2025年2月23日(日)新城教会牧師 滝元開
エレミヤ書 51章14~19節
万軍の主はご自分をさして誓って言われた。「必ず、わたしはばったのような大群の人をあなたに満たす。彼らはあなたに向かって叫び声をあげる。」主は、御力をもって地を造り、知恵をもって世界を堅く建て、英知をもって天を張られた。主が声を出すと、水のざわめきが天に起こる。主は地の果てから雲を上らせ、雨のためにいなずまを造り、その倉から風を出される。すべての人間は愚かで無知だ。すべての金細工人は、偶像のために恥を見る。その鋳た像は偽りで、その中に息がないからだ。それは、むなしいもの、物笑いの種だ。刑罰の時に、それらは滅びる。ヤコブの分け前はこんなものではない。主は万物を造る方。イスラエルは主ご自身の部族。その御名は万軍の主である。
ハレルヤ!
心から感謝します。今日こうして皆さんの前で奉仕させていただける恵みを本当に心から感謝します。本当にお祈りありがとうございます。今まで喘息だの何だのと、ご心配をかけてまいりましたが、皆さんに祈っていただいたゆえに、今日は本当に元気で皆さんの前に立てて本当に嬉しいです。ただただ祈りのゆえに、今日ここにあるんだなぁと思い、本当に心から感謝しています。ありがとうございます。
喘息の後に、なんだかんだと,いろんなことがありまして、実は、白内障がひどいということで、病院に行ったら「これはもう手術するしかない」と言われました。それで手術をしました。ちょっと大きめの眼科の病院だったのですが、手術してすぐに終わるのかなと思ったら、術衣に着替えるし、手術台の上で「こんなに本格的なの?」って感じでした。
でも、本当に感謝なことに、世界が明るくなりまして、片方だけだったのですが、経験された方もたくさんいらっしゃるかもしれませんが、本当に曇っていました。「いや、曇りが晴れるって素晴らしいな」と。本当に皆様の祈りのゆえに、医者の手も借りましたけど、お医者さんも手術して終わった後に「よくできたぁ!」と言っておられて、その言葉を信じていますが、本当に神さまの恵みの中で、今日はこうして元気でいられることを心から感謝しています。
一つご報告があるのですが、お仕事で日曜日に来られない方もたくさんいらっしゃるかと思います。その中でも,美容師の石川さんご夫妻も洗礼を受けてくださって、本当にイエスさまに従い、一生懸命頑張っておられます。それで時々、月に一度、基本的にご自宅にお邪魔させていただいて、家庭集会をさせていただいています。本当に祝福されています。彼らもイエスさまを愛して、本当に主のためにと、頑張って、彼を通して渡辺さんも救われましたし、渡辺さんのお母さんもご一緒に交わりをさせていただています。時々私も思い出すと渡辺さんにLINEしたりするのですが、すると、「いや、イエスさまだ。ちょうど開さんのこと思ってた。」みたいな感じで、イエス様を愛する渡辺さんの姿に感謝しています。
それで、石川さんの所で家庭集会をしていたら、彼らはイエスさまを信じてバプテスマを受けたのですが、息子さんの堅士郎くんというお坊ちゃんがいるのですが、彼も「僕だって信じてる!」と、熱くお父さんに言ったらしいのです。それで「それじゃあ洗礼を受けるか?」と聞いたら、「受ける!」と言って、彼らのところで、こうして洗礼を受けることができました。この後、彼は泳いだり、ずっと遊んでいましたが、本当に主の恵みによって、彼らも洗礼を受けることができたことを、心から感謝します。
そして、今日もう一つ、皆さんにまだお伝えできなかったことが一つあるので、どうしてもお伝えしておかなきゃと思っていたのですが、実は我が家の長男、瀧元風喜が結婚しました。本当にお祈りのおかげで、彼も日本の音楽界で頑張っていて、どうしてお伝えできなかったかというと、相手の方もちょっとした芸能系の方だったので公にできなくて、東京のホテルで、これがその時の写真です。
なんかカッコつけてベースを持っていますけど、相手の方も本当に美しい方で、彼らもすごく元気に東京で頑張っています。本当に皆様のお祈りのゆえにここまで支えていただいています。
