2024年9月29日(日)新城教会副牧師 鈴木陽介
ヨシュア記 8章18~19節
“主はヨシュアに告げられた。「あなたの手にある投げ槍をアイの方に伸ばせ。わたしがアイをあなたの手に渡すから。」ヨシュアは手にある投げ槍を町の方に伸ばした。すると、伏兵はすぐその場所から立ち上がった。ヨシュアが手を伸ばすやいなや彼らは走り、町に入ってそれを攻め取り、ただちに町に火を放った。”
ハレルヤ!おはようございます。今日みことばを取り次がせていただける恵みを感謝します。
二〇二四年九月も終わりになります。本当にあっという間です。九月は我が家にとって嬉しい月となります。早いもので、第四子が一歳になりました。この一年は、感謝と喜びに溢れる一年でした。皆さんから多くの祝福をいただいていることも今一度感謝を申し上げます。
それでは本題に入りたいと思います。今日読んでいただいたのは、ヨシュア記の八章十八節から十九節でした。
“主はヨシュアに告げられた。「あなたの手にある投げ槍をアイの方に伸ばせ。わたしがアイをあなたの手に渡すから。」ヨシュアは手にある投げ槍を町の方に伸ばした。すると、伏兵はすぐその場所から立ち上がった。ヨシュアが手を伸ばすやいなや彼らは走り、町に入ってそれを攻め取り、ただちに町に火を放った。”
タイトルにもあるように今日はここから「伏兵」というキーワードとともに、みことばを学んでいきたいと思います。
このヨシュア記八章は、いわゆる「アイの戦い」が記録されている部分です。主がどのようにこの戦いを導いたのかということと共に学んでいきます。
まず、ヨシュア記がどのような書物であったかを簡単に見ていきます。ヨシュア記以前に、イスラエルの民が奴隷の状態から出エジプトし、四十年間荒野をさまよいました。そして、ついに約束の地カナンに入るわけですが、モーセをはじめ、実際に流浪を味わった民は入ることができず、ヨシュアとカレブの代が渡りました。それ以降の話が書かれているのがヨシュア記です。
ヨルダン川を東から西へ渡りカナンに入り、その後の初めの戦闘が六章に書かれているエリコの戦いでした。エリコの戦いは皆さんよくご存知だと思います。城壁が崩れるという大いなるみわざがなされた戦いでありました。
その六章、七章を経て、八章がこのヨシュア記のアイの戦いの描写になります。
この図が、六章のエリコそして八章に出てくるアイという町の位置関係です。アイはベテルという有名な町と双子のような都市だったと言われます。ギブオンという町も、この戦いの後に登場します。これがヨシュア記の第六章から第十章にかけてのだいたいの動きになっています。
八章の冒頭、一節、二節をお読みします。
“主はヨシュアに言われた。「恐れてはならない。おののいてはならない。戦う民をすべて率い、立ってアイに攻め上れ。見よ、わたしはアイの王と、その民、その町、その地をあなたの手に与えた。あなたがエリコとその王にしたとおりに、アイとその王にもせよ。その分捕り物と家畜だけは、あなたがたの戦利品としてよい。あなたは町の裏手に伏兵を置け。」”
ここにある通り「伏兵」というキーワードは主が発せられたものです、アイの戦いにおいて、主がイスラエルの軍に「伏兵を置け」と命じたのです。
そして、イスラエルの民はこの命令に従って戦いを進めていきます。
十節から十三節を見ると、実際に戦いに出ていった描写があります。少し余談になりますが、八章の三節から九節、そして十節から十三節は、同じ内容を別の視点で、繰り返し述べているというのが正しい読み方であると考えられています。
それではお読みします。
“翌朝ヨシュアは早く起きて、兵を召集し、イスラエルの長老たちとともに、兵の先頭に立ってアイに上って行った。
彼とともにいた戦う民はみな、上って行った。彼らは町の前に近づき、アイの北側に陣を敷いた。彼とアイの間には谷があった。彼は約五千人を取り、ベテルとアイの間、町の西側に伏兵として配置した。兵は町の北側に全陣営を置き、町の西側にはその後陣を置いた。ヨシュアはその夜、谷の中に下って行った。”
