ヤコブの分け前はこんなものじゃない

はい!ありがとうございます。「ヤコブの分け前はこんなものじゃない」祝福が、これからの皆さんの人生のただ中に現されていくので、そのことが本当にこれから大きく大きく開かれていく、バッタのような大群の祝福がこの教会にも、この地域にも現されると信じていきたいと思います。

ザワメキの賛美の中に、「賛美で満たせ」という歌があり、今日も歌いましたけど、「賛美で満たせ。朝に昼に夕に」と。本当に神さまへの賛美がもっと満ち溢れる時に、こんな話をすると、「開、おまえは同じ話しかしない」と、いつも言われますけど、でも本当にそうなんですよ。賛美で満たされて、主の祝福を宣言するときに、人の悪口ではなくて、つぶやきではなくて、賛美で私たちの生活が朝から晩まで、頭のてっぺんから足のつま先まで満たされるときに、主の祝福というのが、皆さんの生活の中に、確実に、ご家庭の中だったり、会社や学校の中に、神さまの祝福が、バッタのような大群の祝福が、注がれていきます。だから、朝に、昼に、夕に、主への賛美をし続けていただきたいと思います。

詩篇百四十九編の一節に、こう書かれています。

「ハレルヤ。主に新しい歌を歌え。聖徒の集まりで主への賛美を。」

実は、このみことばはザワメキの原点なのです。「ハレルヤ。主に新しい歌を歌え。聖徒の集まりで主への賛美を。」日々、主に新しい賛美を歌いたいなぁと本当に思っています。歌い続けていく、それが私たちの人生に、どんなに素晴らしいことかと起こされると思うのです。ザワメキの原点、このみことばを最初に与えられたのは、もう本当にずいぶん、三十年以上前のことですけど、みことばを与えられて、「ハレルヤ。主に新しい歌を歌え。聖徒の集まりで主への賛美を。」新しい歌を歌え」と、今も主は言っておられるのです。皆さんの心の中に湧き出る主への賛美ってあると思うのです。何気なくキッチンでご飯を作っていても、「主よ、感謝します。」というのが賛美になったら、どんなに皆さんの生活の中で本当にあふれるものではないかなと思いますので、ぜひぜひ、何気ない一歩一歩の中に、皆さんの賛美をあふれさせていただくときに、主は大きな祝福を与えてくださいます。

詩篇百四十九編の五節から八節ですが、

「聖徒たちは栄光の中で喜び勇め。おのれの床の上で、高らかに歌え。
彼らの口には、神への称賛、彼らの手には、もろ刃の剣があるように。
それは国々に復讐し、国民を懲らすため、また、鎖で彼らの王たちを、鉄のかせで彼らの貴族たちを縛るため。」

「聖徒たちは栄光の中で喜び勇め。おのれの床の上で、高らかに歌え。」と最初にあります。以前も「床の上賛美」というのをしたことがありますが、「聖徒たちは栄光の中で喜び勇め。」主の栄光の中で救われたというのは、主の栄光が現れそのものなので、皆さんの存在そのものが主のご栄光ですけど、そこで喜び勇んで主を賛美する。朝に、昼に、夕に賛美する。

そして六節、「彼らの口には、神への称賛、彼らの手には、もろ刃の剣があるように。」賛美が剣だとよく語られますけど、皆さんが賛美して、日々、朝に、昼に、夕に歌い続けていくときに、それが剣となってサタンの力を打ち砕き、結果、主の祝福、主は計り知れない恵みを皆さんの中に与えようとしておられる。「ヤコブの分け前はこんなものじゃない!」という祝福を与えようとされているので、その祝福を受け取って帰っていただけたらいいのではないかなと、本当に思います。

七節、八節を見ます。「それは国々に復讐し、国民を懲らすため、また、鎖で彼らの王たちを、鉄のかせで彼らの貴族たちを縛るため。」とあります。だから、賛美そのものが神さまとの交わりであり、祝福であり、大きな勝利であり、喜びですけど、それが敵の力を打ち砕いて、ここに書かれているように、国々に復讐し、国民を懲らし、そして鎖で彼らの王たちを、鉄のかせで彼らの貴族たちを縛る!」いやあ、すごいですね。本当に賛美というのは、自分の心の慰めとか喜びのためとか、癒しのためとか、それだけではなく、敵をも縛るという、ある意味、私たちの賛美の原点のようなみことばかなと思います。本当に、ぜひその賛美を奏で続ける歩みをしていただきたいと心から願っています。