麗歌もびっくりするほど、アメリカに旅立って、彼女もアメリカに行くとき、もうニコニコで行って、でも、アレックスさんと結婚するということで、「いや、大丈夫かな?」と思っていたのですが、レコーディングのときも本当に一生懸命、一つになって助けてくださって、感謝します。麗歌が結婚し、そして風喜も結婚して、それぞれ幸せな歩みがなされていることを覚えて、心から感謝します。
一箇所、創世記の十五章一節のみことばをお読みします。
「アブラムよ。恐るな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」
父がよく「聖書を読め。毎日読め。しっかり読め。」と言っていて、でもたまには詩篇の一番短いところだけ読んで、「よし、今日一章読んだ!」と、そういうふうに言っていましたけど、私が高校生のときに、真剣に、主を一生懸命求める時期があって、主に一生懸命祈りました。
それで、みことばを開いたときに、このみことばをいただいて感謝しました。
「アブラムよ。恐るな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」それで、このみことばをいただいたというのを、その当時の何かの集会で、私が父と母の前で話しました。そうしたら、父と母はどうなったかって言ったら、もう本当に大喜びして、「ハレルヤ!よかった!」と、「いや〜、みことばが与えられることって、こんなに大きな恵みなんだ。」とその時に思いました。
「わたしはあなたの盾である。」神さまが私たちの盾で、私たち一人ひとりを愛してくださっていて、盾となってくださる。サタンの攻撃、いろいろな攻撃がありますけど、その中で主ご自身が盾となってくださっているという、この大きな恵み、素晴らしいなぁと本当に思いました。「あなたの受ける報いは非常に大きい。」ある箇所には「あなたの命がぶんどりものだ」と書かれていたので、「私の受ける報いは命かな?」と、でも永遠のいのちというのは何よりも大きいので、それが大きな祝福ですけど、でも神さまが「恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」このみことばを皆さんも握っていただいて、歩んでいただければ、本当に大きな祝福があると信じています。本当に日々守られて、支えていただいていることを心から感謝します。
今日のタイトルは、「ヤコブの分け前はこんなものではない!」です。
ザワメキが新たに独立して始まって、最初のニュースレターがザワメキニュース・第百二号で、この時にタイトルにさせていただいたみことば、「ヤコブの分け前はこんなものではない!」でした。神さまのみ声に聞いて進んでいくときに、主が本当に「こんなものではない」祝福を用意されていると信じています。
このみことばが私に与えられたのは、ザワメキが新たに独立して「ヤコブの分け前はこんなものではない!」という、私が個人的に最初はエレミヤ書の十章十三節に「主が声を出すと水のざわめきが起こる」と書かれているのですが、それを読み進めていくとさらに「ヤコブの分け前はこんなものではない!」というところにたどり着くのですが、もう一か所、「主が声を出すと」というのが、エレミヤ書の今日読んでいただいた五十一章にも書かれています。そこには、さらに深い大きな祝福が注がれている姿を見ることができます。
少し話が飛びますが「主が声を出すと..♪」のみことばが与えられて、その賛美は与えられましたが、最初、そのみ言葉を聞いた時、「主が声を出すと、水のざわめきが天に起こる。主は地の果てから雲を上らせ、雨のためにいなずまを造り、その倉から風を出される。」と書かれていて、初めて聞いたときの私の印象は、「何を言いたいのかな?」と、よくわかりませんでした。「なんか勢いはあるけど、よくわからないな…」と。