ここでは本隊の数が明記されていませんが、三節には本隊の数が三万と記されています。また、十二節には伏兵として五千人を配置したとあります。本隊は二万五千人、伏兵は五千人に分けられ、北と西でそれぞれ配置されたことになります。
では先に顛末を見ていきたいと思います。十五節に飛びます。アイの軍がイスラエル軍に気づき、戦闘が開始されます。ほどなくしてヨシュア率いる二万五千の本隊は負けたふりをして敗走を始めます。十五〜十七節、
“ヨシュアと全イスラエルは彼らの前で打たれるふりをし、荒野への道を逃げた。アイにいた兵はみな彼らの後を追うために呼び集められ、ヨシュアを追撃し、町から誘い出された。そのため、イスラエルの後を追って出なかった者は、アイとベテルに一人もいなかった。彼らは町を開け放しのまま捨てておいて、イスラエルを追撃した。”
アイの軍は、イスラエル軍が逃げたと思い込み、自身の町を空っぽにして全軍で追撃を開始しました。その直後、主はヨシュアに告げられました。十八〜二十節、
“「あなたの手にある投げ槍をアイの方に伸ばせ。わたしがアイをあなたの手に渡すから。」ヨシュアは手にある投げ槍を町の方に伸ばした。すると、伏兵はすぐその場所から立ち上がった。ヨシュアが手を伸ばすやいなや彼らは走り、町に入ってそれを攻め取り、ただちに町に火を放った。アイの人々はうしろを振り返って見た。すると、町の煙が天に立ち上っていて、彼らには、どちらにも逃げる手立てがなかった。荒野へ逃げていたイスラエルの兵は、追って来た者たちの方に向き直った。”
仮に自分をアイの側に置いてみると、とても恐ろしい状況です。敵が逃げたと思い込み、全軍で逃げた敵を追撃しましたが、振り返ると、空っぽの自身の町が火に包まれていました。伏兵がいたのです。尚且つ、逃げたと思っていた前方の敵軍も自分たちの方に向き直りました。まんまと策に嵌められ、逃げ場もないという絶体絶命の状況です。
その結果として、二十二節、
“伏兵たちは町から出て来て彼らに向かった。そのため彼らは両側からイスラエルの挟み撃ちにあった。ヨシュアたちは、彼らを打ち殺し、生き残った者も、逃れた者も一人も残されないまでにした。”
このようにして、イスラエルは主に命じられた「伏兵を置く」ということを通して、アイを攻略しました。
図で解説するとこの様になります。
「伏兵」は辞書ではこの様な表現で説明されています。「戦闘時に先の展開を予想し、戦場に隠しておく兵士のこと」。おわかりのように、伏兵の最大の利点は隠れていることであり、そうすることにより敵の不意を突くことができるのです。
伏兵と本隊の連携も重要で、アイの戦いでは伏兵と本隊による挟み撃ちで敵をいとも簡単に殲滅しました。
そして八章を最後まで読み進めていくと、重要なポイントがさらに示されています。三十節には、次のような記事があります。
“それからヨシュアはエバル山に、イスラエルの神、主のために一つの祭壇を築いた。”
また三十四節は、
“その後、ヨシュアは、みおしえの書に記されているとおりに、律法のすべてのことばを、祝福ものろいも読み上げた。”
アイの戦いの勝利の後にどのような描写が続いているかというと、民が主に目を向け、礼拝を捧げる姿が描かれています。祭壇を築き、礼拝を捧げ、さらに主の教えである律法の言葉を余すところなく読み上げたのです。この様に、主への礼拝と、主の教えに立ち返ることを怠らなかったことが、八章の結びとして描かれています。
実は八章がこのような描写で締めくくられていることには、非常にわかりやすい理由があります。その理由を見るために、「伏兵」というキーワードから少し離れて、前後の文脈を確認していきます。ヨシュア記七章一節には次のように書かれています。
“しかし、イスラエルの子らは聖絶の物のことで主の信頼を裏切った。ユダ部族のゼラフの子ザブディの子であるカルミの子アカンが、聖絶の物の一部を取った。それで、主の怒りがイスラエルの子らに向かって燃え上がった。”
