大いなる年 2024
主よ。遅れないでください!
時が満ち、神の国が近づいた!

さて二千年のキリスト教史上、最も大きなトピック、それは「宗教改革」でした。なぜ、宗教改革が起こったのか。それはローマ教皇が「反キリストだ」というものでした。その狼煙が宗教改革運動であったわけです。聖書に出てくる反キリストは、ローマ教皇に違いない!という理解でした。

今でもローマ法皇は、赤いマントを羽織っています。これは何を意味するのか、それはローマ法皇=キリストだという意味です。
カトリック教会は現在も公式に、次のように宣言しています。

「すべての人は救いのために教皇に対する服従が絶対必要であると宣言し、明記し、定義する。ローマ教皇は地上でイエズス・キリストの地位を占める者である。教皇は誤りのない支配者、真理の普遍的支配者、世の仲裁者、天と地の最高裁判官、すべての者の裁判官、誰によっても裁かれることのない者、地上での神ご自身である。」

多くの人は、カトリック教会について誤解しています。カトリック教会では、「教皇自体がイエス・キリストであり、父なる神自身」としているのです。こんな大きな神への冒涜はありません。また教皇は聖霊を補助する者だとも言っています。
「これはおかしい!教皇が反キリストに違いない!」と、改革者たちは命をかけて立ち上がったのです。それが主に、ルターやカルビンによって指導された宗教改革でした。

「宗教改革の当時、ルターと同僚の改革者たちは、勇敢にも教皇制が預言に出てくる『反キリスト』の勢力だと抗議した。
このような攻撃に対して、カトリック教会の指導層では、宗教改革を徹底的に粉砕するために「反宗教改革(Counter-reformation)運動」をスタートさせた。その運動の一つとして、二人のイエズス会神父に防御のための新しい預言解釈を作らせた。」

教皇が反キリストだという声に対して、その目を反らせるために、カトリック教会では、新しい預言解釈を作らせたのです。それが、「過去主義解釈」を作りあげたルイス・アルカザールと、「未来主義解釈」を創作した、フランシスコ・リベラの二人のイエズス会士でした。
イエズス会とは、ただの修道士会ではなく、軍隊です。プロテスタント運動を打ち破るために組織された、強力な軍隊なのです。

「二人のイエズス会神父が、改革者たちの解釈に反対する二つの学説を作り出した。その理論は、時の経過と共に、ほぼ全てのプロテスタント神学の基礎となった。彼らは、『教皇を反キリスト』だと名指ししたことを、効果的に防御しただけでなく、改革抵抗運動を巧みに分離し、勢力を薄めることに成功した。」

ルイス・アルカザールの「過去主義」解釈は「教皇がローマを支配する以前に存在した、アンティオコス・エピファネスという、紀元前二世紀の男だ!」としました。彼は「過去に出現した人物であり、教皇とは関係ない!」と主張したのです。
特に、リベラが作った未来主義解釈が、教皇に絶賛されました。

「それとは逆に、フランシスコ・リベラは、未来主義として知られる学説を創案した。彼は『反キリストが世界の終末に現れ、三年半の間勢力を維持する』と教え、彼の教えもまた、教皇に向かう宗教改革者の攻撃を、未来にそらす決定的役割を果たした。」

そんな中で出来上がった神学が、「携挙と七年間の大患難、反キリストの登場」という神学でした。それは「ラクンザ」というユダヤ人神学者によって確立し、ダービーという神学者によって、プロテスタント教会全体に定着したのです。

このような悪魔の策略によって、本来はイエスさまの十字架と復活、そして異邦人宣教への道の預言がねじ曲げられ、封鎖されたのです。

聖書は預言に付け加えてはいけないと警告しています。また、切り取ってもいけないのです。特に、「付け加えると大きな災害が起こる」と警告しています。
現代はリベラによってカット&ペーストされた、携挙と七年間の大患難という情報が溢れています。
イエスさまが帰ってこられるのは、ある日突然、帰ってこられるのです。そして一切のものがキリストにあって一つに集められるのです。

イエスさまは言われました。「この世には患難があるが、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったからです。」と。

聖書を見ますと、登場人物の全てが、悲しいかな、試練に出会っています。試練から完全に逃れることは出来ないみたいです。これからの時代、様々な時代的理由で、私たちも苦しみを味わわなければならないかもしれません。新型コロナ騒動はまさに全世界規模の試練でした。
しかし苦しみのただ中にあっても、主は私たちを守ってくださるというのが、聖書信仰です。
困難から逃げるのではなく、立ち向かわなくてはいけないのです。
そして聖書の中心は、あくまでも「イエス・キリスト」です。現在、教会で語られている終末論の多くが、

「キリストは、神の定めた時に空中に再臨され、イエス・キリストを救い主として信じているクリスチャンをみもとに引き上げられる。これを携挙と言う。その後地上は、歴史上かつてなかったほどの患難に襲われる。このときは、神が選ばれたイスラエルの民が信仰に目覚める。
新約の教会やクリスチャンは、イスラエル民族の流れの中に挿入されたものと位置づけられる。」

新約の教会とクリスチャンは、イスラエル民族の流れの中での「一時的挿入」というのです。それは間違いです。イスラエルではなく、イエスさまが歴史の中心であり、キリストの体である教会の頭は、イエスさまです。

み心の奥義とは何か。「キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、」とあります。あくまでもイエスさまが中心です。
「時が満ちて、計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められる」ことです。

やがてその日が来ます。イエスさまは紀元二七年、「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」と宣言されました。その後、イエスさまは十字架で贖いを成し遂げ、福音は二千年間、ユダヤ人の手ではなく、異邦人教会によって、全世界に伝えられたのです。
時が満ち、その完成は何かというと、イエスさまによって、「天と地が一つになる」事です。

みことばを正しく理解すると、主が帰ってこられる日が近づくのではないかと思います。悪魔は何とかイエスさまのお帰りを遅らせ、止めようと真剣です。

悪魔の策略に騙されるのではなく、イエスさまが帰ってこられるその日を夢見て、戦い続けていきたいと願っています。最後に一言お祈りさせていただき、今朝のメッセージに代えさせていただきます。

天の父なる神さま、み名をあがめて心から感謝いたします。時が満ちて、計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも一切のものがキリストにあって一つに集められる日が来ることを心から感謝をいたします。どうか一刻も早く、実現してくださいますようお願いします。すでに神の国の火ぶたは切られています。私たちは心の底からあなたのお帰りを待ち望んでいます。
今日も、天と地が一つになって、主を礼拝でき、心から感謝をいたします。
様々な試練の中で苦しんでいる方々の中に、苦しみの中でも助けを与えてくださいますように。イエスさまのみ名によって、祝福を宣言して祈ります。アーメン。