大いなる年 2024
主よ。遅れないでください!
なんという幸せ、なんという楽しさ!

一致する時、神さまは私たちが知らないところで働いて下さいます。また、「強盗を倒す」ことは本当に重要です。今回のモンゴルでのセミナーでも、そのことについて語らせていただき、共に戦い祈る時間を持つことができました。

どの地域に行っても、敵は同じです。文化や習慣は違いますが、悪魔と悪霊どもが強盗です。それらを倒さなければ、いくら砂漠の真ん中に住んでも、韓国に住んでいても、日本に住んでいても、変わりません。

前回、「文化が違うことは、お互い、受け入れなければいけない」と話しました。日本人は魚の活造りを見たら美味しそうだと思います。しかし、モンゴルの人たちは魚の活造りを見たら、かわいそうだと思うらしいです。「ひどいな日本人!」と。
しかしモンゴル人たちは、羊やヤギや牛を平気で屠って食べます。日本人はそれを見たら、かわいそうだと言います。彼らは日本人が魚を三枚におろすように、家畜を食糧とします。違いもあるけれど、受け入れてくださいと話しました。
今回、うわさ通りに屠られる羊が用意されていました。

 この中間は見せませんが、こうなったわけです。

この羊を屠るとき、モンゴル人の牧師がイザヤ書五十三章を朗読しました。イエスさまが子羊として屠られたときに、声を出さなかったとありますが、その姿を羊の解体と合わせて話して下さいました。イエスさまの十字架での姿と、羊を屠るときの姿は同じですよと話して、祈りを持ってこの羊を屠ったのです。
動物愛護の方にはたまらないかもしれませんが、魚でも同じですし、突き詰めたら、蚊だって、ゴキブリだって同じです。価値観の問題です。聖書の世界は羊やヤギの世界です。本当にイエスさまは、私たちの罪のために十字架に自ら進んでくださったのです。兄弟たちが共に過ごすことがなければ、知り得ないことでした。

“見よ。なんという幸せなんという楽しさだろう。”

「見よ」とは感嘆符です。「なんと言う幸せ!なんという楽しさだろう!」と、究極の幸せ・楽しさということです。それが兄弟たちが一つになり、共に生き、共に集まるときに実現するのです。

“それは頭に注がれた貴い油のようだ。それはひげにアロンのひげに流れて衣の端にまで流れ滴る。”

アロンとは大祭司でした。大祭司が任命されるときに、頭に大量の油を注いだのです。大祭司は髭を伸ばしていました。髭に油が流れて、衣の裾にまで滴り落ちる。
当時、大祭司だけが神に会うことができました。その他の人々は会うことはできませんでした。大祭司だけが年間に一度、犠牲を携えて神殿の一番奥、至聖所に入り、主の声を聞くことができたのです。
兄弟たちが一つになることを実行するならば、大祭司に注がれる油注ぎ、「主と会うことができる」という約束です。

“それはまたヘルモンからシオンの山々に降りる露のようだ。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。”

「ヘルモンからシオンの山々に降りる露」とは、イエスさまご自身を表しているとある方が書いていました。
”ヘルモン山からの露はいのちの象徴である。「主イエスは、サマリヤの女に、ご自身が渇くことのない永遠の命の水であることを明らかにした。また、仮庵の祭りの最後の日に「だれでも渇いている者は私のもとに来なさい」と言われた。イエスを信じる者は永遠のいのちに生かされ、その命の水を他の人に分かち合う者とされる。」”

“わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」”(ヨハネの福音書 七章三十八節)

詩編133編は、新約におけるイエスさまご自身を表しているのです。私たちが一つになるときに、イエスさまと出会い、永遠のいのちに繋がるのです。

実は今回、モンゴルに行って一つ教えられたというか、気づかされたことがありました。ふっと主が語ってくださったかのように「新城教会はモンゴルがなかったら存在しません。またリバイバルミッションもモンゴルがなかったら、あり得ないです」と語ってくださったような気がしました。

私の父・滝元明と田中政男が「日本リバイバルクルセード」を始めました。それが現在の「リバイバルミッション」に繋がったのですが、なぜ、超教派の宣教団体、「リバイバルクルセード」を始められたのかというと理由があったのです。彼らは巡回伝道者たちで、全国の多くの教会とつながりがあったからです。
しかし最初、彼らは誰の目にも留まらない無名の人物たちでした。なぜ、巡回伝道者になれたのでしょうか。

