家内を亡くして、「これから一生、これが続くのか・・」と暗くなったことがありました。皆さんにとっては大したことではないのですが、私にとっては問題でした。それは洗濯でした。私は家にある洗濯機を使って自分で洗濯したことがなくて、脱水をかけた後、洋服がヘリにくっついているのを見て、涙が出ました。家内は死ぬ前に、私に忠告してくれました。「あんたね、洗濯したらそのまま干しちゃ駄目だよ。一本の棒になっちゃうから。ちゃんと伸ばしてから干しなさい」と言いました。
脱水が終わって洗濯物がくっついているのを剥がしながら、「俺は死ぬまで、こんなことを毎日しなくちゃいけないのか・・・。」と、めちゃくちゃ暗くなりました。それで涙が出て、洗濯機に手を置いて祈りました。
「神さま、俺の人生、こんな感じで終わるのですか。助けてください・・・。」と祈りました。
その時、神からの語りかけを受けたのです!それは、「全自動洗濯機があるから調べてみろ!」という思いが突然、降って来たのです。そんなこと、これぽっちも考えていませんでした。全自動の洗濯機があってもなくても、どっちでも良かったのです。
早速、ネットで調べました。すると、あるではないですか!なんと洗剤も、柔軟剤も、何もかも自動的に放り込んでくれて、洗濯が終わったら、乾燥までばっちりして、しかも、しわにならないようにキープして、「さぁ着てください」と言わんばかりの仕上がりになる洗濯機があったのです!もうびっくり。これは神がメーカーに知恵を与えて、私のために開発された洗濯機だ!と確信し、即、注文しました。
翌週には届きまた。今はそのお陰で、洗濯無敵状態です。皆さんの洗濯物があったら、持ってきてください。やってあげますよ。
毎週、二人の少年が我が家に、泥まみれで来るのですが、私は毎回、彼らの洗濯をしています。彼らが風呂に入るとき、全自動洗濯機の中に汚れた服を放り込めば、スマホからスイッチをオンにすると、二時間後には綺麗な服を、それもいい香りで着ることができるのです。すごいもんです。そのように、イエスさまが私を助けて下さっているのを、洗濯だけ見ても分かります。
もう一つ、米を炊くのもあまりやったことがなかったのです。今日は自分の恥を暴露しているようですが、家内が亡くなってから、ご飯はすべてサトウのご飯でした。端を少し開けて、チンするのだけは覚えました。
でも食べ続けたらわかりますが、一ヶ月、二ヶ月と食べ続けてみてください。工業製品は同じ味なのです。寸分違わない味です。なぜ私たちは、家庭料理に美味しさを感じるのかというと、毎日、違った味が手料理の中にはあるからです。デニーズのようなファミレスやコンビニは、いつ食べても同じ味です。味は、舌が鋭く覚えます。二ヶ月、三ヶ月と食べ続けたら、本当に嫌になりました。これを一生食い続けるのか・・。それで全自動炊飯器はないものかと思い調べました。
すると、家内が亡くなってから一ヶ月後ぐらいに、なんと、お米と水を別々にタンクに入れておいて、硬いご飯から柔らかいご飯まで、いろいろなモードがあって、微調整ができる全自動炊飯器が発売されたのです!例えば、夜の七時に食べたいなら、自動的に炊いてくれて、スマホに炊けました!という知らせが届きます。私は何も手を汚さないで、ホカホカのご飯を釜ごと食べられるのです。現在、私は、温かいご飯も食べることができています。
ということは、やはり使命があるんだろうなと実感します。
でも人間は悲しいですよね。夫婦ならば、どちらか先に逝きますから。私は別に特殊な体験をしているわけでも、何でもありません。皆、体験します。あなたも、あなたも、体験します。男性の方、少しは奥さんの家事とかを手伝って、その日に備えた方がいいかもしれませんよ。
聖書に、こんな言葉があります。
“風を支配し、風をとどめておくことのできる人はいない。死の日を支配することはできず、この戦いから免れる者はいない。そして、悪は悪の所有者を救い得ない。”(伝道者の書 八章八節)
