2024年6月30日(日)新城教会主任牧師 滝元順
詩篇133篇1節
“見よ。なんという幸せなんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになってともに生きることは。”
ハレルヤ!おはようございます。明日から七月ですが、本当に早いものですね。
皆さんにお祈りしていただき、モンゴル・リバイバルミッションは大変恵まれました。昨日の日本時間、朝三時に起きて夜中の十一時ごろに戻ってきました。まだ眠いのですが、お祈りに支えられて、全員、元気に帰ることができました。本当に感謝です。
日本と韓国、そしてモンゴルという、三つの国が一つになっての集りでしたが、予想以上に素晴らしかったです。
本日の主題のみことばは、詩篇百三十三編一節、
「見よ、なんという幸せなんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになってともに生きることは。」
これは都上りの歌で、ダビデの詩です。イスラエルは、ダビデ・ソロモンの時代、十二部族が一つとなっていました。その後イスラエルは、十部族と二部族とに分かれて調和が崩れました。
ダビデの時代、十二部族が共に集い、神の前に出ていました。その時、どのような祝福を受けていたのかがここに記されています。
詩篇百三十三篇は三節しかありません。大変短いです。
“見よ。なんという幸せなんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになってともに生きることは。
それは頭に注がれた貴い油のようだ。それはひげにアロンのひげに流れて衣の端にまで流れ滴る。
それはまたヘルモンからシオンの山々に降りる露のようだ。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。”
「兄弟たちが一つになって共に生きる祝福」の結論として、「主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられた」と告げられています。
教会は、いろいろな背景から集まり、共に生きる共同体です。また「ともに生きる」とは、「座る」という意味もあります。「兄弟たちが共に座ることは、なんという幸せ、なんという楽しさだろう」となります。毎週の礼拝で、同じ場所に共に座っています。この姿こそが祝福の原点であるということです。主がそこに、「とこしえのいのちの祝福」を命じておられるからです。
共に生きられるのは本当に幸せです。年を取ると、親が亡くなったり、兄弟たちも少しずつ欠けて、歯が抜けるように共に生きることが出来なくなります。家族が一つになって生きる期間は幸せです。
しかし「兄弟たち」とは、さらに大きな枠組みがあって、イスラエルにおいては「十二部族」を意味していました。
今回、私たちはモンゴルに行きました。モンゴルは中国の北にあります。内モンゴルは中国に属していますが、モンゴルはその北に位置します。国土は日本の四倍の面積があります。住んでいる人たちは三百数十万人で、人口を面積で割ると一平方キロメートルあたり、二人弱しか住んでいないことになります。しかし首都ウランバートルには、人口の半分近くが住んでいますから、混み合っています。私は十数年前に一度行ったことがあります。その時と比べて、街並みも綺麗になっていました。
しかし一歩郊外に出ると、広大な原野が広がっています。
人類の歴史の中で最大の帝国はギリシャ帝国でもローマ帝国でもなく、「モンゴル大帝国」でした。初めジンギス・カンによって築かれ、世界で最も大きな帝国となりました。二人に一人がモンゴル人だった時代もありました。それは十三世紀頃のことです。
ゲルという遊牧民の移動式住居も多く見かけます。冬は本当に厳しく、前回は十二月に行ったのですが、零下四十度を初めて体験しました。その寒さは、針で刺されているようでした。モンゴルの教会では、零下四十度でも川で洗礼式をやると言っていました。モンゴルでは農業ができないわけです。野菜を多く作ることができないのです。彼らの食事は、主に牛や羊の肉が中心で、体が大きいです。モンゴルが攻めてきたら、負けるのも当然だなと思いました。
この国の人たちは馬に乗るのが本当にうまいです。被造世界も豊かです。
三日間は、朝の九時から夜の十一時近くまで、びっしりと集会がありました。韓国教会が中心になって計画すると、集会だらけです。十分休憩してまた再開という感じでした。でも、本当に恵まれた集会でした。
今回、モンゴル人の「いのちの泉教会」で集会が持たれました。
一見カフェのように見えるのですが、カフェです。しかしこの店の二階に、広いホールがあって、礼拝をしています。モンゴルでは、クリスチャンが人口の約四パーセントほどだそうです。でも、十字架を掲げている教会はありません。なぜかというと、共産主義との関係で十字架を掲げると迫害があるからです。そんな中でも信仰を守っておられます。
