メッセージの時は、いつも家内にお祈りしてもらうことにしています。昨日も祈ってもらおうとして、「祈って下さい」と、言いましたら「イエスさま」と言った途端、ピタッと止まってしまいました。そして笑いながら「祈り忘れちゃった。」と言って、祈りをストップしてしまいました。彼女は毎日寝たきりですので、時々祈れなくなってしまう時がありす。また「私、誰だかわかる?」と聞くと、「わからない」と言われてしまう時があります。しかし調子よい時には、賛美したり、祈ったり、良く会話ができる時があります。日によって、時間によってまちまちですが、以前よりも太ってきましたし、全くコミュニケーションも取れないと時もありましたが、神さまによって守られていることを心から感謝しております。
では今日は「こういうことは、かつて見たことがない」というタイトルで、マルコの二章十二節を中心にみことばを語らせて頂きます。 今日、十月二十七日は、衆議院選挙が行われます。既に投票に行かれた方もおられると思いますが、まだの方はぜひ、この国の祝福を祈りつつ、投票なさってください。この国が主にあって守られるように祈って行きましょう。
また、十月三十一日は、週報にも書かれてありますが「ハロウィン」今朝もニュースで昨夜の東京都渋谷スクランブル交差点やその周りののことを放映されていました。多くの方々が仮装し、酒を飲みつつ、みんなで馬鹿騒ぎしていることを放映していました。あるところではケンカ騒ぎがあったり、ある人は酔いつぶれて救急車で搬送されたり、真夜中にも関わらず大騒ぎをしたり、ゴミをそのままにしたりという事を映されていました。ある人は「ハロフィン」をキリスト教の祭りごとだと言う人がいますが、全く違います。ハロウィンというのは、毎年十月三十一日に行われる古代のケルト人が起源の行事であって、秋の収穫を祝い、悪霊を追い払う意味合いを持っていますということです。
悪霊を追い払うという意味で、「ハロウィンの夜はあの世とこの世の境目が曖昧になると信じられていました。そのため、あの世から悪霊がやってきて、人々に災いをもたらすと恐れられていたのです。そこで人々は、悪霊を追い払うために仮面をかぶったり、魔除けの焚き火をしたり、さらに幽霊に似せた仮装をすることによって悪霊から身を守ろうとしたのです。」というような意味があるようです。本当にハロウィンというのは、とにかく恐ろしい行事なのです。自ら自分を悪魔に化して、街を練り歩いて、悪霊が寄ってこないようにと言いながらも、逆に悪霊の影響を受けてしまうのです。死の力が働き、悪魔悪霊が私たちに働く時であります。ちょうど昨日は土曜日ということもあり、渋谷はすごい混雑していたということですが、ぜひハロフィンのためにとりなし、祈ろうではありませんか。特に今週の木曜日三十一日は、声を上げて祈っていただきたいと思います。三十一日、本当にこの死の力が破られることができるように、悪霊の力から皆が解放されるように祈っていきたいと思います。
今日は十月二十七日というもので、早いもので今週の金曜日から十一月になります。後二ヶ月で今年も終わりが来ます。特に私は十月になると嫌な思い出があり、少し緊張し、嫌な思い出しかありません。二〇一九年、もう五年前になりますけれども、十月一日、その日は火曜日でしたが、私は脳梗塞を発症し、救急車で運ばれた苦い経験があります。今までにない違和感を覚え、右半身や顔面が垂れ下がって、ろれつも回らなくなり、うまく喋れなくなり、自分の体が変化し、崩れて行く事を感じ、救急車に搬送されました。とても恐怖を感じた時でした。介護している家内を残し、自分はこれからどうなるのかと、不安だらけでした。救急車で搬送される途中、当時の礼拝メッセージで「賛美には力がある」という事が語られていましたので、救急車の硬い床に寝かされつつ、不思議と冷静になり、「こんなときこそ賛美しなければ」と思い、救急車の中で声は出ませんでしたが、賛美した事を思い出します。すると病院に着く前に普通に喋る事ができるようになり、その後、様々な検査をしましたが、後遺症も残らずに今、皆さんの前に立てることを心から感謝しています。四日間だけ検査入院ということで入院しました。そしてさまざまなCTやMRIなどの検査を行い、退院する前の晩に、医師が私を呼び、発症時の画像を見せながら「上條さん、確かに脳梗塞の跡がありますが、早く処置できたおかげで後遺症もなく回復できましたね」と優しく言ってくれました。
しかし最後に、「ただ、もう一つ大変な病気が見つかりました。」と言われました。それは脳梗塞の検査のために、CTやMRIの画像を見せながら、心臓の上から出ている上行動脈が、成人男性で通常三センチ程度のところが瘤になっていて、六・八センチまで膨らんでしまっているとのことでした。このままだといつ破裂してもおかしくない状態である事を伝えられました。ちょうどその頃、動脈解離などで亡くなった方もいらっしゃったので、大変な状況であることに気がつきました。全く自覚症状もなかったため、医師の話をただ驚きながら聞いていました。医師は「早く手術した方がいいですよ。明日退院しますが、心臓血管の専門の科で診察してもらってください」と言われました。その夜は寝れなかった事を覚えています。そして退院の日に血管外科で診察を受けました。
