ともに走ろう!

2025年2月16日(日)ムンフ・ジョシュア牧師

ピリピ人への手紙 3章12~14節
“私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。”

ハレルヤ!神さま、本当にありがとうございます!新城教会、ありがとうございます。
今回、モンゴルチームと韓国チームが新城に到着したとき、新城教会で鹿の肉やいろいろなお肉でバーベキューをし、とても温かく歓迎してくださいました。
また聖会の間、食事やさまざまなことを通して、皆さんが私たちに仕えてくださった姿を見ながら、神さまの愛を深く感じました。心を込めて迎え入れてくださり、本当にありがとうございます。また滝元順先生、望先生にも感謝しています。

モンゴル人として、初めて新城教会で説教をするのが私であり、またモンゴルの教会で初めて説教された日本人が順先生でした。昨年、新城教会の皆さんがモンゴルに来てくださり、本当に素晴らしい時間を過ごしました。今年もモンゴルの一番美しい場所に、神の素晴らしい計画があると信じています。

特に今回は、私と妻、そして望先生ご夫妻と一緒にさまざまな場所に行き、特別なお祈りをしました。日本各地を巡りながら、多くのことを見て、多くのことを学び、本当に良い時間を過ごしました。
望先生は教授であり、とりなし手であり、猟師でもあり、さらに素晴らしい料理人でもあります。私たちが能登の海辺で休んでいるとき、望先生自ら魚を料理し、食べさせてくださいました。本当にたくさんの愛を受けました。心から感謝いたします。
また、夏に望先生たちが来られたら、かつて日本とモンゴルが戦争をした場所に行って祈ることが決まりました。
今回のリバイバルミッションは、本当に神さまの素晴らしい時間でした。天と地が、また国と国が、世代と世代が一つとなりました。私たちはキリストのうちにあって、キリストによって一つとされました。神さまが素晴らしく働いてくださったことを信じています。

皆さん、どうですか。私を見た時に、横綱っぽくないですか?またチンギスカンっぽくもないですか?リバイバルミッションでもお話しましたが、かつてモンゴルは七世紀にシルクロードを通って福音を聞きました。そして、チンギスカンの孫であるフビライハンがすべての国を作り、モンゴルの首都を作りました。
また、クリスチャンである自分の母親を記念して、十字架の教会を建てました。マルコ・ポーロがモンゴルに来たとき、モンゴルの人々は、主を礼拝していたと言われています。そのようにマルコ・ポーロがモンゴルに来ることができたのは、シルクロードという道をすでに作っていたからでした。韓半島からヨーロッパまで一つとなったわけです。
その時代にモンゴルの人々は、情報のやり取りにおいて非常に優れた発展を遂げていました。情報を伝えるために、宿駅(宿場のようなもの)を各地に設け、通信の仕組みを整えていました。七十キロごとに宿駅を作りました。王の命令が降りたら、王のメッセンジャーがその言葉を受け取って、二頭の馬に乗って走るのです。ずっと走ります。一頭の馬が疲れ切って倒れる直前に、もう一頭に乗り換えて、走り続けたのです。七十キロの道をずっと走り続けるわけです。すると次の宿駅で、馬二頭を準備して待っているわけです。前の人が来て、王の命令を伝えると、それを跪いて受けとり、次の人がその命令を持って走り出すというわけです。モンゴルの馬は背が低いですが、死ぬまで走り続けることができます。
同じように、日本とモンゴルの教会も小さいかもしれませんが、神さまのために、死ぬまで走り続ける者たちです。今回、韓国、日本、モンゴルが一つとなったように、主は共に最後まで走ることを願っておられます。
このように春川チームが韓国に戻れずに一緒に礼拝を捧げているのには意味があります。イ・ビョンチョル先生がリバイバルのために祈る時に、このように叫びました。「韓国、日本、モンゴルはもう離れることができない。本当に一つの綱で結ばれました!」と叫びました。そのように叫んでしまったので、帰れなかったわけです。私たちは一つです!神さまのために共に走りたいと願っています。

今日集まった皆さん、王なるイエスさまのために走りたい!という情熱をお持ちでしょうか?宣教は一人で走るのではなく、一緒に走るのです。
今日の聖書箇所ですが、パウロが神さまのために最後まで走り抜いたことが記されています。古代ローマを考えていただくと、大きな競技場が思い浮かぶかと思います。その時代、ローマの人々は馬車や馬に乗る競走をとても好みました。皆さん、映画『ベン・ハー』をご覧になったことがあるでしょうか?あの映画では、四頭立ての馬が一斉に駆け出し、競技場を疾走する場面が描かれています。
競技場はラテン語で「アリーナ」と呼ばれます。この言葉は「砂」という意味を持ちます。砂の上を、競技者たちは命をかけて走りました。パウロは、この競技場を人生のたとえとして用い、「私たちは競技場で走る馬と同じだ」と語っています。

ピリピ人への手紙 三章十二~十四節、

“私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。”

ここに書いてあるように、私たちの人生は目標に向かって走り続けるものです。当時の競技場では、馬は十二周を走り抜き、勝利を得るものでした。なのでパウロは、「自分はこの十二周目を走っている。最後の力を尽くして走り切る」と告白しています。
今日のみことばから、パウロの人生の秘訣を知ることができます。パウロは神さまに捉えられ、神さまの召しに応じました。そして最後まで走りました。パウロは、自分自身について「私はしもべです。奴隷です」と紹介し、告白しました。しかし、この「奴隷」という表現は、単なる奴隷ではなく、七年間主人に仕えた後、それでも主人を心から愛し、自ら進んで従うことを選んだ者のことを指しています。パウロは、そのように自ら神さまに従う者でした。