この教会のジョシュア・モンフ牧師、この方も体が大きかったです。モンゴル中に多くの枝教会を持っておられる先生です。
日本からは若者たちも含めて十九名が行きました。そして韓国からも二十名ぐらい、牧師と牧師夫人の方々が来られました。日本と韓国は「近くて遠い国」と呼ばれていますが、私たちはイエスさまによって近くて・近い国になりました。このように二つの民族が共に生きるのは、本当に祝福です。
集会にはモンゴル中から集まり、参加されました。ゴビ砂漠って知っていますか?ゴビ砂漠から来られた方々もいました。普段は「牛を飼っています」「羊を飼っています」と言う方々でした。来年はぜひ、ゴビ砂漠の教会に来てくれと言われました。メッセージのお礼に、羊やヤギをくれると言っていました。
全国から集まったモンゴルの先生方を含めるとこんな感じでした。
午前・午後はセミナーのような形で、夜は現地の方々も一緒になってリバイバル聖会でした。
これを見ると、誰が日本人で、誰がモンゴル人、韓国人なのかわかりません。三つの言語が飛び交う中で、姿・形はほとんど変わらない不思議な時間・空間を過ごしました。
私たち日本人のルーツはどこにあるのかと言ったら、モンゴルあたりにあるだろうと思います。
元々、人類は、一つの言葉、一つの地域で過ごしていたのです。創世記十一章に「バベルの塔」の話が出てきます。塔を建てたことで世界中に散らされて、言語が変わってしまったとあります。そこから東に散らされた人たちが最も多かったようです。
言語学的に、言語のルーツは「一つの言語」だったことが証明されています。特に、文法が同じというのは、民族的ルーツが同じであることを表しているそうです。日本語は都合のいい言葉です。結論は最後に言えばいいからです。
中国語や英語、ラテン系の言葉は「私は行きます。教会へ。」と先に結論を言わなければいけません。性格も強くなるのは当然です。しかしモンゴル語、韓国語、そして日本語は文法が同じです。
今回、愛知県に七年ぐらい住んでおられた名古屋大学の大学院を卒業された優秀な方が通訳してくださいました。複雑な内容でも、気軽に話せました。
若者たちも最前列で集会に出席し、按手して祈ってもらっていました。パプアニューギニアのモーゼス君も一緒に行きました。
前回も話しましたが、騎馬民族が紀元1世紀頃から日本に渡来しているのです。騎馬民族が日本に来たという説は、戦後しばらくは信じられていましたが、その後、否定されました。しかし、素直に歴史を考えれば、それは事実だと思います。
今回モンゴルに行く前に、近くの大きな古墳に行ってきました。ここから出土したものは馬具ばかりです。
紀元三世紀から七世紀のものです。当時、日本では製鉄技術がなかったと言われます。これらを誰が作ったのか・・。
この三つの国は元を正せば兄弟です。今では言語が変わり、文化も変わっていますが、三カ国が共に座り、共に主の前に出て礼拝しました。大変恵まれた時間を過ごすことができました。
時々、海外に行って日本人とは違った方々と交わることは良いことです。日本人は自分たちの枠の中で生きていて、それが普通だと思っていますが、海外に行くと、日頃の常識が役に立たないことが分かります。しかし共に集まる時、殻が破れて、祝福が流れてくるのを実感します。広い砂漠の真ん中で主を礼拝している方々にも、主は同じ恵みを注いでおられます。
実は来年の二月に、モンゴルと韓国の方々が、新城教会に来られるそうです。ぜひ協力していただきたいと思います。
モンゴルに行きますと、走っている車は、ほとんどが日本からの中古車です。かなり昔、日本で走っていたプリウスが半数ぐらいです。日本から姿を消した車たちが、今や、モンゴルで生き生きと、第二の人生(車生)を過ごしています。
プリウスは四・五年使ったら電池が駄目になるって聞いていましたが、嘘だと思いました。モンゴルでは問題なく走っています。日本の自動車会社の宣教師たちはすごいです。日本人クリスチャンもこのくらい福音宣教のために働かなければならないです。
教会が世界に出ていくときに、神の大きな祝福があると感じます。来年の六月には、ゴビ砂漠に来てほしいと言われました。
カザフスタンの人たちも来られました。「スタン」とは土地という意味で、「カザフ族の土地」ということです。
モンゴルで霊的戦いセミナーができるとは思いませんでした。本当に感謝です。どの民族、どこの国においても、敵は同じです。
前回、良きサマリア人の話をさせていただきました。ユダヤ人とサマリア人という、異なる民族が一致することをイエスさまは願い語っておられると話しました。
「隣人を愛する」ことが、イコール「神を愛する」ことであるのです。
