2024年12月8日(日)新城教会主任牧師 滝元順
エペソ人への手紙 4章10~12節
“この降られた方ご自身は、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方でもあります。こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。”
ハレルヤ!メリー・クリスマス!
最近の世界情勢を観ますと世界は破滅に突き進んでいるかのように見えます。しかし、その流れを食い止める鍵を持っているのは、クリスチャンであり、教会にあることを学んでみたいと思います。教会には、世界を管理する霊的鍵が与えられているからです。多くのクリスチャンは、「そんな大きなことには関われません」と言いますが、一人一人が神から委ねられた賜物を駆使して関わるのなら、世界は変わるはずです。歴史は、決して目立つ人によって変わるものではありません。目立たないクリスチャンの祈りによって変わると信じます。
そのためにも、「教会とは何か」についてよく理解する必要があります。
教会は、旧約聖書の概念と新約聖書の概念が合体して出来上がったものです。それはヘブル的世界観と、ギリシャ的な世界観の両面を含んでいるからです。
旧約聖書における教会と同一概念の言葉は「カーハール」です。これは「呼び集める」という意味があります。
そしてギリシャ語では「エクレーシア」という言葉が使われています。しかし「エクレーシア」は元々、ギリシャ社会に存在した「議会」を指す言葉でした。この議会の目的は「種々の軍事行動に対する作戦と宣戦布告の決定機関であった」というのです(新約聖書ギリシャ語精解/バークレー)。
そんな社会構造の只中に、クリスチャンたちのグループが生まれた時、人々は「エクレーシア」と呼ばれる「種々の軍事行動に対する作戦と宣戦布告の決定機関」とクリスチャンの集合体がすこぶる似ている!と感じたわけです。その結果、元々あった「エクレ-シア」という単語が、クリスチャンの集合体に置き換えられたのです。
当時、どれほどクリスチャンの集合体が「種々の軍事行動に対する作戦と宣戦布告の決定機関」すなわち「エクレーシア」に酷似していたのか、想像に難くありません。
日本には明治時代まで教会はありませんでした。誰かがクリスチャンの集合体を観て、「教会」という用語を作ったはずです。一般の目にはどう映ったのかというと、軍事行動に対する決定機関にはおよそ見えませんでした。会衆が集まり、先生から教えを受ける教室のように見えたはずです。それで会衆を教える場所として「教会」という用語が生まれたのだと思われます。
しかし本来、教会とは教室でもなく、ファミリーでもなく、「戦いのために呼び出された者たちの群れ」すなわち、「神の軍隊」でした。地上の教会は、以前も話しましたが、「戦いの教会」です。さらに教会は地上だけに存在するのではなく、天にも存在します。天の教会、それは「勝利の教会」です。
この教会からも多くの兄弟姉妹が先に天に行かれました。彼らは「天の教会」、つまり「勝利の教会」に属しています。
来週は家内が天に帰って二年の記念日です。
土曜日になると、毎週、少年たちが我が家に泊まりにきます。彼らが来ると必ず、礼拝の祝福の為にとりなしの祈りに出かけます。そして家でも、夜と朝は祈祷会を持ちます。今朝、私の孫が感動的な祈りをしてくれました。それは、「今日のジィジのメッセージが、天国のバァバを感動させるメッセージとなりますように!」と祈りました。それを聞いて私は、責任重大だなと思いました。
教会とは地上だけのものではないのです。天上にもあって、天と地が一つになるとき大きな力を発揮します。
イエスさまはその教会の頭です。先ほど読んだ箇所の中に、彼イエスは全てのものを満たす方であり、諸々の天よりも高く上げられた方です、とありました。イエスさまは「諸天」を含んで、すべての頭として存在しておられるのです。ゆえに教会は諸天を貫く宇宙的な存在です。
つまり、イエスさまは、地上の教会の頭であるだけでなく、天上の教会の頭でもあるということです。教会は天と地を貫く存在です。
イエスさまが地に降られたとき、その活動の中心地はガリラヤ湖周辺でした。しかしある日、イエスさまは弟子達をピリポ・カイザリヤにまで連れて行かれました。徒歩だと、おそらく二、三日はかかる距離だと思われます。そこまで彼らを連れて行き、こう尋ねられました。
「わたしを誰だと言いますか?」。
この場面はマタイの福音書十六章十三節から十八節にあります。
“さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」”十三節)
“シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」”(十六節)
弟子たちはピリポ・カイザリヤにおいて、イエスさまのことを「生ける神の御子キリスト」、メシアであると告白しました。肉体を持つ神の子イエスさまを目の前にして、「あなたはキリストです」と宣言するのは、イエスさまがあまりにも近い存在であるがゆえに、もしかしたら、弟子達にとって大変だったかもしれません。
しかし彼らにとって、もう一つの困難がありました。それらを越えて弟子達は信仰告白をしたのです。
そのとき、イエスさまは弟子たちに言われました。
“ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。”(十八節)
教会は、イエスさまによって建てられたものです。イエスさまご自身が「教会」という用語をここで初めて使われました。それは、ギリシャ語ではなくアラム語であったと思われます。
「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」と宣言されたのです。
ではなぜ、イエスさまは弟子達をピリポ・カイザリヤにまで連れて行き、このような質問をされたのでしょうか。それは弟子達が抱えていたもう一つの信仰告白を阻む壁を越えさせる為でした。
