他にもいろんな恵みがこの十二月の中にありました。豊根村という所の老人会でのコンサートがありました。そこでのコンサートも本当に祝福されて、豊根村のまたその中の三沢地区という中の、お年寄りのおばあちゃんたちだけが来てくださるところだったので、どんな集会になるかなぁと思ったら、すごく温かく迎えてくれました。
そこには私の父の妹がいます。歌子さんというのですが、そこでのコンサートで、なんかすごくアットホームな感じですることができました。
そしてそのコンサートが終わったら、一人のおばあちゃんがちょこちょこっと来て、「あのね、私七十年前に清崎で行ってた、あんたのお父さんの日曜学校行ってただよ。」と言ってくださいました。「すごくその時のことをしっかり覚えてる。賛美歌も覚えてる。」と言って歌ってくれたりして、そしてどうしてその事を彼女が言ったかと言ったら、いろんな話を、また父の話をしたり、私は歌子さんの甥っ子になるわけですという話をしたりして、そうしたら「あぁ、あの時の清崎の日曜学校の人と歌子さんは兄弟だったんだ!」というのが、そこで繋がったようです。「歌ちゃんって、そういう人だったのね。」と、わざわざ言ってくれて、神さまのみわざ、七十年前に蒔かれた種というのがしっかりと蒔かれていて、素晴らしい主のみわざというのは進んでいるんだなぁと、そのように思わされて感謝でした。

ただ、二〇二一年、私たちにとって、この教会にとって、悲しいこともありました。いろんな方が天に帰られましたが、その中で私たちの家庭集会から二人の方が天に帰りました。朏兄妹姉妹が天に帰られたのですが、昨年の先ほどの写真、これ昨年の一月の時の祈祷会です。

この時にお二人いらっしゃるんですね。わかりますかね?この白に赤い服を着たのが朏姉妹で、その右手にいらっしゃるのが朏兄弟です。もうすごいですね。やっぱり最後まで祈り続けて、天に帰られたのです。朏姉妹、毎週木曜日、その天に帰る前の週まで木曜賛美集会、寒い中来てくださり、歌って踊って、移動はほとんど走りという、まさかでしたけど、神さまのなさる事は不思議なことで、『聖徒たちの死は主の目に尊い』という、詩篇一一六篇十五節のみことばが二人が天に帰った後に心に響いたみことばでした。
主の目に尊い働き、いろんな尊い働きがありますけども、時として私たちにとって悲しい出来事も、主の目には尊い。私たちにとっては悲しみであり、別れの寂しさがありますけど、この天と地が一つとなって、今は先にも天に帰って行ったこの新城教会の愛する兄妹姉妹が主の前に一生懸命とりなしをしてくださっていると思います。「さぁこの最後のリバイバルためにあなたたちは今天に来て、わたしの前でとりなしの祈りをしなさい。」とおっしゃったのではないかなと、そのように思わされた次第です。

本当に様々なことがあった二〇二一年でしたが、今度は新たな主の復讐の年であり、そして私に与えられたみことばは垣を越えるというみことばが与えられていますが、垣を越える主の祝福が溢れる年であると信じています。創世記四九章二十二節をお読みします。
『ヨセフは実を結ぶ若枝、泉のほとりの実を結ぶ若枝、その枝は垣を越える。』

神さまの働きが始まり、そして神さまのご栄光が輝き始めている時に、皆さんのそれぞれのご家庭での働き、地域での働き、学校、職場での働きの中にも、同じようにこれからきっと多くの実が結ばれていくと思います。
そして目に見える形での刈り取りがなされていくと思うのですが、それがもっと私たちの思いよりも遥かに越えた中にある垣を越えた、垣の越えたところに主のわざが広がっていく。そのような年であると受け止めていきたいと思います。