しかし良きサマリア人のストーリーで最も重要なテーマは、エルサレムからエリコに至る道は、頻繁に強盗が出没していた危険地帯でした。その道路には、ユダヤ人にも、サマリヤ人にとっても、共通の敵が存在していたのです。それは「強盗」でした。
倒れてる人をいくら助けても、強盗がいる以上、次の犠牲者が出るわけです。一番大切なことは、「強盗を一掃する」ことです。
ルカ十章は、七十人の弟子たちが宣教に出て行った場面から始まります。彼らは緊張しながら出て行きましたが、帰ってきたときにはこう話しました。
“さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました。確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。”
この文脈で語られたのが、「良きサマリア人の例え」です。「強盗」とは何を表しているのでしょうか。サタンや悪霊どもを表しているのです。いくら互いに助け合ったとしても、強盗が野放しになっていたら犠牲者は絶えません。二つの民族が力を合わせてやらなければならない第一の仕事は、共通の敵である「強盗ども」を一掃することです。強盗どものいない、安全な道を作ることです。これが「隣人を愛する」というストーリーで、最も重要なことです。
対立していた民族が和解し始めると、一致して、強盗どもを倒すことができます。「確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。」とイエスさまは語られました。
今回、モンゴルに行く前に、祈っていたときに、このみことばが与えられました。未知の世界で、私の話が通じるだろうかと心配でした。果たして遊牧民の方々に話が通じるか心配しましたが、しっかりと通じました。みことばの通りに主が確かなことをしてくださったのです。
二日目は韓国の先生方の時間でした。その中で「家族セミナー」がありました。春川の牧師先生が講師でした。どのような内容を話されるのかと思っていたら、意外なことを話されました。講師は、コ・ドクビル先生という方でした。
韓国で牧師になるのは大変です。神学大学院まで卒業し、大きな教団から牧師としての認証をもらわなければならず、長い時間がかかります。牧師になろうとする人たちも多くいます。なぜなら教会も多いし、それだけ安定した良い職業だからです。日本での牧師は、一番やめた方がいい職業じゃないかと思います。
そういう中には、いろいろな牧師もいるわけです。もちろん日本も同じですが、最もしょうもない牧師がこの人だったらしいのです。自分でも語っていました。
春川には三百ぐらいの教会があるらしいのですが、彼はアル中で、タバコがやめられなかったと言います。また、スマホ中毒で一日、8時間以上やっていたそうです。自分の結婚式の前夜、飲んだくれて、二日酔いで結婚式中、居眠りしていたというのです。躁鬱病もあって、結婚してから三十年間、奥さんや子どもたちを虐待し続けたそうです。そのため、牧師を辞めさせられたり、降格させられたりと、本当にひどかったのです。
しかし春川のイ・ビョンチョル先生たちは優しくて、彼をみんなで支えたと言うのです。偉いと思います。
ある時、彼に「滝元順が春川に来るから、その集会に出てみろ」と案内したと言うのです。彼は日本に対して、あまり良い思いを持っていなかったので、「滝元順って誰だ?」という感じで、まずは私の名前をネットで検索したと言います。
そうしたら、韓国語通訳で、五回シリーズで私が語った霊的戦いセミナーが出てきたそうです。それは2019年に、日本の韓国教会で行った内容です。それは結構評判になって、五千人ぐらいの人たちが視聴してくれたのですが、それを目にしたと言うのです。彼はそれを何回も観て、なぜ自分の人生が最悪なのか分かったそうです。それが霊的問題だということに気づいたと言うのです。彼の家系は、祖先崇拝に明け暮れていて、悪霊を呼ぶ専属のムダンという霊能者がいて、母親は毎朝家族の為に、水神に祈りを捧げていたそうです。また、自分と同じような問題児が家系の中に何人もいると言うのです。彼は、「これは霊的な問題だ!」とわかったそうです。それで家系の悪霊との霊的契約を断ち切る祈りを細かくしたと言うのです。
そうしたら、本当に変えられたと言うのです。そして今回は「家庭セミナー」の講師をやっていました。信じられないです。私はそんなことは全く知らなかったのですが、彼はメッセージの中で、「私は滝元順先生のYouTubeの五本シリーズを見て解放されました」と話されてびっくりしました。
たいへん嬉しかったです。もしも私が韓国教会で奉仕をすることがなかったら、また、日本と韓国が一つになることがなかったら、この奇跡は起こりませんでした。私たちが韓国を兄弟として共に過ごすことがなかったら、この牧師はもしかしたら滅びていたかも知れません。ご夫婦で何回も私に、「ありがとうございます」とお礼を言ってくださいました。私もたいへん光栄でした。