2023年8月6日(日)新城教会主任牧師 滝元順
エマタイの福音書16章18節〜19節
『そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。
わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます。」』
皆さん、おはようございます。ハレルヤ!
ワンウェイ・ボーイズの賛美、爽やかで素晴らしかったですね。彼らは生まれた時から教会に来ていて、イエスさまとともに育った人たちです。一つの道をまっすぐに歩んで来ました。歌の中に爽やかさがあふれていました。ギター二台で歌って、なかなかいい感じだなぁと思いました。私も昔はギターをやっていましたから、またやりたいなぁと思う時もあります。
私は昨日で、七十二歳になりました。七十二歳にもなりますと、誕生日には複雑なところもあります。
昨日、鈴木家の孫たちが、「ケーキが食べたい!」とか言い出して、「買いに連れてって!」と言うのです。「俺、食べたくないけど…。」と言うと、「私たちは食べたいの!」と言うので、何かおかしいなと思いながら出かけました。「ケーキのお金出してあげるよ。」と言ったら、「自分たちで買うからいい!」なんて言って、何だろうかと思っていたら、私のための誕生ケーキを買ってきました。
しかし、ケーキにろうそくが刺さっていて、「73」となっていました。一歳サバよまれておりましたけれど、「もう一年、がんばって生きてね。」という思いが込められているようでした。皆さんに愛されて、ここまで生きることができて感謝です。
家内が天に帰って、八月で八ヶ月が経ちます。先週はお祈りに支えられて、家内が天に帰ってから初めて、一人で他教会の奉仕に出かけました。それも、埼玉県の天野先生の元気な教会でした。めそめそしてもおられませんので、祈っていただいて、土曜日と日曜日の二日間奉仕させていただきました。本当に祝福された集会でした。感謝致します。
先生ご夫妻も全くお変わりなく、お元気でした。あの教会にはリバイバルがあります。
三百人以上おられたでしょうか。また、ネットでも多くの方々が参加されていました。普段よりも人数が多かったそうです。なぜなら、滝元順が奥さんを失って、どんな奉仕をするのか?怖いもの見たさもあったのかもしれません。
家内のことも話させていただきました。主題の聖句は、「私たちの出会った試練は、人が知らないものではありません。主は、脱出の道を備えてくださる。」という、私の実体験からお話させていただきました。苦しく、悲しい体験がなかったら、あのようなメッセージは語れなかったなと思って、すべてが益となっていると感謝しました。
今週は三島市の、加茂川キリスト教会で奉仕します。三日間、奉仕を頼まれたのですが、どんな集会かなと思ったら、まさかの、「小・中・高生キャンプ」の講師でした。この七十二歳のおじいさんに、小中高生キャンプなんて信じられません。メッセージも何回もあります。地域のとりなしにも一緒に行ってほしいと頼まれています。日曜日は、礼拝とその後の聖会まで奉仕があります。
その教会の牧師先生に、「私、昔の滝元順とは違いますよ。大丈夫ですか?」と聞いたら、「先生を信頼していますから。」と、少々、プレッシャーをかけられたのですが、一人で行くのもたいへんなので、孫たちを誘ったら、いろいろ予定があるらしくて、やはり一人で行くしかありません。頑張りたいと思います。
人間には、自己中心というか、自分さえ良ければいいみたいなところがあります。自分が試練に直面すると、「神さま助けてください!」と叫びますが、人ごとになると、あまり気にしなくなってしまいます。
しかし人生を豊かに生きるためには、信仰生活が豊かになるためには、自分のことだけでなく、他の人たちに配慮できるか否かにかかっています。他者に対して、どのくらい幅広く、高く、深く、主にあって関心を持てるかにかかっていると思うのです。
現在、台風がこちらに向かっていますが、この地方の私たちはちょっと、良かったなぁ!と安心しています。台風6号は初め、西の方に向かいました。このまま沖縄を突き抜けて、台湾や中国に行け!と、日本人は皆、思っていたはずです。しかし台風は、まさかのUターンをして、東寄りに、それも愛知県の方面に向かっているという情報がありました。そうなって初めて真剣に祈るようになりました。すると真北に上っていくではないですか。それで、良かったな!みたいなところがあります。しかしそれではいけません。
今回の台風、すごいらしいです。沖縄のことをノブ先生が「祈ってください!」と言いましたけれど、娘家族がいるからですね。沖縄では、二十四時間以上停電していたと言われます。隣人のことを祈ることは重要です。
井上陽水が、「傘がない」という歌を歌って大ヒットしました。あの歌詞は、我々の自己中心な心を表しています。お年の方ならば知っていると思いますけれど。
「新聞に、最近、若者の自殺が多いって書いてあった。しかし、俺にとって今の問題は、この雨の中、傘がないことだ。」と歌っています。「君に会いに行くのに、傘がない。傘がない。雨に濡れてでも君に会いに行きたい。なぜなら、君のことしか考えられないから。これっていいのかな?」みたいな歌詞でした。私たちは、常に、傘がないという目の前のことだけで生きる自己中心的で弱い存在です。しかしクリスチャンになると、「傘がない」だけでなくて、他人の傘も心配するようになるのは感謝です。
その為にも、教会が、どういう場所なのかをしっかりと理解し、知る必要があると思うのです。
私は牧師の息子に生まれました。気がついたら牧師の息子でした。頼んで生まれたわけではありません。別に私はクリスチャンになりたくてクリスチャンになった者ではありません。皆さんは日本においてクリスチャンになるという、大きな決断とハードルを越えられた方々です。相当ハードルが高かったと思います。私はハードルどころか、柵の内側におりましたから、どうやって逃げ出そうかみたいな男でした。
