2024年11月3日(日)新城教会主任牧師 滝元順
ペテロの手紙 第2 三章十二〜十三節
“そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません。その日の到来によって、天は燃え崩れ、天の万象は焼け溶けてしまいます。しかし私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。”
おはようございます。ハレルヤ!恵まれた賛美の中で礼拝が守れますことを心から感謝しています。
あっという間に十一月になってしまいました。今日は「文化の日」と呼ばれるわけですが、そもそも神は文化を創造されていません。神は、神の国の世界観一つで世界を創造されました。「文化」とは、他との比較によって成り立つものです。バベルの塔から人々が世界に散って、それぞれ異なった行動をした結果として、文化とよばれるものが出現しました。何処の国の文化も、偶像礼拝が根底にあり、罪にまみれて形成されています。
私たちは何を基準にしたら良いのでしょうか。それは今読んでいただいた聖書箇所です。
“しかし私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。”
クリスチャンはここに中心軸を置かなければなりません。日本は文化伝統を守るとか主張していますが、それは神の作品ではありません。私たちは常に新しい天、新しい地、「義の宿る天と地」を待ち望む必要があります。
歴史を振り返ると、神が様々な良きことをしてくださった事がわかります。同時に、様々な戦いがあったことにも気づかされます。それらを新しい世代に伝えるとき主の働きは継続され、義の宿る新しい天と新しい地にゴールがあるのです。すべての営みは、ここに集約されるべきです。
ペテロの手紙第二、三章十節から十三節を読んでみますと、
“しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。このように、これらすべてのものが崩れ去るのだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう。そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません。その日の到来によって、天は燃え崩れ、天の万象は焼け溶けてしまいます。しかし私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。”
これは普通に読むと、地球最後の日の描写です。
宇宙も永遠には続かないと考えられています。やがて地球最後の日がやって来るわけです。神はペテロを通して人類に情報を与えました。
しかし長い間、ペテロの手紙第二、三章十節から十三節は、間違って理解されていました。
『残念ながら、この箇所の誤解から、この地上が放射能で汚染されようと、砂漠化が進もうと、どうせすべてが火で焼かれて消え去るのだから、人間のたましいの救いだけを考えればよい、などという解釈が生まれた。
しかしここにおける中心テーマは、この「地」の滅亡ではなく、諸々の天が火で焼かれてきよめられ、「隠されていた空中の権威を持つ支配者の欺きが露わにされ、滅ぼされる」ことにある。地上は一度大洪水によって滅ぼされたが、今度は隠されていたすべてのことが明らかにされ、火で精錬される。だからこそ、諸々の天と地が火で焼かれるということと、聖い生き方と敬虔さがセットになって記されているのである。』
部分的に岩波訳で読んで見ますと、
“主の日は盗人のようにやって来るであろう。その日、諸天は大きな音をたてて去り行き、天体は火に包まれて崩壊し、地とそこでの業はもはや見いだされることがないであろう。
・・・しかし、私たちは神の約束に基づいて、義の宿る新しい諸天と新しい地を待ち望んでいる。”
いつも申し上げておりますが、日本語の聖書は単数と複数を区別して訳していないことが多く、残念です。しかし、岩波訳では天を「諸天」と訳しています。
これがどういう意味なのか、主の日とは地球最後の日ではないという事です。「地」の滅亡ではなく、諸々の天が火できよめられ、隠されていた「空中の権威を持つ支配者の欺きが露わにされ滅ぼされること」にあると言うのです。
イエスさまが帰ってこられる日とは、空中の権威を持つ支配者の欺きがあらわにされ、彼らが滅ぼされる日なのです。その結果、地上は聖められ、新しい地として再創造されるのです。
エペソ人への手紙一章九節から十節においても、みこころの奥義ということについて、
“みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。”
と記されています。
諸天と地が一つになる日、それが神の創造の完成の日です。そのときに何が起こるのか、諸天を支配していた暗闇の支配者の策略が暴露され、彼らが滅ぼされるのです。
以前にも少し触れましたが、ユースタス・マリンズという作家がいますが、彼は長年、世界の権力の中枢に何か別の存在を感じて追求してきました。都市伝説とか陰謀論と言うような言葉が作られる以前から、彼は四十年ほど世界の秘密を調べました。その結果、ある結論にたどり着きました。
『人類が直面している危機に関して四十年の間根気よく調査研究を続けた結果、私は、「すべての陰謀はサタンの仕業である」という、きわめて簡潔な結論に達した。考えてみれば、この結論に驚く人はいないはずだが、実のところ、私にとっては少々驚きだった。研究に費やした何十年もの歳月がこれほど反論の余地のない包括的結論を導き出すとはまったく予想していなかったからだ。何年ものあいだ、この回答を引き出せなかったのは、私が道筋を誤っていたからではなく、究極の知識源、聖書を参考にしていなかったからだった。』
