「父の無条件の愛」

神さまは私の名前が「公畑フェルナンド」であるということもご存じです。そして、あなたの名前も、あなたの名前も、あなたの名前も、個人的にご存じです。神さまはあなたの名前をご存じです。そして忘れることはありません。あなたがどこにいるのか、どんな様子であるのかもご存じなのです。

そしてこのみことばには、「わたしは手のひらにあなたを刻んだ」と書いてあります。その意味は、神さまはあなたをご自身の心と手のひらに刻んでいるということです。手は体の中で一番使う場所です。私たちは自分の手をよく見ます。ですからあなたが神さまの手の平にいるなら、あなたを決して忘れないという意味です。

 

第一ヨハネ四章九〜十節、

 

『神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。』

 

そして聖書の最も有名なみことばである、ヨハネの福音書三章十六節には、『神は実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された』とあります。その愛とは、私のために何も惜しまず与える愛です。私たちのためにすべてを与えてくださる愛です。あなたが非常に大きな神の愛を理解する時に、自分の子どもを差し出し、自分のために何も残さないその愛に圧倒されるでしょう。イエスさまが来られた時に、「わたしを遣わされた父は、子が死ななければならないことを知っていたにも関わらず遣わされた」と言われました。私たちを愛するがゆえに、自分のひとり子をこの地に死に渡すために送られた。なんとすごい愛でしょうか!

あなたがこの神の愛を体験し、その愛に生きるとき、神が一切を惜しまなかったことを知るとき、あなたの人生も同じようになります。あなたが神さまに人生を惜しみなく捧げきることができます。すべてを明け渡し、すべてを与え、神があなたに求めたものを何でも差し出すことができます。神のために生き、神のために息をします。それが私たちの人生です。彼が私たちの情熱です!どんなに誘惑があっても、神に対する愛によって、神さまをがっかりさせることはしたくないので踏みとどまるのです。悪い罪をすることはありません。

 

第一ヨハネ四章十九節、

 

『私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。』

 

初めに神さまが私たちを愛してくださいました。神さまは私たちを射止められました。大きな愛で射止められました。そして神さまはその愛を私たちに味わってほしいと願っています。

しかしこの愛は人をえこひいきするものではありません。神の愛は非常に特別です。あなたの背が高くても、低くても、太っていても痩せていても、金持ちであろうと貧乏であろうと、国籍も関係なく、あなたを愛しているのです。そしてあなたのためにいつも両手を広げて待っておられるのです。神さまにはへだたりはありません。白くても黒くても黄色くても、髪の毛があってもなくても、神はあなた自身、そのままを愛しておられます。神さまはえこひいきをされません。これは神の愛の素晴らしいところです。

 

三番目に、この愛は私たちの自尊心を回復させる愛です。自分に対する神の愛を確信している時に、自分の中にあるものを高めてくれます。自分には価値があると感じ始めます。他の人にとって、自分は価値がないかもしれないけれども、神にとって自分は価値があるのだと感じることができます。

 

四番目、「神さまの愛は私たちを家族の中に住むようにします。」詩篇六十八篇六節前半をお読みします。

 

『神は孤独な者を家に住まわせ、捕らわれ人を導き出して栄えさせられる。』

 

たとえ良い家庭に恵まれなかったとしても、神の家族へと入れられた時に、素晴らしい家族の一員になることができます。神は私たちが家族の中に住むようにされます。なぜなら父の愛が私のうちにあり、あなたの内にもあり、その愛が私たちを結びつけるからです。私たちは一つの家族です。神さまの愛によってです。

 

五番目に、もう一つ大切なことがあります。「神の愛は深い癒しを私たちに与えてくださいます。」あなたがそれを心で感じる時に、すべての恐れから解放されます。第一ヨハネ四章十八節、

 

『愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。』

 

父なる神の愛が私たちに触れ、満たすとき、不安は消え、恐れは消え、疑念は消え、裁きへの恐れ、神の罰への恐れ、将来への恐れ、破産の恐れなどが消えます。今私たちは、コロナのパンデミックの中に一年以上いるわけですが、この中にあっても、私たちは「私は安全である。」と言うことができるのです。なぜなら神さまが私たちを愛してくださっているからです。神は私たちのすべての不安を取り除いてくださるのです。それは私に知識があるかということではなく、またいろんな予防策を講じているから不安でないというのではなく、恐れないようにしているからではなく、私たちは確信しているからです。神さまが愛してくださっているということを。それが私たちに対する神さまの愛の確信です。神さまは私たちを恐れから解放し、私たちの不安な気持ちを取り除いてくださるのです。

ですから、あなたは神さまがあなたを愛しておられることを本当の意味で知る必要があります。神さまの愛が現実的にあなたの人生にあるということを知る必要があります。

 

最後に第一ヨハネ五章三〜四節、

 

『神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。』

 

ではどのようにこの愛に応えていけばいいのでしょうか?感謝することです!どのようにこの愛に応えればいいでしょう?私たちは一つの家族ですから、お互いに愛し合うことです。キリストにあって兄弟なのですから。ある兄弟姉妹たちの中で何か気に食わないことがあるかもしれませんが、私たちはキリストにあって兄弟だと聖書は言っています。ですからお互いに愛し合うことをしなければなりません。天にいる一人の父がいて、長男であるイエスさまがいます。そして私たちは兄弟なのです。ですから私たちが神の愛の中に生きていかなければなりません。ただ頭で理解していくのではなくて、心の中で神の愛を体験していくことが必要です。それではお祈りいたしましょう。

 

 

父よ。今日のみことばを感謝します。あなたの永遠で素晴らしい愛を感謝します。その愛は私たちを守るために行動してくださった愛であることを感謝します。あなたはこの地が据えられる以前から私たちを愛してくださいました。その愛に値しない私たちを愛してくださったことを感謝します。私たちはその愛にふさわしくありませんでした。しかしあなたの愛が私たちに触れてくださいました。私たちの人生にあるあなたの愛が現実的に見えるようになりますように。今日からあなたと共に歩んでいきたいです。あなたの一つ一つの愛に気づかないで見過ごすことがありませんように。父の愛で私たちを新しくしてください。

そしてこの朝、兄弟姉妹たちのためにも祈ります。男性も女性も、若者も子どもたちも、ここにいる全ての人たちのためにお願いします。またインターネットで見ている人たちのためにもお願いします。始まった新しい週、毎日一つ一つの神の愛に気づき、あなたの愛によって驚くことができますように。そしてお互いに愛し合うことができますように。あなたの中にあって神の家族であるからです。神の愛によって私たちを一つにしてください。イエスさまの名前によって祈ります。アーメン。