そしてその当時、私の父が何て言ったかと言ったら、その頃、賛美が降ってきて与えられる季節・時期だったので、父が私に向かって、「おい開、『主が声を出すと』、このみことばの賛美を作れ。」と言いました。それで私は何とそれに答えたかと言うと、「作らない!賛美は与えられるもので、作るもんじゃない!」と生意気なこと言って、それで綺麗にお断り申し上げたのですが、それから幾日もしないうちに、すぐにその賛美が降ってきました。
ただ、「ダサいし、何これ?」と思って、「主が声を出しておられるかもしれんけど、違うかな?」と思って、ちょっと横に置いといたのですが、ただ、ずっとここで鳴るのです。「主が声を出すと!」と。
それで、「これ、神さまからのものだ。」と言って、ずいぶん昔にも証ししたかもしれないですけど、初めて歌ったのがイスラエル旅行のカルメル山の上で歌ったので、神さまはやっぱりこの賛美を与えてくださったんだなと思って、それが一九九三年の、もう大昔になってしまいましたけど、そのときのテーマ曲になりました。
そして今回、「ヤコブの分け前はこんなものではない!」ざわめきが新たに独立して進んだときに、滝元明は「作れ!」と言ったのですが、またそういうことを言った人間がいました。「ヤコブの分け前はこんなものではない。このみことばが与えられたなら、それを作れ!」と、明ではなくて娘の暁起が言ったのです。
それで、「作れ?」いや、作るものではないんですけど、でも本当にまもなく主が与えてくださいました。作っている意識ゼロなので、主のみ声が響いて、主が声を出しておられることですけど、そこにはさらに深いみことばが、その前後にあって、エレミヤ書五十一章十四節ですが、
「万軍の主はご自分をさして誓って言われた。『必ず、わたしはばったのような大群の人をあなたに満たす。彼らはあなたに向かって叫び声をあげる。』」
いや、すごいみことばだと思うのです。バッタのような大群。日本ではなかなか体験できないですけど、空が真っ黒になるくらいのバッタの大群があなたに満たされる。この教会にバッタのような大群が来ると言ったら、皆さん、指定席がそれぞれございますけど、それどころではないと思うのです。でも、主が与えようとしておられる約束はこんなものではない!
「ヤコブの分け前はこんなものではない。」今日のみことば、これ一つ受け取って帰っていただけたら十分かなと思っています。本当に神さまの、私たち一人ひとりに与えられている約束の祝福、「恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」と言ってくださったイエスさまの約束一つ取っても素晴らしいのにも関わらず、それからさらに主の栄光を、主が本当に推し進めていくために、本当にバッタのような大群の祝福を、これから私たち一人ひとりの上に主が注いでくださると信じています。
詩篇百十九編の百六十四節に、
「あなたの義のさばきのために、私は日に七度、あなたをほめたたえます。」
と書かれています。以前も「一日に七回歌いましょう!」みたいな企画がありましたけど、自分って七回歌ってるかな?と思うと、なかなかそうではないときもあると思うのですが、ぜひ、朝に、昼に、夕に、そしていろんなおやつの時間に、お茶の時間に、それぞれの皆さんの時間の中で、日に七度以上主に賛美する、主への賛美が満たされるような毎日になるように心がけていくことって大切だと思うので、ぜひ歌い続けていっていただければと思います。
そのときに、「ヤコブの分け前はこんなものじゃない!」という、その祝福が本当に注がれると思うので、さらに今日はバッタのような大群の祝福が私たちの中に満たされるように。
以前このニュースを発行したら、ひとりの方が,「開さん、僕、信じました!」と言って、すごく熱く語ってくださって、すごく励まされたのですが、「僕は本当にヤコブの分け前はこんなものじゃない祝福を主がくださるっていうことを信じてます!」って、あの宣言は、ものすごく大切だなと思うので、「ヤコブの分け前はこんなものじゃない!」「あなたの分け前はこんなものじゃない!」ちょっと隣の人に宣言しましょうか。「あなたの分け前はこんなものじゃない!」名前を呼べるなら呼んでいただいて、それぞれ宣言していただけますか? どうぞ!