誠実に生き続ける

 

そして、新約の時代の神さまご自身の壮大な救いのご計画は、イエスさまがこの地上に帰ってこられて、この地上に神の国が打ち立てられること、み国が来たことが神さまご自身の究極の壮大な救いのご計画です。

私たちが誠実に歩み続けるとき、私たちが神さまの祝福と恵みを受け取るだけでなく、その壮大なご計画の一端を担う者とされるということも覚えていきましょう。そして、神さまに対しても、人に対しても誠実に生きる者となっていきたいと思います。

私自身、誠実に生きることができない者ですが、神さまに教えられ、励ましを受けていますので、皆さんと共に学んでいきたいと思います。

 

先日の礼拝においてフェルナンド先生が「神の恩寵のもとで生きるためには、誠実に生きることが大切だ」と教えてくださいましたので、今、主がこの教会に語ってくださっているテーマであることを覚えます。

また、滝元順先生が過去を振り返り、その時に誠実に生きた方々の証しを分ち合い、今の新城教会があることを語ってくださっています。神さまは、ナオミやルツ、ボアズを用いてダビデ王の家系に繋がる計画を進めましたが、全能なる神さまがしようと思えば、そのように周りくどく人々を用い必要もないと思いますが、それでも、神さまはナオミ、ルツ、ボアズを用いて、ご計画を実現されました。

 

滝元順先生が最近語られているみことばで、「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見出す。」という聖書の一節があります。

「あなたのパン」と、私たち自身がまくべきパンがある。私たち自身が神さまに任されたことがある。神さまは、私たちに誠実な生き方を求めておられます。

そして、その後に「ずっと後の日になって、あなたはそれを見出す」とあります。他の誰でもなく、あなた自身が見出すのです。私たちが任された誠実な生き方を通して、私たちは神さまが用意された素晴らしい祝福と未来を見出す約束があります。

 

ここまでルツ記を学んできましたが、最後に申命記七章九節を紹介します。

 

“あなたは、あなたの神、主だけが神であることをよく知らなければならない。主は信頼すべき神であり、ご自分を愛し、ご自分の命令を守る者には恵みの契約を千代までも守られる。”

 

ニューキングジェームスという英語の聖書だと、

“Therefore know that the Lord your God, He is God, the faithful God who keeps covenant and mercy for a thousand generations with those who love Him and keep His commandments;”

 

ヘブル語でもこのような順番になっているということですが、「covenant」というのは、「契約」です。「mercy」というのは、「恵み・憐れみ」といった言葉ですが、この言葉も「ヘセド」という言葉が使われています。「誠実」という言葉になるわけです。

千代に至る契約と誠実、へセド。神さまが神さまの誠実を千代に尽くしてくださる。それが神さまからの約束であります。私たちにはそのような素晴らしい、永遠に誠実な方である主が、私たちに千代に至るまで、家系に渡って誠実を尽くしてくださるということも覚えていきたいと思います。

 

最後に一つの証しをして、このメッセージを閉じたいと思います。先週の聖日は、順先生が私の母の証しをしてくださいましたが、私の家系の中に主が働かれているということを見る機会でありました。今日はその続編をお話ししたいと思います。

母が天に召される三ヶ月前、不思議と神さまが滝元順先生に思いを与えてくださって、母に働きかけてくださり、イエスさまを信じる祈りを一緒にすることができました。その背景には、かつて戦後間もない頃に行われた天幕集会で滝元明先生がメッセージをされて、そこに幼少の母が集会に行ったことがあったようで、神さまご自身の導きがその時からすでにあったことが話されました。

そして、母が天に召されて約一年後、祖母(私の母の母)が私の家を訪ねてきました。これは伝道のチャンスだと思い、祖母を「ナザレうどん」に連れて行って、クリスチャンの作る美味しいうどんを食べました。その後、ヘブンズカフェに連れて行きました。

ちょうどその時、四元先生がいらっしゃって、祖母にイエスさまの話をしてくれました。祖母はそこでイエスさまを信じる祈りをささげました。本当に素晴らしいひとときでした。

しかし、その一ヶ月後に祖母は突然天に召されました。神さまの備えがあったと感じます。祖母の仏式の葬儀の中で、ある女性が私に話しかけてきました。「あなただけじゃないのよ」と言ってくれました。その言葉の意味が最初はよくわからなかったのですが、彼女は私に一枚のCDを手渡してくれました。それは「ユーオーディア」というクリスチャンのクラシックミュージックのグループのCDでした。

私は「クリスチャンですか?」と尋ねたところ、彼女は「そうです」と答えました。なんと、その女性は私の祖母の一番下の妹で、関東圏に住んでいるクリスチャンでした。彼女が集っている教会に、ユーオーディアの方々がよく来て演奏をしてくれると言うのです。私の母の家系にクリスチャンがいたことを、私は全く知りませんでした。

 