六章でエリコの戦いがありました。城壁が崩れるという大いなる主のみわざがなされて取られた勝利でした。しかし、その直後に、主を裏切ったものがいました。具体的には、アカンという人物が聖絶の物の一部を自分のものとしたということです。
そのような出来事があり、主の怒りがイスラエル全体に燃え上がっている状態でした。しかし当初、ヨシュアや民たちは自分たちがそのような状態に陥っているということに気づいていませんでした。そして、独自の判断で、エリコの次の都市アイへと攻め上りました。その結果大敗を喫しました。七章四節から五節にその描写があります。
“そこで民のうち、およそ三千人がそこに上って行ったが、彼らはアイの人々の前から逃げた。アイの人々は彼らの中の三十六人を打ち殺し、彼らを門の前からシェバリムまで追って、下り坂で彼らを討った。民の心は萎え、水のようになった。”
アイは決して大きな町ではなく、三千人程度の兵で攻め落とせるだろうという軽視がありました。ヨシュアもその報告を受け、主に伺うことなく少数で攻め上り、結果惨敗したのです。
そしてこの敗戦を経て、ヨシュアも苦しみ、絶望に打ちひしがれました。先代のイスラエルの民がエジプトを離れたことを後悔したのと同様に、ヨシュアも「ヨルダン川を渡らなければよかった」と嘆くほど信仰を失いました。
その後、ヨシュア記七章においては、十節で初めて主が登場します。ヨシュアの前に主が現れて、「あなた方には罪がある。それを清算しなさい」と告げます。
イスラエルはここで初めて自分たちの状態を認識し、そして今最優先になすべきことを教えられます。その結果、アカンは処罰され、イスラエルの民はその罪が清算できたということになります。
この七章を受けての八章です。それを踏まえて読むと、より大きな主のメッセージが見えてきます。
もう一度八章の一節、二節を見てみると、冒頭から「主はヨシュアに言われた」と記されています。一章の一節から「主」が出てきているのです。これは七章と大きく違う点です。主がヨシュアに言われました。「恐れてはならない。おののいてはならない。」
主と正しい関係にあるものは、主がともにいるからおそれおののくことはありません。
続けて主は「戦う民をすべて率い、攻め上りなさい」と命じています。今度は全軍で敵に向かいました。
人間の勝手な判断ではなく主の命令に従って行動することが重要であり、主が導く戦いと人間が自分でする戦いでは結果が大きく異なるということです。
このような前後関係があったので、イスラエルの民は、勝利の後、主への礼拝を忘れなかったのです。
そして、せっかくですので、九章にも少し触れておきたいと思います。ヨシュア記九章の三節から六節には次のような描写があります。
“ギブオンの住民たちは、ヨシュアがエリコとアイに対して行ったことを聞くと、彼らもまた策略をめぐらし、変装をした。古びた袋と、古びて破れて継ぎ当てをしたぶどう酒の皮袋をろばに負わせ、繕った古い履き物を足にはき、古びた上着を身に着けた。彼らの食糧のパンはみな乾いて、ぼろぼろになっていた。彼らはギルガルの陣営のヨシュアのところに来て、彼とイスラエルの人々に言った。「私たちは遠い国から参りました。ですから今、私たちと盟約を結んでください。」”
アイが攻略され、次にイスラエルが進攻する位置にあったのがギブオンでした。ギブオンの民はなんと和睦を申し出ました。
四節に「彼らもまた策略をめぐらし、」とあります。イスラエルのエリコ、アイでの勝利がどちらも種類の違う策略の中で得られた勝利ですので、「彼らもまた」とあるように、ギブオンの民も策略をめぐらしたというのです。どういう手を執ったかというと、自分たちは、次に攻められる対象の民ギブオンではなく、関係の無い遠い国から来た民であると装ったのです。そのために、長い旅をしてきたかのように古びた格好をしてイスラエルに接近しました。「遠くから来たので、私たちとはすぐに戦いになるような関係ではないから、私たちと盟約を結んでください」と、和睦を申し出ました。