主は、あなたと共におられる

2024年5月19日(日)新城教会牧師 岡本信弘

創世記 39章1~5節
“一方、ヨセフはエジプトへ連れて行かれた。ファラオの廷臣で侍従長のポティファルという一人のエジプト人が、ヨセフを連れ下ったイシュマエル人の手からヨセフを買い取った。
主がヨセフとともにおられたので、彼は成功する者となり、そのエジプト人の主人の家に住んだ。
彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを彼に成功させてくださるのを見た。
それでヨセフは主人の好意を得て、彼のそば近くで仕えることになった。主人は彼にその家を管理させ、自分の全財産を彼に委ねた。
主人が彼にその家と全財産を管理させたときから、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を祝福された。それで、主の祝福が、家や野にある全財産の上にあった。”

ハレルヤ! 主のみ名を心から賛美いたします。
皆さんおはようございます。前回、礼拝奉仕をさせていただいたのは冬でしたが、アッと言う間に今年も3分の1以上が過ぎて、春から夏に向かう季節となりました。今日、久しぶりにここに立たせていただいて心から感謝します。
実は私は先日、少し熱が出て、声が出なくなってしまいました。その日はPray for Revivalのメッセージを頼まれていたので、急きょ変わっていただいて、配信を見ていた方の何人かから、「先生、体調大丈夫ですか?」とご心配をいただきました。熱は半日ほどで下がり、大したことはありませんでしたが、まだ少しガラガラ声です。お聞き苦しいかもしれませんが、ご容赦ください。大きな病で戦っている方や、寒暖差が激しい中で体調を崩しておられる方もおられますので、お互いのためにも祈っていきたいと思います。
先日、上條先生が奥さんの直美さんの証しをされていました。私も時々、家内と一緒に直美さんの見舞いに行きます。先日行った時には、以前に比べて顔色も良く、喉に器具を付けるとお話しすることもできて、私が「痛いところはない?」と聞くと、「痛くないよ!」と微笑みながら答えてくれて、よかったなぁと思いました。続けて完全に癒されるように皆さんでお祈りしてまいりましょう。

いつも皆さんには、教会をはじめ、ミッションやプレイズのためにお祈りいただき、心より感謝いたします。
ミッションでは、先週水曜日からGo Toミッションが九州で行われており、久しぶりに順先生が出掛けておられます。今日は、礼拝と午後の集会もありますので、ぜひお祈りください。
また、先日は東京において能登半島地震のためのチャリティーコンサートが開催され、大変祝福されたと報告を受けています。
少し前になりますが、三月には能登半島での炊き出しが行われました。餃子を提供したいということで、私も現地に赴き、八百個の餃子を焼いて、ほかのものと一緒にお弁当にしてお渡ししました。雨風がひどく、大変な状況ではありましたが、皆さんがとても喜んでくださったので、本当に来てよかったなぁと嬉しくなりました。しかし、今なお家族や親族、友人・知人を亡くされ、悲しみの中にある人、不自由な避難所生活を余儀なくされている方が多くおられますので、ぜひ被災地のためにもお祈りしていきましょう。

プレイズのためにも、いつもお祈りありがとうございます。
二〇二三年度は、コロナが明けたこともあり、前年度よりも良い業績を収めることができました。それによって、少しですがミッションに献金をすることができたことも感謝でした。
また、現在、新しい取り組みにも挑戦しています。それは、障がい者の方々と連携しての、農業部門の開拓です。「先生、こんなに忙しいのに、まだ新しいことをやるんですか?」と、心配いただいていますが、楽しくさせていただいています。もう少ししたら、詳しい状況をお伝えできると思いますので、ぜひお祈りください。しかし、祝福されている一方で、人材が不足していますので、そのためにも祈っていただき、働きたいという方がいましたら、声を掛けていただければと思います。

さて、今日は何の日かご存じですか。毎年日は変わりますが、今日 五月十九日は、ペンテコステの日です。ペンテコステとは、日本語では「聖霊降臨(せいれいこうりん)」と言われ、人々に聖霊が注がれた日であり、教会が誕生した日でもあります。この日がなかったら今の教会というかたちはなかったかもしれません。
弟子たちが一同に集まり、主を待ち望み祈っている所に聖霊の注ぎがあったように、教会は、主を賛美し礼拝する場所であり、豊かな聖霊の注ぎがある所です。ある人は、今の時代、ネットも普及して、いつでもいろいろな先生方の礼拝メッセージを見たり聞いたりすることができるので、教会に行く必要がないのではないか、と考える人もいるようですが、それは大きな間違いです。教会は単に、日曜日に教会員が定期的に通うサークル活動ではありません。ここに来ておられる方は、そのことをよくご存じだと思います。
皆が一同に集まり賛美し、共に祈ることはとても重要です。礼拝にぜひ出席していただければと思います。

さて、本題に入ります。今日は、主に選ばれたヨセフから学んでいきたいと思います。
「ヨセフの生涯はイエスキリストの型である」とも言われています。聖書のみことばが書かれたのは、何千年も前のことです。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフの時代は、大昔です。しかし、聖書は、何千年も前の昔々のおとぎ話ではありません。みことばは、もちろん時代は何千年も前のことですが、こうして残されているということは、これを読むその時代時代の人たちに対して、今の時代に対して語っているということです。大切なのは、みことばを通して、主が私たちに何を語ろうとしているのかということを読み取ることです。

