2025年1月12日(日)新城教会牧師 上條実
テモテへの手紙 第二 1章6節~7節
”それですから、私はあなたに注意したいのです。私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。”
ハレルヤ!心から感謝します。今日こうして皆さんとみことばを学ぶことができます事を心から感謝します。昨年十二月三十一日の午後から三十八度一分の発熱してしまいました。カウントダウンワーシップの集会にてメッセージがありましたので、映像を録画してもらい、映像にてメッセージをさせていただきました。しかし、次の日は三十六度六分。そして二日は三十五度八分と、熱が下がりました。皆さんがお祈りしてくださった事を感謝いたします。毎日寒い日が続いておりますので、ぜひお気をつけてください。光熱費もだいぶ値上がり、経済的な心配もあると思いますが、こういうときは暖かくし、またよく換気して、風邪などひかないようにお気をつけください。またお互いのために祈りあっていきましょう。
早速みことばを学んでいきたいと思います。昨年十二月に入ってすぐに、二〇二五年に向けてのみことばを祈り求めていました。二〇二五年がどのような祝福の年になるだろうと期待しつつみことばを待ち望みながら、祈りつつ生活しておりました。神のみことばは生きていて黄金のことばであり、心が躍るようなみことばがいっぱいありますので、一つに絞りたいと思いつつも、なかなか決められず、最終的には先ほど読んでいただいた第二テモテの一章六節から七節、「神の賜物を、再び燃え立たせてください」というみことばを選ばせていただき、カウントダウンワーシップにて語らせて頂きました。
しかしこの十二月に、私は心を振るわれて、本当に感謝だと教えられたみことばが三つありました。今日は私に与えられたその一つが、先ほどの第二テモテ一章六節、七節です。今日は神さまが私に語ってくださった、三つのみことばを、教会のみことばとしてともに学びたいと思います。すでに先週の礼拝にて『二〇二五年 神が働きを加速される年!』
と語られました。そのみことばと合わせて語らせて頂きます。
まず初めに、教えられたみことばはヨハネの一章十二節のみことばです。とても有名なみことばです。
『しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。』
私はこのみことばによって素晴らしい祝福を頂きました。私のような罪深い者が、イエスキリストの十字架によって救われ、今は私を「神の子どもとされる特権」をお与えになって下さったというのです。特別この「特権」という言葉に目が留まりました。
辞書で「特権」ということばを調べて見ると、「特別な権利」また「特別な権能」という意味があるそうです。また「特定の資格を有する人、または特定の身分や階級に属する人に限って与えられる権利」という説明もありました。特に私はこの「特定の身分や階級に属する人に限って与えられる権利」という事に感謝しました。特別な権利を与えられている。こんな罪深い私が、ただ恵みによってイエス・キリストを信じた時に、すべての罪が赦され、神の子どもにされるということを知り、心から感謝しました。
このみことばをいただいたとき、四十数年前の出来事を思い出しました。それは長男を家内が妊娠している時でしたが、安定期になったので、毎年リバイバルクルセードが主催しての軽井沢での集会に夫婦で参加させてもらいました。昼間はフリータイム。そして夜伝道会を行うという様な集会に参加させていただきました。軽井沢という所は多くの方が観光に来られ、また有名な方々が別荘をお持ちである。そのような方々に福音を伝えようという趣旨で行われていました。その当時、滝元明牧師は、ちょっとしたきっかけで、信じれない事ですが今の上皇ご夫妻(当時は皇太子ご夫妻)と毎年面会するように主が導いて下さいました。それは普通では考えられない、驚くべきことでした。きっかけは、田中政男先生がちょうど軽井沢の有名なテニスコートの近くにいた時警察官が特別な警備をひいており、野次馬根性で「誰が来るのだろう?」と見たそうです。すると当時の皇太子ご夫妻がテニスをされるためにやって来たのです。丁度美智子妃殿下が田中先生の前を通り過ぎようとした時、滝元明牧師が書いた小冊子「平安を持つ秘訣」という本を持っておりまして、勇気を出して「美智子妃殿下、この本を差し上げます」と目の前に来たので、田中先生がこの本をお渡しした時に、普通なら何も知らない人が渡すことは失礼に当たるかもしれませんが、美智子妃殿下は非常に喜ばれ、田中先生は「もっと素晴らしい本がたくさんありますので、また差し上げます」と言い後日、本を差しあげました。すると受け取って下さり、それがきっかけで毎年面会がスタートしました。私たち夫婦は結婚して間もないころだったので、滝元明牧師夫妻が「お前たちも一度行ってみるか」と、いう事で交渉してくれました。当時、家内の祖父母がくださったサニーという車をもらって乗っていました。
それも全く私の意に反して、真っ赤な色だったのですが、その車に乗って、皇太子ご夫妻が滞在されておられるご静養地に向かいました。それも明牧師夫妻、私たち夫婦、そして妹の岩井道子の五人で、とても小さな車にギュウギュウ詰めの状態でしたが、出かけました。自分も一生懸命オシャレをしまして、そして、何かお土産を持っていったら良いかと思い、家内の父親が当時いのちのことば社というクリスチャン出版社で働いておりましたので、一番豪華な「子どもの聖書物語」を持って、出掛けました。