すると、「これはすぐに切った方がいい。すぐに手術をした方がいい」と言われ、驚きました。医師には「いつ破裂するかわからないので気をつけてください」と言われました。しかし全く自覚症状もなく、何を気をつけて良いのか戸惑いました。その後、なんどか診察に行きましたが、自分も真剣に癒しを求め祈り、ある診察の際医師に、「先生、私に三ヶ月だけ祈らせてください」と頼みました。自分が牧師である事、主に祈り、その間に癒されて、溜が小さくなるかもしれないので、祈らせてくださいと時間の猶予を下さいと伝えました。するとかんぱつを入れずに、医師は「そんなことありません」と即答され、「すぐに紹介状を書きますから、どこの病院でもいいので手術をしてください」と言われました。ショックでした。しかしそして結局、二〇二〇年、今から四年前の十月十三日に手術しました。振り返ると、大変なところを通りました。苦しいところを通りましたが、あの脳梗塞がなければ、自分の血管がこんなに大きくなっていたことを知ることはなかったので、今はイエスさまに感謝できます。脳梗塞になって主が上行静脈瘤だと教えて下さった事、よかったなぁーと思います。
また十月の中旬、先週も行われましたが、私の住んでいる地域で祭礼があり、朝六時になると号砲と称して花火が鳴るのです。ちょうど私の家のすぐ下で花火を上がるため、花火が鳴るたびに家が揺れるほど大きな音が響き渡り、本当に嫌で仕方がありませんでした。
また、私は祭りに対してしっかり参加も協力も一切できない旨を伝え、地域の組長が、組の行政の事だけでなく、神社費の集金。祭りの話し合いや祭りに役を務めなくてはいけないので、組長で行政の事だけはするけれど祭礼関係は一切しない。と言いました。するとそれはやってもらわないとダメだと言われ、そうだったら、我が家は組長をせずに、飛ばして次の家にしてもらうという事で、守られました。しかし、祭礼時になると山車や神輿が地域を練り歩くのですが、以前は祭りの行列が違う道を通っていたのに、次の年からは我が家の前を大騒ぎしながら行列が進むようになりました。祭礼時は地域の子どもたちが爆竹に火を付け、破裂してうるさく、大変迷惑をしていました。自分の健康状態のこともあるので、祈らなければいけないなぁと思いました。
しかし今年、祭礼のために、とりなしの祈りを地域に出かけて行きお祈りをさせて頂きましたが、地域が少しずつ変わり、我が家の周りも小学生や中学生がほとんどいない地域になってきたことで爆竹が鳴り響いたり、山車や神輿も静かに通るようになりました。静かな環境になってきました。しかし地域に覆われている暗闇の力が打ち砕かれ、主のきよさが地域に溢れるように続けて祈っています。
そんなことで十月は本当に祈らなければならないということをすごく感じていますが、しかし知らず知らずのうちに「十月は怖い月だ」「十月は嫌な思い出の月」という悪魔の束縛に囚われてしまっていたのかもしれません。それを今「主にあって最高の月日です!」ということを宣言し、いつも祈っております。
今日、「こういうことはかつて見たことがない」というテーマでお話しさせていただいていますが、今コロナが明けて、私はGoToミッションの交渉をさまざまな教会と連絡させて頂いております。今年は十二月の頭までありますが、百五十何か所で集会を実施できることになり、本当に感謝しています。
また、十一月の頭には滝元順牧師が沖縄に行って、ご奉仕くださいます。せっかくなので忙しい日程を組み、昼間も集会を入れて、毎日二つの集会を入れようとしましたが、調整がつかず実現しませんでした。今日も北陸地区で行われています。お祈りください。皆さんがお祈りくださり、各地でイエス・キリストを信じる魂が与えられて、福音宣教が進んでおります事を本当に感謝なことです。
でも交渉する中で、先生方とお話させて頂いていると、コロナが明けてから、せっかく素晴らしい主にあっての救いをいただいているにもかかわらず、信仰から離れてしまう人がいることを嘆いておられるのをよく耳にします。とても残念な事です。教会で礼拝ができるようになり、ネット礼拝から集まっての礼拝に切り替わったのですが、まだネット礼拝が便利だからという事で、ネット礼拝のみの兄姉がおられ、お交わりができないと先生方は心を痛めています。そんな中で、自分も神さまに信仰を守られ、神の働きをさせていただけることを本当に感謝しています。
先週も滝元順牧師が礼拝で話されていましたが、その時は特に誰とは言いませんが、私は高校で「この一週間休んでください」と言われ、みんなは勉強しているのに、有給休暇というか「休んでください」と言われたことがあります。それは一つ悪いことをした結果、「謹慎」しなさいと言われました。牧師夫人である、母親が私と校長室に呼ばれ、校長と担任の先生から厳しく叱られたことを思い出します。私は恵みによって教会に生まれて。信仰をスムースに持つことができたにも関わらず、自ら教会から離れようと思ったことがありました。それでも今、こうして神に捉えられて、信仰を持っている事を感謝します。教会の息子が教会の牧師をしているというのは、本当に素晴らしいことだと思います。
皆さんにはあまりわからないかもしれませんが、教会の息子や娘たちは、教会の表も裏も知っています。牧師であり父親たち母親たちが、教会の奉仕をする際には良い顔をしていましたが、裏ではいろいろな顔があることを見てきました。だから自分はこんな生活は嫌だと思い、主から離れようとしました。しかし、自分が教会から離れないと思っても、主が私を守ってくれたことには、心から感謝しています。