牧師の息子がクリスチャンになって、なおかつ牧師になったら、「キリスト教は本物だ」と信じても良いです。
昔、教会はどこでも、たいへん貧しかったです。私の幼い頃の思い出は、夕食は、決まってうどんでした。それも出汁なんか入ってない、醤油だけで汁を作って、うどんにぶっかけて食べていました。それで私はうどんが大嫌いでした。
でもある日、岡田屋といううどん屋に、近くのお兄さんが連れて行ってくれて、そこで食べたうどんは全く違いました。こんなに違うのか!と感動しました。それでまた、うどんが好きなりました。本当に貧しい中で育ちました。でもそんな中、「あっ!イエスさまって、本物の神さまだ!」と気づいたのです。そして教会が、普通の団体とは違うことがわかったのです。
そして今回、家内が天に帰って、教会の、高さ・広さ・深さを再度学んだような気がしています。
大使館をご存知でしょうか。日本は在外公館を、海外に二百ヶ所ぐらい持っていると言われます。相当な数です。日本がアメリカに大使館を作ると、大国アメリカの上に日本の権威を置くことになります。それでアメリカにおける日本大使館は、「日本そのもの」になるのです。本国の意思を、アメリカに反映させるために全力で働くのが、在米日本大使館の使命です。
大使館の敷地内は、国際法によって「治外法権」と言って、その国の警察力は関わることはできないのです。大使館の土地は、異国にありながら、日本そのものという位置づけだからです。
教会とはどういう存在か。それは、神の国と悪魔の国の対立のただ中で、悪魔の国の中にある神の国の大使館です。
ということは、悪魔は神の国に入り込むことはできないのです。もしも入り込んだとしたら、それは不法侵入です。
教会はどこにあるのか。新約の時代は、クリスチャン一人一人が教会そのものです。それは動く教会です。会社、家庭、様々なところに行けども、動く教会として、神の国の大使館そのものなのです。ということは、教会の本部はどこにあのるかというと、「神の国にある」のです。
ゆえに教会とは、地上のものではないのです。神の国が本部で、その出先機関だからです。
教会には、本部の意思を悪魔の国に反映させる使命と鍵が与えられています。今朝読んだ箇所で、イエスさまご自身が語られています。これは本当に重要な箇所です。
『わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます。』
教会は、『よみの門もそれに打ち勝つことはできません。』と告げています。「よみの門」とは、「地獄の門」、すなわち、悪魔の世界を意味します。悪魔の国は教会に勝つことはできないのです。なぜなら、神の国と連動する鍵が与えられているからです。
新城教会が新城市に設立されて、七十年が経過しました。私は七十二歳ですから、両親が津具村に入って伝道を始めて、今年で七十三年になります。新城市では七十年間、教会が存続しているわけです。七十年の中で、大勢の方が教会に来られました。相当な数だと思われます。そしてイエスさまを信じて、天に帰られた兄弟姉妹も、数多くおられます。
実は八月一日は、私の父が天国に帰った記念日でした。私の両親は、すでに天国に行ってしまいました。父は二〇一五年に召天しました。
父が天国に行く瞬間、私はどこで見届けたかと言うと、ネパールでした。私がちょうどカトマンズ空港に着いた時、テレビ電話が入って、父が死にそうだと聞きました。そこで少しだけ、父と会話をしました。父はあまり声は出なかったです。私は、「親父さん、今ネパールにいるよ。これから宣教旅行が始まるけど、親父さんが死んだら、遺体を見に帰った方がいいかい?それとも、ここに残って宣教を続けた方がいい、どっち?」と聞きました。すると父は、「遺体を見に来い。葬式に来い。」とは言わなかったです。「行け、行け。」と、手で私を追っ払う仕草をしました。それで私はネパールに残ることにしました。
その後八時間以上、私たちはおんぼろバスに揺られて、チェパン族の住む山の麓の町、チトワンまで移動しました。その時は雨がすごくて、険しい道を十時間以上かかったでしょうか。夜中の一時ぐらいに、とてもきれいとは言えないホテルに着きました。そこはWi-Fiとか、携帯電話なんかはつながらない場所です。父はきっとすでに死んだだろうなと思いながら、どうやって日本に連絡を取ろうかと思案していました。ホテルの部屋の外に出たら、外壁にWi-Fi機器らしきものがぶら下がっていました。そしてその下に、謎の数字が落書きのようにありました。この数字って、もしかしたらパスワードかな?と思って、私のスマホに打ち込んでみたのです。すると、なんとそれはパスワードでした。そしてそのWi-Fiは生きていたのです!
スマホがネットに繋がった瞬間、日本からテレビ電話が入りました。突然です。それは父が死ぬ寸前の病室からでした。孫たちが集まって、真剣にベットを囲んで祈り、賛美していました。そして父を、なんと、ネパールのど田舎から看取る事が出来たのです。主治医の方にも、「どうもありがとうございました。」とネパールから挨拶しました。神は時を支配し、いのちを支配しておられると痛感し、感動しました。
父が召天した瞬間、私は不思議な感覚を覚えました。人が死ぬ時、お迎えが来ると言いますが、お迎えが来ていることを感じました。イエスさまが天使たちを遣わして、父を出迎えていると感じました。そしてもう一つの感覚がありました。
実は私、八人兄弟ですが、一人の妹が、三ヶ月で亡くなっています。マスミという妹がいたのです。私が小学校六年生の時、亡くなりました。結構悲しかったです。学校から帰ると妹はすでに冷たくなっていました。その妹のことなんか、何十年も前のことですから、全く、忘れていました。
しかし父が召天する瞬間、その妹が天使と一緒に父を迎えに来ているような気がしたのです。はっとしました。そして死後の世界って現実なんだと深く感じました。