私たちは聖書という究極の知識源を手にしています。その中から、どんな情報を抽出するのかは非常に重要です。
しかし昨今では、聖書をただ、自分の生き方の改善ツールのようにしか見なさない傾向が強いです。それだけではいけないのです。彼によれば、
『・・・サタンによって、つまりその子ネフィリム、さらにはカインを通じて、地上には悪魔的存在が確立されてしまい、神に対するサタンの反逆は以後、何千年ものあいだ、この世を苦しめることになった。以後の人類の歴史は神の民とサタンの礼讃者との戦いの歴史でもあるということだ。歴史的出来事はこの二つの対立勢力の実際の記録を明かすものだから・・・このことが理解されないかぎり、明らかにされ得ない。』
どのくらいの人たちが、「歴史とは、神の民とサタンの礼讃者との戦いの結果」だと理解しているでしょうか。
聖書という究極の知識源を持っている者たちがこの事を理解しない限り、世界は悪魔の手の中にあり続けます。次々と不幸が地上を襲いますし、地獄に向かう新しい人類が誕生します。結果、地獄の人口ばかりが増えていきます。
しかし、究極の知識源である聖書を手にし、神の究極的目的が何であるかを理解することによって、主の日は早められるのです。
私たちが常に目にしている歴史的出来事のすべての背後に、神の民とサタンの礼讃者との激しい戦いがあるのです。
先週の日曜日には衆議院議員選挙がありました。投票に行かれましたか?私は行きました。クリスチャンは政治にあまり関わらない方が良いと考える人がいるかもしれませんが、それは間違いです。それらはエホバの証人の考え方です。クリスチャンは国政に積極的に関わらなければなりませんし、世の中のすべての事象に関心を持ち、祈りの対象にしなければいけないのです。
なぜなら選挙の結果も、神の民とサタンの礼讃者との戦いの結果だからです。天の戦いの結果が、地上に現れるからです。
今回の衆議院議員選挙の結果についてある評論家が「この結果は、日本の政治に神が手を伸ばしたとしか思えない」と語っていました。普通では、こういう結果にはなり得なかったと。神がこの国に手を伸ばされた結果だと。
選挙のために祈られましたか?新城教会の方々は祈ってくださいましたね。私も祈りました。結果は、与党連立が過半数割れしました。
今までは与党が過半数以上を保持していたため、彼らの思うがままに政治は進められました。彼らの思いが全て善となってしまう、恐ろしい政治形態が長く続いたわけです。しかし今回、公明党もかなり議席を減らし、自民党は公明党に頼ることができなくなり、野党の少数派の意見を取り入れない限り、独自に政策を決定できなくなったのです。
これはある意味、真の民主主義の姿と言えるでしょう。独裁政治ではなく、小さな意見も反映される体制になりました。「これは神が日本に手を伸ばしたとしか言いようない」のです。
選挙戦の後半、自民党が裏金議員らに、二千万円を交付していた事実が暴露されて、状況が大きく変化したのです。もしも暴露されなければ、連立政権が過半数を取っていただろうと言われます。
十一日には首相の指名選挙が行われます。これも祈らなければなりません。誰が首相になるのかについて、過半数を取った政党から首相になりますから、今までは興味ありませんでした。しかし、今回はそうではありません。
誰が首相になるかで、いろいろ駆け引きがあります。それでも、石破さんが首相に指名されるのは、ほぼ確実だと言われます。先日まで百二代目だったので、百三代目の首相になるのでしょうか。
石破さんは、一応クリスチャンです。なぜ「一応」かと言えば、神社や寺にも参拝するからです。しかし彼の根底は、クリスチャン精神そのものだと言われます。石破茂を研究している評論家が、「彼の中心はキリスト教精神だ」と述べています。経歴を見れば分かります。
『石破は四代目のクリスチャン。小さい頃から母親に連れられてプロテスタント系の日本基督教団鳥取教会に通い、そこで十八歳のときに洗礼を受けた。鳥取から上京し、慶應義塾高校、慶應義塾大学に進学後は日本キリスト教会世田谷伝道所(現世田谷千歳教会)に出席し、教会学校の教師も務めた。』
政治家として、八方美人のところはあるかもしれないけれど、彼の根底はキリスト教精神です。彼はキリスト教会の集会にもよく出席し、こんな挨拶をしています。
「私は生まれたときからのキリスト教徒です。『神さまがおられない』というような考え方をしたことは一度もありません」
今までいろんな首相が出ましたが、大部分が無神論者か、日本の神々に対する信仰が強い人でした。しかし石破さんは、少なくとも、神とは神道の神ではなく、仏教の神でもなく、イエス・キリストだということを認めています。
「私自身は自分がいかような者であるとも思っておりませんが、『御心にかなう者であれば、御用のためにお用いください』とお祈りできることは幸せなことであると思っております」と挨拶しています。
彼は大きな決断をする時には、必ず、主の御心を求めて祈ると発言しています。
彼が首相になった中でこのような政党風景になったのには、天の戦いが関与したと信じます。それは今までの祈りの答えの一つかもしれません。
この時にさらに祈らなければ、いつ祈るのでしょうか。以前のように戻ったら、取り返すのはなかなか難しいです。
以前、民主党が政権を取った時に何がありましたか?東北で大地震があり、原発が壊れ、国は右傾化しました。振り子が左に振れた分、右にもっと振れ、この十数年、良いことはありませんでした。しかし今、主がこの国に手を伸ばしておられる大きなチャンスなのかもしれません。今や、天の戦いの時だ!と認識して、日本のクリスチャンたちに祈りのスイッチが入ったら、日本の未来は変わると信じます。国の未来の鍵を持つのは、どの国においても、クリスチャンたちです。