先ほども少し触れましたが、現在、「新冷戦時代」が始まっていると言われます。知らないうちに、日本の周りはほとんど赤色になってしまいました。これに対抗できる存在は、神による天地創造を信ずる教会しかないのです。
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北朝鮮は、去年、ロシアとパートナーシップ条約を結びました。北朝鮮に何かあったら、ロシアが出るということです。日本はアメリカと安全保障条約を結んでいます。日本が攻撃されたら、アメリカが出てくるのと同様に、北朝鮮はロシアとパートナーシップ条約を結びました。現在の北朝鮮は今までの北朝鮮ではないのです。ロシアそのものであり、中国そのものなのです。北朝鮮は貧しくて、弱い国だと思っていたら、軍事的にはロシアそのもの、中国そのものになりました。ある意味、世界最強の国になってしまったのです。
そして現在、韓国が政治的にも揺り動かされています。韓国が北朝鮮に攻められたら、日本は戦いに巻き込まれます。
かつての東西冷戦時代、力を発揮したのは、教会でした。教会が神の軍隊として機能し、危機から世界を救ったのです。
昨日の先生方のメッセージを聞いていて、一つのテーマがあったように感じました。それは、神が一人ひとりに賜物を与えておられると言うことと、賜物を豊かにしなければならないという共通したメッセージでした。賜物とは原石のようだという例えがありました。ダイヤモンドは原石では価値はなくとも、磨くと高価な宝石となります。ダイヤモンドは非常に硬い鉱石で、どのように磨くのか、その技術がありませんでした。しかし自らのダイヤモンドの粉で磨く方法が開発されて、ダイヤモンドは光輝くようになったと語られていました。
私たちにも原石のような賜物が与えられています。それを磨き、主のために用いなさい!と語られました。それは、主が帰られる道を整えるためなのです。
私にも共通するみ言葉が与えられていました。それは、エペソ人への手紙四章十節から十二節です。
“この降られた方ご自身は、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方でもあります。こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。”
「キリストのからだ」とは、イエスさまをかしらとする「教会」を指します。
教会の中にはそれぞれの役割があります。「ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました」とあるからです。
アメリカでも韓国でも、クリスチャンの教会離れが多いのですが、彼らは信仰を失ったわけではありません。彼らは気の合う仲間たちと集まり、小グループでカフェや、家庭に集まる、教会らしき「家の教会」形式が流行っています。それはある面ではよい面もある一方、家の教会は世代を越えて、働きが継続されることはめったにありません。中心的な人物がいなくなれば、自然消滅します。ただ、聖書研究をしたり、主を礼拝しさえすれば教会として機能するのかというと、そうではないのです。なぜなら教会とは、霊的軍事組織だからです。
ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、伝道者、牧師、教師として立てられ、さらにキリストのからだを構成する種々の賜物が有機的に組み合わされるとき、初めて敵に立ち向かうことができるのです。
教会とは、二千年の長い歴史と激しい戦いをくぐり抜け、苦しみと涙で形成されてきた霊的組織です。悪魔はその形態を今や真剣に変えようとしています。教会を軍隊ではなく、ただの仲良しクラブにしようとしています。それは警戒しなければならないことだと私は感じています。
新城教会は今年で七十五年の歴史となります。さまざまな戦いを経て、ここまで生き抜いてきました。さらに、世代を超えて、キリストのからだを立て上げ続けなければならないのです。お一人一人、偶然に教会に来られたのではありません。キリストのからだに属し、神の軍隊を構成する兵士として、選ばれたのです。戦争とは、国を挙げて組織的に戦うものです。霊的戦いも、教会を挙げて、キリストのからだ全体で戦う戦いです。そうでなければ決して悪魔に勝利することはできません。
第一テモテ三章十五節
“それは、たとい私がおそくなった場合でも、神の家でどのように行動すべきかを、あなたが知っておくためです。神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。”
最近、この箇所からよく語っています。柱と土台、そして基礎はそれぞれの役割が違います。
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基礎とは、硬いコンクリートの部分です。土台とは、その上に横たわる横木の部分です。そして、その土台上に建てられるのが柱です。
基礎とはイエスさまです。しかし、教会が受け持つのは「土台と柱部分」です。もしも土台と柱が腐っていたら、いくらイエスさまが基礎であったとしても建物は倒れます。真理の柱が倒れたら、どうなるでしょうか。
柱とは、創世記二十八章十七節のヤコブのはしごにつながります。
“「この場所は、なんと恐れ多いことだろう。ここは神の家にほかならない。ここは天の門だ。」”
神の家、イコール教会です。教会は、天から伸びるはしごの着地点です。天からはしごが下ろされる場所、それが教会です。もしも教会がはしごを失ったら、この地に天の軍隊を呼び込む門は閉ざされてしまいます。
今年、この教会が神の家として、天の門として機能するように心から願っています。
私は十二月二十六日の明け方に夢を見ました。誰かが私の耳元に来て、こう話しかけたのです。
「二〇二五年、それは神がご自分の働きを加速される年です」と。
去年は「主よ。遅れないでください」と祈っていましたが、二〇二五年は神がご自分の働きを加速されると言うのです。
これはあくまでも夢ですから。でも、されど夢という部分もありますから、心に留めてもいいかもしれません。
二〇二五年、教会が神の軍隊として機能するならば、主はご自分の働きを加速されるはずです。
最後に、私が受け取ったみことばを紹介して、終わりたいと思います。
イザヤ書六十章十八節から二十二節の言葉です。これを目標にしたいと願っています。
“あなたの国には暴虐はもう聞かれず、あなたの領土には暴行と破滅は聞かれない。あなたは、あなたの城壁を救いと呼び、あなたの門を賛美と呼ぶ。太陽はもはや、あなたの昼の光とはならず、月の明かりもあなたを照らさない。主があなたの永遠の光となり、あなたの神があなたの輝きとなる。
あなたの太陽はもう沈むことがなく、あなたの月は陰ることがない。主があなたの永遠の光となり、あなたの嘆き悲しむ日が終わるからである。あなたの民はみな正しい者となり、永遠にその地を所有する。彼らは栄光を現す、わたしが植えた枝。わたしの手で造ったもの。最も小さい者も軍団となり、最も弱い者も強国となる。わたしは主。時が来れば、速やかにそれをする。」”
「時が来れば速やかにそれをする」とあります。二〇二五年が神の時として、遅々として進まなかった神の働きが、速やかに実行されることを心から願います。
“ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。”(ヘブル人への手紙十章二十五節)
熱心に教会に集まり、神の軍隊を形成しようではありませんか。この世の風潮に流されてはいけません。
一言お祈りします。
天の父なる神さま、み名をあがめて心から感謝をいたします。二〇二五年を始めてくださったことを感謝します。教会を神の軍隊とし、一人一人の賜物を引き出し、主の兵士として用いてください。今年はあなたの計画が加速される年であると信じます。今まで動かなかった事柄が動き始め、勝利を見る年となりますように。尊いイエスさまのみ名によって、祈りをみ前におささげいたします。アーメン。