本当にこの二〇二一年から二二年に向かって、ずっといろんな働きがなされて、ある意味コロナという中で、ある意味止まってしまっているように見えた中で、教会の働きの中で元プレイズ旧社屋が大きく造り替えられて、新たにされて、事務所が新しくされて、ヘブンズアイスクリーム&コーヒーが出来上がって、そしてホールまでできて、そしてまさかの十二月のクリスマス伝道会。本当に神さまの働きってすごいスピードだなと思います。
越年の時にもお話ししたのですが、十一月末に、私は一人で県民の森に歩いて祈りに行きました。主に一生懸命お祈りして、主との交わりを持とうと思って行きました。そしてずっとお祈りしながら地面を見てずっと歩いて行って、そして山の尾根まで上がって、山の上で祈ろうと思って、祈りながら歩きつつ、そして山の上で尾根まで上がろうと思ってずっと歩いて行きました。ですからちょっと小走りに歩いていました。
そして歩いていたら、なんか気配を感じました。私はずっと地面を見ながら歩いて祈っていたのですが、気配を感じてふと目の前を見たら、なんと私の目の前にこんな動物がいました。

二、三メートル前でした。向こうも向こうで、「おまえなんだ?」私も「おまえ誰だ?」という感じで、ちょっとだけドッキリしました。角がありますので、これで襲ってきたらきっと負けるだろうなと思って、だから一歩下がって、彼か彼女か分からないですけど、横を通りながら写真を撮ったという、そういうことでした。
これはニホンカモシカです。カモシカと出会ったんだと思って、私その後、早速山に上って携帯の聖書のアプリで「カモシカ」で検索しました。そして出てきたみことばが、このみことばでした。第一歴代誌十二章八節、

『また、ガド人から離れて、荒野の要害をさしてダビデのもとに来た人々は、勇士であって戦いのために従軍している人であり、大盾と槍の備えのある者であった。彼らの顔は獅子の顔で、早く走ることは、山のかもしかのようであった。』

ダビデのもとに来た勇士たちの姿で、「彼らは走ることは山のかもしかのよう。」だから本当にイスラエルの荒野を早く走るカモシカのような、そんな働きをこの二〇二二年、主はご用意されているんだなぁと、そのように感じました。

詩篇十八篇三十三〜三十四節に、こんなみことばがあります。

『彼は私の足を雌鹿のようにし、私を高い所に立たせてくださる。戦いのために私の手を鍛え、私の腕を青銅の弓をも引けるようにされる。』

このようなみことばがあります。ですから私たち、本当にこの二〇二二年は、カモシカのように神さまご自身のスピードはきっともっとさらに速くなっていくのではないかと思います。ですからそれにしっかりと着いて行って、主の戦いに一緒に戦うことのできる、最初に言いましたように「復讐」というのは攻撃行動ですので、主の攻撃に伴う歩み・働きをさせていただく、そのような年になればなぁと心から願っています。

一連の昨年からこの順先生がずっと語ってくださった「主の復讐の年」という中で、すごくやはり印象に残るのは、詩篇百四十九篇のみことばが語られていましたけども、六節から八節、

『彼らの口には、神への称賛、彼らの手には、もろ刃の剣があるように。それは国々に復讐し、国民を懲らすため、また、鎖で彼らの王たちを、鉄のかせで彼らの貴族たちを縛るため。』

そのように書かれています。百四十九篇、ご存じのように『新しい歌を歌え。聖徒の集まりで主への賛美を。』という所から始まって、「賛美」そのものが剣であって、そして賛美を通して敵の力を討ち滅ぼすという、そのことがずっと書かれています。それは復讐という一つの神さまの働きの中で用いられる道具として「賛美の剣」が与えられているということなんですね。
今日も、「一振りの剣」という歌を歌いましたけども、昨年十二月、そのヘブンズでのコンサートの時に、すごく不思議だったのですが、たまたま私がヘブンズのお店の中に入ると、いつも流れている曲が、どういうわけか私が行くたびに聞こえるのが、一振りの剣でした。まったりヘブンズに来てアイスクリーム食べてコーヒーを飲むところで、「ひっとーふーりのー♪」と、お客さんたちすごいなぁと思います。
あるノンクリスチャンの方にこのCDをプレゼントして、そうしたらその方がこの中で一番好きな歌は何かと言ったら、「『一振りの剣』が一番好きだ」と、そうおっしゃっていた方がいらっしゃったそうですけど、本当に神さまご自身の剣はやっぱり美しいですね。そして私たちがその剣となって、握っていただいて、一振りの剣として、敵の力を打ち破る、そのような年にさせていただくためには、やっぱり賛美というものをもう一度奮い立たせていただかなかったらいけないなということを、すごく強く感じています。
私たち一人ひとり、主のみ前に戦う、主の剣となって戦うためには、私たち一人ひとりが研ぎ澄まされた剣になって、主への賛美を発する、そのような二〇二二年にさせていただきたいと心から願います。その一振りの剣のみことばをお読みします。エゼキエル書二十一章九節から十一節のみことばです。