「死の日を支配することはできない。この戦いから免れる者は一人もいない。」のです。俺にはそんなこと関係ない!と、若い頃は考えるかもしれません。しかし、今日にでも、明日にでも、死を迎えるかもしれないのです。
イエスさまがこの地上に来てくださって、何をしてくださったのかと言うと、死との戦いに勝利してくださったのです。信じられますか?イエスさまは十字架にかかっただけでなく、三日後に復活されたからです。その事実は、ローマ兵たちによって、いや、ローマ帝国によって確認されたのです。
もしも私が宗教をでっち上げて教祖となるとしたら、絶対に、死後に復活があるとかを教えの中に入れません。そんなこと言ったら、「おまえ、阿呆なこと言うな!」と信用されなくなるからです。「死後は天国に行って楽しく過ごします。それがゴールです。」ぐらいで止めておいた方が安全です。
しかしイエスさまは、三日目に復活して、みんなの目の前に現れたのです。そして誰も超えることができない死を超えたのです。それは、イエスさまだけです。なぜならイエスさまは、神が人となられたお方だからです。
初めの人間アダムとエバが罪を犯したことによって、人類は神と一緒に過ごせるエデンの園から追い出されてしまいました。その結果、人類に死が入り込んだのです。そんな不幸な人類を助けるために、神自らが人となって、地上に来られ、死の力を打ち砕いてくださったのです。
イエス・キリストを自分の救い主、神として信じるならば、「死んでも生きる」というのが、聖書の教えです。
私は家内と死別して、たいへん寂しいです。もう二度と会えないのかと思うと本当に悲しいです。
在りし日の享子さん、見せましょうか?あまり見せるなと言われましたけれどね。
私が撮った写真です。いい写真でしょう。
家内、若い頃、めちゃ美人でしたよ。見てください。享子ちゃん。超絶でしょう。
でも人間って悲しいです。美しい時期もあれば、歳を取っていきます。鏡を見たくない日がきます。
でも皆さん、死んで復活する時は、決しておじいちゃんはおじいちゃんのままではない。おばあちゃんはおばあちゃんのままではないのです。最高の時をさらにバージョンアップした姿で、地上に戻ってくるのです。
家族で撮った写真です。もう二度と地上ではこういう写真は撮れません。でも大丈夫です。やがてイエスさまが帰って来られる日には、皆、復活して、私も帽子をかぶらなくても写真を撮ることができるからです。最高の家族が回復されます。
しかし家内が召天して一年経って、信じられないことが起きました。それは、一つの命と引き換えかどうかは知りませんが、新しい命が誕生したからです。こいつが来るとは、夢にも思っていませんでした。
来週は、家内が天に帰った記念日、十二月十八日ですが、一日前の十二月十七日が日曜日で、孫の献児式を行うことになりました。神さまは私たちに、慰めを下さったと感謝しています。鈴木家で、この子が一番出来がいいかもと思っていますが、どうでしょうか。私たちに新しい命を与えて、「順、おまえにはもう少し仕事があるから、こいつをペットにして頑張って生きてくれ。」みたいな励ましかなと思っています。神さまは、私たちの人生に責任を持ってくださるのです。
しかし世界は益々、混乱しています。これからどういう時代になるのか・・・。孫が生まれて嬉しいけれど、「未来の世界にはいろいろなことがあるかも・・」と心配になります。現在、イスラエルのガザに行ったら大変です。そんな中でも赤ちゃんが生まれています。また子どもたちが犠牲にもなっています。これからどうなるのか・・。
どうしてここまで不幸なことが連続して世界に起きるのか。そこには理由があるのです。先ほど読んだイザヤ書の中に、「心傷ついた者を癒やす」ことと、イエスさまがこの地上に来た目的として、「捕らわれ人には解放を囚人には釈放を告げ、」とあります。人類は捕らわれているのです。奴隷状態だというのです。