私は十七歳のとき、九十年代になりますが、イエスさまを信じました。歩いている時にドイツ人がチラシをくれて、それを読んで、祈って、救いを受け取りました。そのとき、聖霊に満たされ、信仰が与えられました。私は日本語がよくわからないのですが、私が最も好きな日本語の言葉は「聖霊さま」です。その言葉が本当に好きです。私は十七歳のとき、本当に聖霊さまを体験しました。そして、友達とともに教会を開拓しました。
そのころ、モンゴルには教会は三つしかありませんでした。しかし、私たちが伝道すると、たくさんの人々が集まりました。賛美をしなければならないのですが、私が知っている賛美歌はたった一曲だけでした。その一曲を、ギターを弾きながら四十分間賛美し続けました。
すると、その賛美の間に、一人は倒れ、一人は癒され、もう一人は叫び出すという出来事が起こりました。そのとき私は、「私は素晴らしい賛美リーダーではないか」と思いました。しかし、それは私の力ではなく、聖霊さまの働きでした。
説教をどのようにすればよいのかもわかりませんでした。ただ、モンゴル語の新約聖書を大きな声で読み上げました。すると、人々は悔い改め、神さまのもとに帰るようになりました。このように何も神学を学んだこともないようなものを通して、使徒の働きの状況のように、ペンテコステのようなことをしてくださいました。
順先生を通して、明先生の時代に同じようなことがあったと聞きました。私たちは次の世代を祝福します。次の世代も聖霊さまを受ける時に、できないことはありません。

やがてモンゴルの教会に、初めて神学校が設立され、そこで七人の神学生が学び卒業しました。そのうちの一人が私の妻です。
当時、モンゴルでは礼拝をすると警察がやって来て、礼拝を妨害し、追い払われることがありました。そのため、私たちは礼拝をする場所がなく、山に行って礼拝をしていました。日曜になると大きな山の上に登って、礼拝を捧げました。
あるとき、礼拝をしていると、山を守るおじさんが大きな怖い犬を連れてやってきました。私たちは手を取り合って祈っていましたが、その犬が私のすぐ後ろに来たのです。そしておじさんが「いけいけ。追い払え!」と犬にするのです。私は教会のリーダーでしたが、正直なところ、とても怖かったです。しかし、「私が逃げ出したら、皆がつまずいてしまう」と思い、「主よー!!!」と必死に祈りました。すると、不思議なことに、その犬が急に逃げ出していったのです。
また、別の日、金曜日の夕方に、同じ山へ祈りに行きました。そのとき、私の友達がひざまずいて、一生懸命祈っていました。すると、警察が来て、棒のような物で私の友人を殴りました。しかし、その友達は「聖霊さまに触れられた!」と感じ、さらに「主よー!!」ともっと祈ったそうです。二度目に殴られたので見たら、警察だったわけです。
警察が聞きました。「お前、お酒飲んでいるだろ?」『飲んでないです。』「じゃぁお前は頭に問題があるのか?」『正常です。』そして三つ目に、「お前の父親が死んだのか?『父よ、父よ』と言っていたじゃないか。」と。そして私たちはその警察のおじさんにきちんと説明をしました。「私たちはこういう者です。」と。
そうしたら、警察のおじさんたちは私たちにニックネームをつけてくれました。「叫ぶ青年たち」と呼ぶようになりました。日曜日になると、「叫ぶ青年たちが来た!」と言われ、思い切り叫んで祈ることが許されるようになりました。

あるとき、私たちは断食祈祷をして山に行きました。何日間も断食していたため、頭が少しふらふらしていました。そのとき、空を見上げると、天に火が行ったり来たりするのが見えました。それで私は「断食祈祷をすると、イエスさまが行ったり来たりするのが見えるんだなぁ」と思いましたが、次の日になってそれがナイトクラブの光だったとわかりました。

私たちは昔そのように山に行って祈ったことを思い出しながら今も行っています。山でお祈りした時の写真をお見せします。

 寒さの厳しいモンゴルの零下三十度の中でも祈ります。夜の十一時から朝の七時まで、一人一時間ずつ交代しながら外に出て祈り続けます。このように私たちが祈る時には、子どもたちも、おじいさんおばあさんも一緒に祈ります。教会で祈る時のように静かに祈っていると、こういう所では一時間も祈ると死んでしまいます。「主よー!聖霊さまー!」このような感じで祈らなければなりません。そうすれば死にません。むしろ熱いです。

これは私の息子が祈っています。

 

 

 

このように顔を隠さなければなりません。

皆さん、先ほどのように、モンゴルの零下三十度の寒さの中で祈ると、必ずイエスさまに出会うことができます。もし、まだイエスさまに出会ったことがない方、またはもっと神さまと深く出会いたい方がいらっしゃいましたら、ぜひ来年の冬にモンゴルに来てください。必ずイエスさまに出会えます。
 

 

 零下二五度の寒さの中、凍った川の水でバプテスマを受ける人々がいます。皆さんの中に、バプテスマを受けたいと願う方はおられますか?ここに来れば、洗礼を受けることができます。