父が新城市に伝道に入った頃、この地域には、すでにスウェーデン宣教師たちが伝道していました。
 父は当時、生活の為に麻工場で働いていました。とても超教派の働きなんかできるような男ではなかったのです。しかし、彼が伝道者となり、全国を巡ることができるようになったのは、「オーケ・レナンデル先生(Aake Loenander)」という、スウェーデン宣教師が父を引き出してくれたからです。この先生がいなかったら、父は超教派の仕事はできなかったと思われます。
オーケ・レナンデル先生は、どのような団体に属していたのかというと、フレデリック・フランソンという牧師が始めた、「スウェーデン蒙古伝道団(SMM)」に属していたのです。
この伝道団は初期はモンゴルで伝道をしていたのですが、途中で中国の共産革命に伴い、モンゴルの政治情勢が変化し、モンゴルから引き上げて日本を伝道地として変更しました。しかも宣教師たちが国に帰る途中、日本人牧師と出会い、日本の状況を聞き、「日本に宣教するのが主のみ心だ」と確信し、方向を変え、モンゴルから日本に拠点を移したというのです。その団体から派遣された宣教師たちが、新城市の隣町、豊川市で伝道をしていたのです。それで私の父を見いだしてくれたのです。「我土方なれど」を読むと、その背景には、不思議な神の導きがあったことが記されています。

『我、土方なれど』p197
”それから数日後に麻工場の機械を手にしながら働いているとき、実に不思議なみ声を耳にした。確かに、私の耳もとで、神の聖霊が語りかけられた。こんな経験は今までに一度もなかった。「今日、あなたが家に帰ると、スウェーデン宣教師のところから、手伝いをしている三輪町子さんがあなたの家に来ます。そして宣教師はあなたに伝道に来てくれるように依頼するでしょう。そしてあなたは伝道に行くようになります。するとまた、他の宣教師もあなたを伝道に招くでしょう。そして、また他の宣教師もあなたを招き、ついには日本中を回って伝道するようになるでしょう」”

果たしてその日、主の語りかけが実現しました。オーケ・レナンデル先生の手伝いをしていた三輪さんが我が家にやってきて、レナンデル先生との出会いが実現したのです。それをきっかけに父は巡回伝道者となり、やがて「伝道団体、日本リバイバルクルセード」が設立され、「リバイバルミッション」が生まれたのです。
つまり、スウェーデンの宣教師たちがモンゴルに遣わされなければ、今の私たちはなかったと言うことです。神さまの摂理の深さをに感動します。モンゴルで、天から情報が降ってきたようでした。
私はモンゴルのホテルから、アマゾンで本を一冊を注文しておきました。それは「スウェーデン宣教師が写した、失われたモンゴル」という本です。昨日、家に帰ったら本が届いていました。スウェーデンのリバイバルは、若者たちをモンゴルに向かわしたのです。神さまが世界中に福音を伝えるために、不思議なわざを行われたのです。

さて神の最終ゴールは何でしょうか。それがエペソ人への手紙の一章九節・十節にあります。

“みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。”

神の最終ゴールは、すべての被造物と共に、バベルの塔から世界に散らされた、すべての民族をキリストによって、一つにまとめることです。岩波訳聖書では「その奥義とは、万物をキリストにおいて、天上のものも地上のものもキリストにおいて一つにまとめるというものである」と訳されています。
神がこの地球上で成し遂げたい最終ゴールは、「天上のものも地上のものもキリストにおいて一つにまとめることだ」と語っています。教会は天上にもあり、地上にもあります。天の教会は勝利の教会で、地上にある教会は戦う教会です。やがてそれが一つにまとめられると言っています。

パウロはこのように述べています。

“天と地にあるすべての家族の、「家族」という呼び名の元である御父の前に祈ります。どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により、力をもってあなたがたを強めてくださいますように。”(エペソ人への手紙 三章十五~十六節)

天にも聖徒たちによる家族があり、地上には地上の教会の家族があります。それをやがて一つにまとめるのが、イエスさまの願いであり、中心的な働きなのです。

私たちが一つになることを心から願い求めるときに、主は大いなることをしてくださいます。
アメリカのリバイバルの流れで、スカンジナビア半島にリバイバルが起こり、それがモンゴルに伝わったのです。深い歴史を通して、主はすでに日本にも働いてくださっていたのです。私はほとんど意識していませんでしたが、モンゴルの地で、天から降ってきたような気がしました。天の家族の祈りが、私の上に降ってきたのかもしれません。

やがて来たるべき主の再臨に向けて、天と地が一つになることを目指して、目の前にある壁を崩していくことを、主は願っておられます。

最後に一言お祈りをさせていただき、今朝のメッセージに代えさせていただきます。

天の父なる神さま、み名をあがめて心から感謝いたします。
今日は日本からモンゴル教会の祝福を祈ります。広い草原に散らばって礼拝を守っている諸教会を祝福してください。また韓国の教会の上にも特別な祝福がありますように。
日本、韓国、モンゴルが一つとして主の前にあることを宣言し、その祝福を新城教会にも宣言します。一人一人が祝福を受け取ることができますように。
イエスさまのみ名によって祈ります。アーメン。