The still small voice of God~神のかすかな細いみ声

私たち夫婦は結婚して二十五年ですが、もうすぐ二十六年になります。いつも彼女のために派手な特別なことをしないと彼女が私のことを愛してくれないのであれば、大変困ります。毎日バラの花束を持って家に帰ったり、毎週ダイヤモンドの指輪を買ってあげたり、毎年ハワイに連れて行ったり、そのような派手なことがないといけないのであれば大変なことです。結婚生活に地震がないといけない、感情表現が毎日豊かではないといけない。それは維持可能なことではありません。とても続けることはできません。強い結婚生活というのは、そのようなものがなくてもとても安心できるものです。
まだ結婚する前、婚約中などは、いつもいいことをしないといけないと思って、ちょっと派手なことをしたり、彼女に「ワォ!」と言ってもらえるような良いレストランに連れて行ったりしました。結婚をした後も、新婚旅行ではいろいろ買ってあげたり、やってあげたりしました。でも二十五年経って、私はダイヤモンドの指輪を買ったりはしませんが、彼女は私のことを愛していると思います。ハワイに連れて行ったり、たくさんのバラの花束を持って帰らなくても、私が私のままで彼女が私のことを愛していることを願います。
そして歳をとればとるほど、結婚が長くなればなるほど、やらないといけないことが減っていきます。すべてが声です。「あなたを愛しています。」と。それで十分です。でもたまには妻に良いものを買ってあげてくださいね。アーメンですか?奥さんたち皆さん、アーメンと言ってくださいね。
でも「あなたは私を愛してないでしょ?これをしなかったから。」と言うのは、トラブルになります。「主よ!あなたは私を愛していないのですか?何も偉大なことをしてくれないじゃないですか!あなたの声を聞くことができないから愛されていないんだ。」でも主がみことばで、「あなたを愛しています。」と言っています。あなたと共にいます。
私たちの信仰生活が年々経てば、主の声が私たちが必要としているすべてです。

そして最後に、エリヤは洞穴の中にいました。もうやめたい。そこに主が来て、「あなたはここで何をしているのですか?」と言われました。「私しかいない。私は孤独です。誰も私を信じてくれません。神さまにも疑いを持ち始めています。」
そして主がとても面白いことをされました。十一節では、「そのとき、主が通り過ぎられ、主の前で、激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。」とあります。でもそこには主がおられなかったと。そして地震が起こりましたが、その中にも主はおられませんでした。地震の後に火を持って主は通り過ぎられました。でもその中にも主はおられませんでした。
その後に、かすかな細い声で主は訪れました。そこにはいたのです。その声がエリヤを洞穴から引き出しました。その声がエリヤを鬱から救い出しました。その声が導きを与えました。エリヤを励ましました。主の声がエリヤに挑戦しました。暗闇から引き出した声でした。そして自分の召しと自分の目的に押し出しました。

今日、実験してみてください。主の細いかすかな声を聞いてみてください。もしかしたらあなたは大きくてうるさいものを待っているかもしれません。でもキリストの単純さを見落としているかもしれません。主の実際の声を聞きたいと思っているかもしれません。でもここに主の書かれたことばがあります。主の祝福が皆さんにありますように。
どうぞ立ち上がってください。手を天に向けて、そして主の声を感謝しましょう。このみことばを感謝しましょう。いつも時にかなってくる声です。あなたが今日必要としているものを、それを見つけることができます。主の声の中で。主のことばの中で。イエス・キリストの名前によって。アーメン。