弱い者に『私は勇士だ』と言わせよ。

正直辛い時があります。どうしてだろう? どうしてだろう?と主に問いただしたことが何回かあります。そんな時に、ある時みことばで私に語ってくださいました。それは伝道者の書の三章十一節です。

『神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。』

しかしはじめは『神のなさることは、すべて美しい。』いや、美しくないと思ってしまいました。しかしその後で主が教えてくださいました。『人の心に永遠を与えられた。』このことばを通して、私の心の中に語ってくださいました。
またヨハネの三章の十六節、有名なみことばですけ、『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』
「永遠のいのちをおまえに与えたじゃないか? 」と私に語ってくれたような気がしました。何でこんなことを主が私に、分かっているのに、語っているのかな?と思った時に、主が更に祈りの中で「あなたは人生のスパンを、生まれた時から死ぬまでの、この地上だけのスパンで考えている?と語られました。その時はっ!と思ったのです。

「そうだ。自分は苦しい事ばかり考えている。しかし『人の心に永遠を与えられた。』と私は語っているのではないか? 「あなたは、永遠、永遠を見なさい。永遠におまえを生かすために私は十字架にかかったんだ」「あなたに永遠の命を与えた。永遠を見なさい。永遠の計画を悟りなさい。」というふうに神さまが語ってくださった様な気がしました。その時、言葉にはならない言いようもないような喜びと感謝に満ちました。エペソ六章十一節に

『悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。』

とありますが、悪魔の策略にはまっていたなぁと教えられました。私たちは先ほどのヨハネ三章十六節のように、「永遠のいのちをお与えになった。」とある様に永遠のいのちを見えなくさせられていた。永遠の命という、何と素晴らしい命を頂いている。と策略から目が開かれ、再度みことばの剣をしっかり持つことができました。そして「永遠」ということが再度理解したとき、この世の生きている事だけに目を留めてしまい、行き詰まって、苦しんでいた自分が馬鹿らしく思えました。第一コリント十二章二十二節

『それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。』

このみことばを、永遠の命を知って、だめだと自分を責め、主のことばを理解できなかった自分が恥ずかしく思いました。今多くの苦しみ、大変さを覚えていらっしゃる方。あなたはなくてはならないものなのです。なくてはならない存在です。ローマ書二章十一節、

『神にはえこひいきなどはないからです。』

あの人を愛し、この人は愛さない。おまえは駄目だ、おまえなんか選んでない。そんな神ではありません。すべてえこひいきなく愛してくださっています。また申命記七章六節に、

『あなたは、あなたの神、【主】の聖なる民だからである。あなたの神、【主】は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。』

あなたを選んでご自分の宝の民にしてくださったと、主は語ってくださっています。この宝とは、ヘブル語でどういう意味があるかというと、「特別な所有物だ」そうです。
ですから、「あなたは宝物だよ」と言われることは、「あなたは特別な所有物だ。」という事です。なんと素晴らしいことでしょう。主は私、あなたを宝物としてくださる方です。そんな中で、詩篇百三十五篇四節、

『まことに、主はヤコブを選び、ご自分のものとされ、イスラエルを選んで、ご自分の宝とされた。』

マタイ六章二十節には、

『自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。』

とあります。主が私を宝物だと語って下さるなら、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともない、宝物を私たちは、天にたくわえましょう。私たちは元気な時には、自分がやったと思い上がり、知らない間に神の宝ものを天にたくわえるのではなく、この地上に宝をたくわえてしま
います。しかし、今、自分が弱い、苦しい立場になって、みことばを深く主から聞いて学んでいくうちに、私は本当に選ばれた民なんだ!主はこの地上で苦労したものに対して、ただ苦しんで終わりとなさらない。何の不自由のない人より、天に宝物を積んでくださる。えこひいきのない神ですから、この地で苦しんで、何もなしではなく、あなたのために天において宝物を積んでくださる方。与えてくださる方。主が「おまえよく頑張った」と天で宝を下さる方だと信じます。イザヤ四十三週一節〜四節、

『だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。わたしは、エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。』

あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。この世で、病や苦しみ、問題を抱えた人は、特別主があなたを守り、水に流されないように。火の中でも焼か
れず、炎は燃えつかない。そのように大変な状況を通った人には、エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだとあります。このみことばは川の中や、火の中を通った人に与えられる祝福として、

『エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。』

という特別プレゼントを下さる神です。詩篇一二六篇五節

『涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。』

必ず苦しんだ方に対して助け、祝福を刈り取る時が来ると信じます。弱い所、大変な所を通っている人、ぜひ主を信じてください。マルコ十二章二七節

『神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。あなたがたはたいへんな思い違いをしています。」』

主は今も生きています。あなたを宝物だと言って下さる神は、川の中や、火の中を通った人に与えられる祝福として、『エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。』という特別プレゼントを下さる神です。主にしたがって行く時、あなたを特別守り、特別祝福してくださる方です。苦しんでおられる方。苦しみに目を注がないでください。Ⅱコリント十二章九節~十節

『しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。』

私たちは弱い時にこそ強いのです。ですから私は今朝家内に「メッセージだから祈って」と言って、祈ってもらいました。悪魔悪霊は、「弱い。おまえは駄目だ。」と、私たちに弱いところに目を向けるように語ってきます。そして私たちは、「弱い。駄目だと」受け取ってしまいます。否
定的になりやすいものです。現状を見させて駄目だと思わせて来ます。そうすれば主の働きがストップするからです。そして悪魔悪霊どもは、「おまえか愛されてないぞ。おまえなんかイエスさまに救われてないぞ!なんで牧師なんかやっているんだ。」と語ってきます。みことばの剣を持たせないようにしてきます。みことばの剣がなければ、彼らは思い通り働けます。しかし、今日、イエスさまは、先ほど読んだ第二コリント十二章九節〜十節

『しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。』

『わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである』

そして『私が弱いときにこそ、私は強いからです。』と言っています。今日どんなに苦しんでいても、主を認めましょう。そして弱いからこそ、みことばの剣を持ちましょう。先ほどのみことばの最後のことばを皆さんで宣言しましょう。『私が弱いときにこそ、私は強いからです。』
病気、問題、困難で弱くて戦えないと思っている人に、悪魔悪霊は、剣を持って、「戦うんじゃない」と、訴えてきます。悪魔は一番、その弱っている、苦しんでいる人の剣を持ってしまうと、霊的にどんなに大変なことが起こるのか知っているからこそ、苦しんでいる方々などに、「お前は弱い。だめだ」と大変な現状を見させてきます。しかし、今日、『私が弱いときにこそ、私は強いからです。』弱さを持っている方々、弱さを自覚している方々、ぜひ覚えてください。あなたは弱いんじゃない。あなたは主の目から見たら宝物。特別な所有物、高価で尊い人です。ヨエル書三章九節~十節

『諸国の民の間で、こう叫べ。聖戦をふれよ。勇士たちを奮い立たせよ。すべての戦士たちを集めて上らせよ。あなたがたの鋤を剣に、あなたがたのかまを槍に、打ち直せ。弱い者に「私は勇士だ」と言わせよ。』

弱い者に「私は勇士だ」と言わせよ。とあります。士師記六章十一節~二一節

『さて【主】の使いが来て、アビエゼル人ヨアシュに属するオフラにある樫の木の下にすわった。このとき、ヨアシュの子ギデオンはミデヤン人からのがれて、酒ぶねの中で麦を打っていた。【主】の使いが彼に現れて言った。「勇士よ。【主】があなたといっしょにおられる。」ギデオンはその御使いに言った。「ああ、主よ。もし【主】が私たちといっしょにおられるなら、なぜこれらのことがみな、私たちに起こったのでしょうか。私たちの先祖たちが、『【主】は私たちをエジプトから上らせたではないか』と言って、私たちに話したあの驚くべきみわざはみな、どこにありますか。今、【主】は私たちを捨てて、ミデヤン人の手に渡されました。」すると、【主】は彼に向かって仰せられた。「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。」ギデオンは言った。「ああ、主よ。私にどのようにしてイスラエルを救うことができましょう。ご存じのように、私の分団はマナセのうちで最も弱く、私は父の家で一番若いのです。」【主】はギデオンに仰せられた。「わたしはあなたといっしょにいる。だからあなたはひとりを打ち殺すようにミデヤン人を打ち殺そう。」すると、ギデオンは言った。「お願いです。私と話しておられるのがあなたであるというしるしを、私に見せてください。どうか、私が贈り物を持って来て、あなたのところに戻り、御前にそれを供えるまで、ここを離れないでください。」それで、主は、「あなたが戻って来るまで待とう」と仰せられた。ギデオンはうちに入り、一匹のやぎの子を料理し、一エパの粉で種を入れないパンを作り、その肉をかごに入れ、また吸い物をなべに入れ、樫の木の下にいる方のところに持って来て、供えた。すると、神の使いはギデオンに言った。「肉と種を入れないパンを取って、この岩の上に置き、その吸い物を注げ。」それで彼はそのようにした。すると【主】の使いは、その手にしていた杖の先を伸ばして、肉と種を入れないパンに触れた。すると、たちまち火が岩から燃え上がって、肉と種を入れないパンを焼き尽くしてしまった。【主】の使いは去って見えなくなった。』