誰に奴隷にされているのかというと、国家とか権力者ではなく、目に見えない透明人間みたいな存在がいるからです。それは悪魔と悪霊どもです。地球は、見える世界だけで成り立っているのではありません。そこには見えない世界も重なっているのです。
クリスマスの状況は天使たちが現れたりと、不思議なことが多く記されています。また、夢の中で主が語られたり、天使たちが出てきたりと、「超自然」と呼ばれるような世界があるのです。神もおられるけれど、被造物の天敵である「悪魔と悪霊ども」がいるのです。その組織に対して、人類は勝ち目がありません。
しかしイエスさまがこの地上に来てくださったことによって、悪魔・悪霊どもに打ち勝つ権威を与えてくださったのです。イエス・キリストを信じる者たちに、教会に権威を与えて下さったのです。
イエスさまを信じると、堕天使どもを打ち破る権限・権威が与えられるのです。
人間って、物質主義的な面も強いですが、結構、霊感が強いところもあります。皆さんで、「私は霊感が強い、という方、スイッチオン!あっ!八割ぐらいですね!」みたいに、結構、霊感が強い人って多いです。学問にもならないし、科学にもならない霊的体験があるのではないでしょうか。
私たちが住んでいる新城市は、結構、血生臭いところです。十六世紀、このあたりは戦場でした。いつも話していますけれど、織田信長と徳川家康の連合軍と、武田勝頼が激突して、数時間の戦いで一万六千人ぐらいが命を落としたのです。
私の父が教会を始めた頃、この辺の土地は一坪五百円でした。むちゃくちゃ安いですよね。当時でも五百円は安すぎたのです。父は地主さんに申し訳ないと言って、「千円で買ってやった!」というのが自慢でした。どうして安いか、彼は理由を知らなかったのです。
ここには元々、市場があったのですが、当時は畑でした。なぜかと言うと、設楽が原の戦いでこの地域は全滅して、血が流れたのです。人々は新しい城、新城を造って、街の中心を移したのです。だからここは荒れ放題。事故物件みたいなものです。だから五百円は当然だったのです。倍の土地をもらえばよかったと思うのですが、あの時に買ってくれたので良かったですが。
この写真、真ん中に川がありますか、連吾川です。すぐ近くです。
こんな小川を挟んで、一万六千人が死んだのです。今でも地元の人たちはあまり近づかないです。でも最近、観光化して人が増えました。この辺にいろいろ悪いことがあるという噂が絶えないです。
近くに工場があって、工場では毎年、慰霊祭があるそうです。なぜかと言うと、夜勤の時、工員がなんかを見るらしいのです。こんな感じで出てくるみたいです。
この存在は人間の味方ではないです。敵です。放っておくとやられます。しかしイエスさまを信じると、それらに打ち勝つ方法が与えられ、どこに敵がいるのか?ということもわかるのです。ゆえに、多少問題があっても、押しのけて生きることができるのです。私も霊的戦いを知ったから、家内がいなくなっても生きていけます。敵に打ち勝つ術が与えられたからです。
日本の神々は手で作った神々ばかりです。しかし、なぜ拝むのかと言ったら、手応えを感じるからです。拝むと手応えを感じるのです。日本の神さまは敵か味方か。味方ではないです。皆、敵です。神話の中でもほとんど敵です。拝まないと祟りを与える存在ばかりです。これらは神ではないのです。「神のふりをした悪魔・悪霊ども」です。偶像は人類を不幸にし、地獄に連れていくための策略なのです。
神さまはただ一人です。手で作った神々は、神ではなく、背後に目に見えない敵が関わっています!教会に来ると、そのことがはっきりわかります。誰を礼拝したらいいのかがわかるのです。
幸せに生きる秘訣。それはイエス・キリストを救い主として認めて歩むことです。
世界はどんどん暗くなっています。しかしイエスさまが、もう一度、この地上に来られて、世界の王となる日が来ると聖書は預言しています。その時、イエス・キリストを信じて死んだ者たちは皆、復活することを教えています。