現在、ピリポ・カイザリヤに行きますと、こんな遺跡が残っています。
そこには大きな洞窟があり、その周辺から水が湧き出ています。この場所はヘルモン山のふもとにあり、ガリラヤ湖の水源地でもあります。
イエスさまの時代、この場所には異教の神殿が建ち並んでいました。今でもその一部が残っていますが、この神殿には当時、地域の人々が拝んでいた神々が一堂に祀られていました。
第一に「皇帝アウグストの神殿」がありました。ローマ帝国の時代においては、皇帝が神として崇められていました。かつて日本で天皇が現人神として崇められていたのと同じです。近代日本と同じ皇帝礼拝が、すでにイエスさまの時代に存在していたのです。
ピリポ・カイザリヤ地域の人々は、ローマ皇帝に支配されていました。その地域で生きる為には、まずは「天皇は神だ!」とかつて叫んだ日本人と同じように、「皇帝アウグストは神だ!」と叫ばなければ生きることは出来ませんでした。
さらにその隣には「パンの神殿」がありました。ギリシャ神話に登場する「パン神」のことです。「パニック」という言葉はパン神に由来します。パン神は少しのことで大騒ぎをする神とされていました。そこから「パニック」という言葉が生まれました。私たちも「パニックになる」とよく使います。それはパン神のようにふるまう、バン神の行動をまねるという意味になります。気をつけてくださいね。
当時の裁判は、ギリシャ神話のパン神の前で行われたのです。
そして神殿群の中心に「ゼウスの神殿」がありました。ゼウスとはギリシャ神話の最高神です。また、その横には墓地神殿がありました。上部と下部の墓地神殿で構成され、ギリシャ人たちは死者の霊をまつる、祖先崇拝を熱心に行っていました。ガリラヤ地方を含むこの地域では、ギリシャ神話の神々の名のもとに、墓場が作られていたのがわかります。悪霊に取り憑かれた男が住んでいたゲラサの墓場もギリシャ神話と関連していました。
日本では仏教の名の元で墓が作られています。同様に、ピリポ・カイザリヤを中心とする地域の人々は、ギリシャ神話の死後の世界観と共に葬られていたわけです。
こんな宗教的中心地に、イエスさまは弟子達をわざわざ連れて行かれ、ご自身について質問されたのです。
この場所の人たちに「神とは誰ですか?」と質問すれば、「皇帝アウグスト様です!」「パンです!」「ゼウスです!」「先祖の霊です」と答えたはずです。
そのような場所でイエスさまは弟子たちに「わたしのことを誰だと言うのですか?」と尋ねられました。その地域に住まう弟子たちにとって、「あなたは生ける神のみ子、キリストです!」と答えるのは、非常に勇気がいることであったと思われます。これが第二の理由です。
しかしイエスさまは、あえて最も「あなたは生ける神のみ子、キリストです!」と答えにくい拠点に弟子たちを連れて行き、異教の神々の面前で信仰告白をさせたのです。
さて、どうでしょうか。この状況、日本の社会とよく似ていると思いませんか?日本でイエスさまのことを「あなたは生ける神のみ子、キリストです!」と告白するのは、とても難しい環境があり、勇気を必要とします。
本来、信仰告白は教会の椅子の上でするものではないのです。信仰告白は地域の偶像の面前で、人々が異教の神々の神殿に流れ込む只中で、「イエスさま、あなたこそ私の救い主、私の神です!」と告白し、宣言することなのです。
クリスマスが終わればすぐに正月ムードに激変します。初詣と称して、国民は神社になだれ込んで行きます。そんなただ中で「イエスさま以外に救い主はいない!」と叫んだら叩かれそうですよね。
しかしそのくらいの面がないと、信仰者として生きることはできないのが日本の現実です。こうしてみれば、教会とは、ただ会衆を教えるような場所ではなく、神の軍隊であることがイエスさま自身の行動からも理解できます。
このような大変な環境下で信仰告白に導かれた弟子達であったゆえに、後に、ギリシャ社会のエクレーシアと酷使した群れを形成出来たのです。日本のクリスチャンは、弟子達と同じ環境を共有しています。日本の教会は、神の軍隊であるべきです。教会は敵の面前に置かれていることに気づかなければならないのです。
イエスさまは弟子達に、「ハデスの門も教会には打ち勝つことはできない」と言われました。「ハデス」の意味は「悪魔の住処」「地獄」です。
イエスさまがこの場所で語られたことからわかるように、ハデスの入口、ハデスの門とは、ゼウスの神殿の入り口を指しています。当時、ゼウスは最高神とされていました。まさしく悪魔の住処は、ゼウス神殿のゲートをくぐった先にある事を意味します。多くの人たちが偶像礼拝の為にゲートをくぐりますが、そこはまさに、ハデスの入口だということです。
私たちは教会を環境の良い場所に建てたいと願うのですが、実際、霊的にはハデスの門前に建てられる事が多いのです。
新城教会も実にその通りでした。死の門の面前に建てられていた事を後に知らされ、気づかされました。
現在、新城教会は、いろいろな施設があって充実しています。私は本当に恵まれています。住んでいる敷地内に喫茶店もあり、ジムもあるのです。ヘブンズ・カフェに行けばいつでも食べることができます。この頃、一番人気の商品をご存知ですか?それは「PJサンド」です。一度食べてみてください。本当に美味しいですよ。PJ、それは「Pastor Jun’sサンド」です。
しかし新城教会は霊的に見ればハデスの門前にあるのです。教会前の広場は「設楽が原」です。ここでは、一六世紀に、数時間の戦闘で一万六千人が死にました。ガザで一年以上、戦っていますが、死者は四万から五万人だと言われます。しかし設楽が原では、わずか一日、しかも数時間で一万六千人が命を落としたのです。それは現代においても、信じられない数字です。まさしく新城教会はハデスの門前です。
ということは、教会にはハデスに落ち込んでいく人たちを助け出す使命があるのです。クリスマスの季節は、日本人が最も心をイエスさまに向けやすい季節です。この時にこそ、人々を主のもとに勝ち取らなければならないのです。