では、ヨセフとはどんな人物だったかを見てみたいと思います。
ヨセフの物語は、創世記三十七章から創世記の終わりの五十章まで続いています。ぜひ皆さんも、家に帰ってからじっくり読んでみてください。
ヨセフは、ヤコブから生まれた十一番目の子どもでしたが、ヤコブからことのほか愛された、という記事があります。ヨセフがヤコブに愛されたのは、ヤコブの最愛の妻ラケルから生まれた最初の子どもであったからということもありますが、ヨセフが神を信じ、神に委ねるという生き方を父ヤコブから学び、それを実践していたということも、愛された理由の一つだと思います。そして彼は、神さまへの純粋な信仰により、夢によって将来を見通す賜物を与えられていました。

ある時、将来、自分が兄たちの上に立つ、という夢を神さまから見せられ、そのことをお兄さんたちに正直に話してしまいました(これは、ヨセフが純粋で、屈託がない性格だったということを表していると思います)。そのことによって、兄たちの反感を買い、エジプトに奴隷として売られてしまうのです。しかし、そのような失敗から、彼はへりくだりを学ばされました。
ヨセフは、エジプトで奴隷生活を余儀なくされました(この点でもヨセフの生涯は、幼少時代、人々に認められなかったイエスの生涯に類似していると言われています)。しかし、この後のヨセフの生涯に、失敗や大きな罪は見いだせません。
それを踏まえて、ヨセフの人生を大きく左右することになった創世記三十九章を少し学んでみましょう。彼の生涯を通して語られているみことばのキーワードは、「主が共におられた」です。

まず三十九章一~二節をお読みします。

『ヨセフがエジプトへ連れて行かれたとき、パロの廷臣で侍従長のポティファルというひとりのエジプト人が、ヨセフをそこに連れて下って来たイシュマエル人の手からヨセフを買い取った。主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。』

ヨセフは、兄たちから奴隷としてエジプトに売られ、本来、一番愛されるべき兄弟や家族から見捨てられ、「存在否定」されるという深い傷を負いました。
ヨセフがエジプトの高官ポティファルの奴隷として働くようになったのは、若干十七歳の時でした。現代なら高校生です。奴隷は、人間扱いされず物のように扱われていて、掃除や家畜の世話など、その仕事は想像を超える重労働だったと思います。
そんな中でも、ヨセフは自ら進んで本当の主人である神に仕えるかのように、地上の主人に従いました。彼は、嫌々ながらではなく、神によって与えられたその場所で、喜んで仕えたのです。彼のこの姿は、すべてのクリスチャンに主が求められていることです。
皆さんは、時として文句や愚痴を言いたくなる時があると思います。しかし主は、家庭や職場、学校において、皆さん一人ひとりに与えられているポジションにおいて、どんな時にも忠実に仕えることを私たちに願っておられるのです。

コロサイ人への手紙 三章二十二~二十四節にはこうあります。

『奴隷たちよ。すべてのことについて、地上の主人に従いなさい。人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方ではなく、主を恐れかしこみつつ、真心から従いなさい。何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。あなたがたは、主から報いとして、御国を相続させていただくことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。』

主に召されている私たちに、主に仕えると同じように、地上の主人に仕えていきなさいと教えています。そうするなら、御国を相続させていただくことができます。そしてそれは、神さまの栄光を現すためです。
ヨセフは、この場所で奴隷生活をしていることが、将来どのように影響を及ぼすことになるのか、考えたこともなかったでしょう。しかし、この時すでに神さまの計画は進められており、イスラエル民族を救うために、主は、ヨセフを選んでおられたのです。
それと同じように、今ここにいるあなたも、「神さまから選ばれた者」なのです。しかし、「選ばれた」と言われても、何のために選ばれたのか分からない人もいらっしゃると思いますが、確かなことがあります。それは、「神さまは、あなたを必要としているから選ばれた」ということです。創世記に出てくる人物、アブラハム、イサク、ヤコブやヨセフは、人類救済のために特別に選ばれた偉大な人物です。私たちは彼らのような大きな働きはできないかもしれませんが、神さまが目的を持ってあなたを選ばれたのは事実です。

皆さんの身近にも、「この人は確かに何か違う。主が選ばれた人だ」と思える人がいると思います。私が思うその一人が、皆さんもよくご存じの、九年前に召された滝元明先生です。
明先生は、津具村という片田舎に育ち、18歳の時、農業研究を志して東京へ勉強に行きました。七十数年前、上京すること自体が珍しいことだったと思うのですが、その学びの途中で、イエスさまと出会い、主を信じました。神さまのご計画は、津具村から一度先生を引き出して東京に導き、学びの間にイエスさまに出会わせ、救い、かつてリバイバルが起こったことのある郷里 津具村へ、伝道のために再び戻らせることだったのです。そして、後にこの新城市で開拓伝道が開始され、今ここに教会があるわけです。伝道を始めた当初は、家族からも誰からも理解されず、協力者もおらず、お金もなく、もちろん信者もいない、大変なところを通らされたと聞いています。そんな時、明先生を支えたのが、奥さまの清子先生です。共に祈り、支え合って困難を乗り越えてこられました。
そして明先生を支えたもう一つは、世界宣教の幻でした。それは、「あなたは将来、日本全土および全世界を飛びまわる伝道者となる」と神さまが直接、明先生に語られたものでした。「世界各国、あなたはこの国、あの国、これこれの国を回って伝道するようになる」と、行ったことも聞いたこともない、具体的な国の名前が語られ、先生はそれをメモしておいたそうです。
それから数十年の月日が経ち、振り返った時、日本全国はもちろん、かつて主が幻によって語られたメモしておいたすべての国から招かれ、伝道旅行されたことを聞きました。神さまは、明先生を伝道者として用いようと決めて選ばれたのです。主がヨセフと共におられたように、明先生と共に主はおられ、先生のすべてを成功させてくださったのだと分かります。