『「人の子よ。預言して言え。主はこう仰せられると言え。剣、一振りの剣が研がれ、みがかれている。虐殺のために研がれ、いなずまのようにそれはみがかれた。われわれはそれを喜ぼうか。わたしの子の杖も、すべての木のように、退けられる。その剣はみがかれて手に握られ、それは、研がれて、みがかれ、殺す者の手に渡される。』

すごく激しいみことばですね。この賛美が与えられた時のことを以前もメッセージで少し紹介したことがあるのですが、これは二〇一七年に「風に助けられて」というCDをレコーディングしている最中に与えられました。家内が与えられたのですが、レコーディングの合間、夜宿舎で休んでいたら彼女がいないんですね。どうしたのかなと思ったら、バスルームにいて、バスルームで携帯に向かって、一生懸命歌っているんですね。「主から降ってきた!」と言って歌っていた歌が、この「一振りの剣」という、この歌でした。
Hiraku&NorikoのあのCDのレコーディングの真っ只、すごく優しいメロディとメッセージソングで人々に届けるというのにこの賛美が与えられて、いや〜本当に賛美にある神さまのご計画というのは強いんだろうな、すごく大きいことなんだろうなと、そんなことをすごくもう一度思い起こした次第ですが、私たち、この二〇二二年に与えてくださった神さまのご計画を全うするために、それぞれ皆さんの唇を通して主を賛美し、主のご栄光を現していただく、そのような働きを誰かがするでなく、是非皆さんの唇の果実、賛美を通してそのことをしていただく年にしていただきたいと、心から願います。
それが皆さんのご家庭でたった一人で居間で歌う歌が、どれだけその地域にとっての祝福で、その地域を変えるためのどれだけ大きな力となるかと思います。

ザワメキの働きが、今では月に一度のライブ配信のみになっていますけども、以前は日本中ぐるぐるぐるぐるぐるぐるずっと回り続けていました。そんな中でよく話していたのは、「賛美には力がある」と話していました。たった一人のおばあちゃんが田んぼのど真ん中でいいのでそこで主を賛美します!すると賛美によってその村が変わるんです!という話をよくしていたのですが、今になってみるとやっぱり本当に神さまは賛美の中でみ力を現してくださったなぁと、すごく思います。
今から十年前に、一つの教会に行きました。ザワメキチャーチライブをすごく小さな教会で開催させていただきました。関東の教会でした。その教会の前には海があり、そして朝の礼拝での奉仕でした。奉仕のためにそこに行ってセッティングして、朝早く着いたら、海がすごく綺麗に輝いているところの教会で、ここで今日は集会だということで準備して、そして準備が終わってリハーサルをしました。リハーサル、その時、十二、三曲あったのですが、全部歌おうと思って、歌い始めようとしたら、二人のおばあちゃんが、牧師先生に連れられて一番前の、すぐ前の座席に座られました。「おはようございます。」と挨拶をして、「今からリハーサルしますので、私たちの歌、聞いてくださいね。」と言ったら、「はい、わかったよ。」と言って、歌い始めました。
それで歌い始めたら、一曲歌う事にお二人が拍手してくださるんですね。「ありがとうございます。」リハーサルなのですが、歌うたびに拍手をしてくださって、「いい声だね!」とか言ってくださるので嬉しくなっちゃって、「ありがとうございます。」そう言っていたのですが、そうしたやり取りがずっとあったので、途中でちょっと歌を止めて、「おばあちゃん今日すごくいい天気で海が綺麗ですね。」と言いました。そうしたら片方のおばあちゃんが何とおっしゃったかと言ったら、「どんな色してるんだい?」と言いました。えっ?と思って、よく見たらそのおばあちゃん、目の不自由な方でした。その時の海の写真はこれです。