別荘に到着すると、当然のことですが多くの門衛がいました。警察官が「どちら様ですか」と問われ、「滝元です」と答えると、そこにいた門衛たちがパッと敬礼をして「伺っております。どうぞお通り下さい」と門を開けてくださいました。ありがとうございますという感じで、私たちは入って行きました。ところどころにも警備の警察官が立っていました。そして玄関に着きましたら、侍従たちがドアを開けて、「どうぞお降りください。」と案内してくださいました。私たちは完全にVIPでした。私はそのまま駐車場まで車を誘導してもらい、約一時間ほど「面会」をしたことを思い出します。時間がきっちり決められており、最初は三十分間と聞いていましたが、結果一時間ほど話をすることができました。その時滝元明牧師が韓国へ行った事を話すと、皇太子ご夫妻は、興味深く韓国の話に耳を傾けておりました。とても良い交わりの時間を持つことができました。その間、お茶が運ばれてきたのですが、お祈りさせて頂きますと言ってお祈りしていました。その時も敬虔な気持ちでご夫妻も目を閉じておられました。お茶はよりによって蓋を開けなければならない茶碗だったので、私は緊張のあまり手が震え、「倒したらどうしよう」と不安になり、結局飲むことはありませんでした。最後に、記念撮影をお願いし、一緒に写真を撮らせていただきました。「この写真は公表しないでください」と言われました。最後に持って行きました「子ども向けの聖書物語です」とお渡しすると、「お書きになられたのですか?」と聞かれ、「いいえ違います。」と答え、家内の父親の事を説明しました。すると美智子妃殿下が「いつもお話しししているルツさんなどのお話が書いてあるわよ」とお子さまたちに説明しておられました。帰りも見送っていただき、すべての警察官たちが至る所に立って、敬礼して見送ってくださいました。「私は何者なんだろう」と自分たちでも錯覚するほどの体験をしました。まさに夢のような時間でした。
『しかし、この方を受け入れた人々、すなわちその名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。』
この「特権を与えられた」というのは、「特定の資格を有する人、または特定の身分や階級に属する人に限って与えられる権利」が与えられているというのです。皇族たちは、想像するにですが様々な、規制。制限の中で不自由さ中生活しています。しかし私たちは
ヨハネによる福音書八章三二節
『そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。』
とある様に、クリスチャンは死や苦しみ、すべての悪しき暗闇から解放され、真理によって自由なのです。束縛、拘束はありません。私たちは神さまの子どもとなる特権。「特定の資格を有する人、または特定の身分や階級に属する人に限って与えられる権利」を得ています。特定の身分です。ヨハネによる福音書三章十六節
『 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』
永遠の命を持つことのできる身分です。感謝しましょう。私たちは神の子どもです。第二列王記の六章十四節から十六節のみことばに、
『そこで王は馬と戦車と大軍とをそこに送った。彼らは夜のうちに来て、その町を包囲した。神の人の召使いが、朝早く起きて、外に出ると、なんと、馬と戦車の軍隊がその町を包囲していた。若い者がエリシャに、「ああ、ご主人さま。どうしたらよいのでしょう」と言った。すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」と言った。そして、エリシャは祈って【主】に願った。「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」【主】がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。』
この頃語られていますが、「教会」のことをギリシャ語で「エクレシア」と言います。エクレシアとは、元々ギリシャ社会の議会を表すことばでした。ギリシャ・ローマ社会においては、エクレシアという組織が存在していたのです。その議会は、「種々の軍事行動に対する作戦や宣戦布告の決定機関」でした。「教会」は、「戦いのために呼び出された者たちの群れ」「軍隊」と語られています。教会は戦う集団です。エリシャの召使いが、朝早く起きて、外に出ると、なんと、馬と戦車の軍隊がその町を包囲していたとあります。
召使いはその光景をエリシャに伝えました。するとエリシャは
『祈って【主】に願った。「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」【主】がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。』
私たちもさまざまな問題に苦しみ、大変な時を過ごすことがあるかもしれません。しかし、私たちが霊的な目を開かせていただいたならば、先ほどの十七節の後半にあるように、
『彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。』
今日私たちの周りに神のみ使いがいます。それも、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。圧倒的な勝利の軍隊がいるのです。信じますか?どんなに劣勢な状況になっても、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちている。絶対勝利の主がおられることを信じましょう。「一人ぼっち」ではありません。「孤独だ」「何もできない」ではありません。また、「主に祈っても祈りが答えられない」と感じることがあるかもしれません。しかし今日、霊的な目が開かれたなら、圧倒的な勝利を持つことができます。家に帰ってから第二列王記の六章後半をお読みください。不思議な勝利をエリシャは頂くことができました。今日私たちクリスチャンには軍隊の最高指揮官であられる主が私たちの親です。ヨハネの一章十二節
『しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。』
私たちは神の子どもとされる特権を頂いています。信じましょう。「教会」は、「戦いのために呼び出された者たちの群れ」「軍隊」です。軍隊の最高指揮官であられる主を私たちは信じています。今年二〇二五年はこのみことばを信じていただきたいと思います。
二つ目に私が与えられたみことばは、マラキ書の四章一節から三節です。