更に話を聞くと、クリスチャンの祖母の妹の叔母(曽祖母の妹)が戦後の東京に住んでいて、GHQが日本に来ていた頃、米軍のジープに轢かれてしまい入院したそうです。

その時、米軍の方がよくお見舞いに来てくれて、チョコレートを持ってきてくれたりしたそうです。その米軍の方はおそらくクリスチャンで、その出来事をきっかけに曽祖母の妹は教会に通うようになり、洗礼を受けてクリスチャンになったそうです。

祖母の妹は、幼少期によくその叔母(曽祖母の妹)からイエスさまの話を聞いていたそうです。祖母の妹は、三十代の頃にとても苦しい時期を過ごしていた時、台所に立ちながら神さまに祈ったそうです。その時はすでに教会に通っていたそうなのですが。すると不思議な体験をし、「今は苦しくても、この道を行きなさい。その時が来たら私は祝福する。」そんな言葉をかけられ、洗礼を受ける決意をし、クリスチャンとなったそうです。今でも信仰生活を続けています。

 

私の母の家系に、こんな素晴らしい神さまのみ業がありました。家系の中で、クリスチャンはマイノリティーの存在であったと思います。戦後、大変な生活の中にもあったと思います。しかし、一人ひとりの祈り、日々の誠実な歩みが、母の家系において、千代に至る祝福、誠実な神さまが誠実を持って応えてくださったという、一つの証しではないでしょうか。

 

私たちがこの世の生活の中で、目の前に起こっていることが、どんなに悲劇と思われる状況の中にあっても、困窮していても、主に見捨てられてしまっていると思うような時を過ごしていても、また自分自身が行っていることの意味が完全に理解できない、それが将来どのように生かされていくのか、また将来どうなってしまうのか、心配、不安、恐れを抱いたり、憂いたりすることがあったとしても、今日ルツ記を通して学んだように、日々主に対して、人に対して誠実に生きるということを、神さまからのチャレンジとして受け取っていきましょう。

 

現代社会は、士師記の時代のように、自己中心的な価値観が広がっていて、誠実に生きることは難しいかもしれません。しかし、そのような時代の中にあっても、ルツやボアズを「はからずも」「ちょうどそのとき」と導いてくださった主が、私たちの主です。主のときの中で私たちを導いてくださっています。大麦と小麦の刈り入れの季節が神さまによって備えられていたように、私たちも困難な時代、暗い時代と思うような時代の中に生きているのではなく、また私たちは悲しみや苦しみの問題の中で生きているのではなく、大麦と小麦の刈り入れの季節、神さまのシーズンの中に生かされているということを共に覚えていきましょう。

 

私たち人間は、今という時しか見えなくて、本当に弱い存在です。私自身も誠実に生き続けることが難しいですが、永遠に誠実な主が、私たちに誠実を尽くしてくださることを覚えて、励ましを受けて、主に、また人に対して私たちは誠実に歩んでいきたいと思います。

神さまご自身が私たち一人ひとりの誠実さを点と点を線で結ぶように繋げ、糸を織りなし絵を完成してくださるかのように、素晴らしい神さまご自身の壮大なご計画を私たちの一つ一つの日常の誠実な生き方を通して現してくださいます。その過程の中で、ルツやボアズ、ナオミが受け取った回復、愛、祝福を、私たちも受け取っていくことができます。永遠に誠実な主は、今、私たちと共に生きておられていますので、私たちに用意された素晴らしい未来、将来、希望は決して失われることがありません。

最後にお祈りをして、メッセージを閉じさせていただきます。

 

ハレルヤ、父なる神さま、イエスさま、聖霊さま。イエスさま、あなたの十字架の贖いを心から感謝します。神さまによって買い取られた者であり、神さまの子どもとされていることを感謝します。このような時代の中にあっても、また私たちが直面するさまざまな問題や困難、苦しみ、悲しみの中にあっても、主よ、私たちはあなたのみ手の中で、あなたの季節の中で、生かされていることをありがとうございます。

主よ、私たちは弱い者ですが、誠実な主が私たちを強め、誠実に生き続けることができますように。その中で、素晴らしい神さまご自身の壮大なご計画が今日も現されていくことを覚えて心から感謝いたします。

神さま、あなただけを見上げて、また私たちが隣人に対しても誠実に生き続けることができるように、私たち一同に励ましを与えてください。

そしてまた、今という大切な時に、私たちが誠実な生き方を落とし、恵みを受け損なうことがないように。また、イエスさまを今求めておられる方、イエスさまとまだ出会っていない方、洗礼を迷っている方々、神さまの時がありますから、その時を主が備えてくださって、「今」という時に、主に応えることができるように、祝福してくださいますように、お願いいたします。

今日の恵みの時を心から感謝します。すべての栄光を主にお返しし、イエスさまのお名前によって父なる神さまに祈りをおささげいたします。アーメン。