詩篇百二十七編の三・四節には、

「見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。若い時の子らはまさに勇士の手にある矢のようだ。」

とも書かれています。子どもたちの賛美はやはり大きな剣となるのです。ぜひ子どもたちに主への賛美を聞かせて、彼らの口で捧げる賛美が、すごく大きな祝福と勝利になるので、ぜひもっともっと主への賛美を、子どもたちの唇に溢れさせてあげるように導いていただけたらと思います。

この世の中には、いろんな音楽が流れていますし、そんな中でも、主への賛美、イエスさまへの賛美が皆さんの家庭にあふれ流れていくように、そこで主が願っておられることは、皆さんの生活の中に、「ヤコブの分け前はこんなものじゃない。」という、その祝福が注がれることを信じて、歩んでいただければと思います。
ザワメキの歩みも、本当に主によって支えられています。

ザワメキの一番新しいニュースがこのニュースですが、この中の巻頭言のみことばは、ヨハネ十二章二十七節から二十八節でした。その中の言葉からタイトルをつけたのですが、「わたしはすでに栄光を現した。わたしは再び栄光を現そう。」というのが、その時のタイトルでした。

イエスさまは、今までの人生の中で、またこの教会の中、この地域の中で栄光を現したけど、「わたしはすでに栄光を現した。」確かにご栄光を現してくださり、今、皆さんの存在そのものが主のご栄光ですけど、「わたしは再び栄光を現そう。」というのが、主が皆さんに語ってくださっていることですので、皆さんの人生、本当にここまで守ってくださった。まさしく「エベン・エゼル」という歌がありますが、ここまで主が我らを導いてくださったことを、本当に感謝して主を賛美していきましょう!「わたしはすでに栄光を現した。わたしは再び栄光を現そう。」これが主からのみことばであり、これから主がなそうとされていることなのです。再び主の栄光が皆さんの生活に、ご家庭に、そして会社の上に現されていく。そのような歩みをし続けていただきたいと心から思っています。

最後にもう一箇所、聖書をお読みしたいと思います。「揺れるヤシの下で」という歌がありますが、ヨブ記十一章十七節のみことばからの賛美です。

「あなたの一生は真昼よりも輝き、暗くても、それは朝のようになる。」
この「揺れるヤシの下で」のみことばからのものです。揺れるヤシの下で、あの賛美の中ではゆっくりとお休みになっていますが、ヤシの葉を手にし、主をお迎えする賛美をおささげする時、「あなたの一生は真昼よりも輝く。暗くても朝のようになる。」という主のみ業があらわされると信じています。いや、本当に主がくださる恵みってすごく大きなものですね。心の中はゆっくりお休み、リラックスでいいと思いますが、日々の歩みの中で、主への賛美が響き続けていくときに、主のみ業というのがなされますので、本当に主に期待して歩み続けていきたいと思います。

もう一度、エレミヤ書五十一章十四節からの箇所をお読みしたいと思います。

万軍の主はご自分をさして誓って言われた。「必ず、わたしはばったのような大群の人をあなたに満たす。彼らはあなたに向かって叫び声をあげる。」

信じましょう。本当に、主ご自身がご自分を指して誓って言われたのです。「主が誓う」ということは、「すると言ったらする!」これは主の約束だから、これは絶対に果たされるのです。人間同士でも「約束ね。」と言ったら、それは果たされなければならないものですが、イエスさまはその中で、「必ずバッタのような大群の人をあなたに満たす。」これは主の約束です。「誓って言われた。」イエスさまの約束なので、そのことをもう一度受け取りましょう。

「彼らはあなたに向かって叫び声をあげる。」主は、御力をもって地を造り、知恵をもって世界を堅く建て、英知をもって天を張られた。主が声を出すと、水のざわめきが天に起こる。主は地の果てから雲を上らせ、雨のためにいなずまを造り、その倉から風を出される。」

そして、少し飛んで十九節です。

「ヤコブの分け前はこんなものではない。主は万物を造る方。イスラエルは主ご自身の部族。その御名は万軍の主である。」

バッタのような大群の祝福が皆さんの上に注がれることを、イエスさまのみ名によって宣言します!本当に、この素晴らしいイエスさまに、大きな拍手と賛美をおささげして、終わりにしたいと思います。感謝します。どうも、ありがとうございました。