大いなる年 2024
主よ。遅れないでください!
時が満ち、神の国が近づいた!

2024年5月12日(日)新城教会主任牧師 滝元順

マルコの福音書 一章一五節
“「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」”

 

皆さん、おはようございます。
今日、主題とさせていただいている聖書箇所は、大変有名な箇所です。それは「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」という、イエスさまの公生涯の第一声です。
この宣言は、今もなお継続しています。どんな働きも、神の国の実現のためにあるからです。「時が満ちる」とは、時が始まった瞬間があった事を意味します。それは、ちょうどコップに水を注いで、溢れる瞬間の表現です。
「時が満ちた。神の国は近づいた」とは、気まぐれに語られた言葉ではなく、一つの根拠に基づいています。
イエスさまは、この言葉をいつ語られたのでしょうか。それは「紀元二七年」です。これ覚えておいてください。

イエスさまがお生まれになって、西暦が始まるわけですが、西暦には四年ほどの狂いがあります。最初に計算した人が間違えたからです。イエスさまは紀元二七年に、「時が満ちた!神の国は近づいた!」と宣言されたのです。その理由として、
ルカの福音書三章一節、

“皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督であり、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟ピリポがイトラヤとトラコニテ地方の領主、リサニアがアビレネの領主、”

聖書を神話のように考えている人がいますが、聖書の記述は世界史の刻みの中に、しっかりと組み込まれている歴史的事実です。
イエスさまがヨハネから洗礼を受けて、荒野で悪魔と戦い、勝利して、「時が満ちた!神の国は近づいた!」と宣言された年は、「皇帝ティベリウスの治世の第十五年」とルカによって記録されています。
皇帝ティベリウスが即位した年は、AD一二年でした。そして、「ティベリウスの治世の第十五年」とありますから、十二と十五で二七年となります。ゆえに紀元二七年、イエスさまがこの宣言をされたことがわかります。
そして今も、この宣言上に歴史はあり、やがて結論に至ります。それは、「天と地が一つになる」ことです。

エペソ人への手紙一章九〜十節を見ますと、時が満ちる、結果としての「みこころの奥義」について記されています。

“みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。”

人類の歴史で、物理学が大きく変化したのはアイザック・ニュートンという一七世紀の人物の功績です。歴史中、神は時々「天才」と呼ばれる人物を配備されています。彼はそのひとりでした。同時にニュートンは、すぐれた神学者でもありました。彼がこんなことを語っています。

「ダニエル書の預言を拒絶するものは、キリスト教信仰を否定するのである。それはキリスト教信仰が『キリストに関するダニエルの預言』を基礎としているからだ」

彼はダニエル書を研究して、イエスさまの働きは、ダニエル書に起源がある事に気づかされたのです。

聖書の預言は、一日を一年と数えます。イエスさまの働きの起源が「七十週の預言」に示されているというのです。

“あなたの民とあなたの聖なる都について、七十週が定められている。それは、背きをやめさせ、罪を終わらせ、咎の宥めを行い、永遠の義をもたらし、幻と預言を確証し、至聖所に油注ぎを行うためである。”(ダニエル書九章二十四節)

ダニエルが語ったこの預言が、イエスさまの神の国宣言とリンクしているというのです。
ニュートンは、二十以上の古代の日食の記録を調査し、エルサレムを建て直せという、七十週の始まりの命令がペルシャの「アルタシャスタ王の七年」であることを突き止めました。それは「紀元前四五七年」でした。
聖書の記録は、しっかりとした根拠に基づいています。

話は変わりますが、最近の世界の動きを見ますと、様々なことが起こっています。南米では大きな水害があり、アメリカでは大きな竜巻が頻繁に起こっています。天と地がうめいているような気がします。太陽の黒点が爆発して、強力な太陽フレアが発生し、普通では見えない場所でオーロラが観測されています。天のしるしみたいです。
また、悲しい戦争がウクライナで、イスラエルのガザで起こっています。ガザ地区のラファにイスラエルは進攻しています。「イスラエルは神が選んだ国でしょ!」と言いますが、現在のイスラエルと、聖書のイスラエルとは違います。バイデン大統領も、「多くの罪のない人々が飢えに苦しみ問題を抱え死亡している。」とイスラエルの行動を非難しています。
ネタニヤフ政権のために祈らないといけません。彼は極右政党と一緒になって、孤立しても、最後の最後まで戦うと宣言しているからです。案外、教会はイスラエルを全面的にサポートしますが、これはどう見ても、聖書の精神とは違います。
アメリカのいろいろな大学で、「パレスチナを応援しよう」という運動が起こっています。この戦いを誰が止めることができるのでしょうか。本当に早く、時が満ちてほしいものです。

日本もこれからどうなるのか、予測がつかないです。十年くらい前まで、一ドルは七、八十円でした。しかし今は百六十円ぐらいになりました。日本が国際的に、安売りされている証拠です。円安は日本の価値が半値になったことを示しています。
少子化・高齢化社会になり、どうにも立て直すことができない状態です。

話を戻しますと、ダニエル書の預言で、ペルシャの王、アルタシャスタ王七年に、「エルサレムを再建せよ!」という命令が出され、それが七十週預言の始まりでした。
ダニエル書の九章二十五節、

“それゆえ、知れ。悟れ。エルサレムを復興し、再建せよとの命令が出てから、油注がれた者、君主が来るまでが七週。そして苦しみの期間である六十二週の間に、広場と堀が造り直される。”

ダニエル書の背景は、バビロンに連行されたダニエルが、自分の祖国、イスラエル・ユダを思って、その罪を悔い改め、「国の罪を赦し、国を回復してください!」と祈っている時、神が語られた預言です。
ユダの回復のプロセスとして、「七十週が定められている。」というのです。そして七十週の始まりが、「エルサレムを復興し、再建せよ!」という命令と共にスタートし、動き始めると語られたのです。そしてそれが、紀元前四五七年だったのです。

ダニエル書九章二十四節から二十七節の、「聖なる町に関しての七十週」は、全体で「四百九十年」のスパンを持っています。「エルサレムを建て直せ!」という命令後、七週間、すなわち、四十九年間はエズラ、ネヘミヤがユダを治めた期間でした。その後、ユダは滅びて六十二週、四百三十四年間苦しみの期間が続きました。この間は、旧約聖書から新約聖書に至る空白期間に当たります。ギリシャ帝国が支配した時代でもあります。

しかしAD二七年、「六九週」が過ぎたその年、イエスさまは、「時が満ち、神の国が近づいた!」と宣言されたのです。
イエスさまの登場は、ダニエルが預言した七十週の預言通りでした。六九週が経過した「紀元二七年」、ドンピシャで成就したのです。
そしてその三年半後、AD三一年に何が起こったのでしょうか。それはイエスさまの十字架の死でした。その死によって、贖いが完成したのです。続けてその三年半後、すなわち、一週(七年)が満ちた年、ステパノが殉教して、福音は異邦人世界に向いていったのです。
現在、私たちの所に福音が伝わったのは、宣教のバトンが異邦人に手渡され、教会を通して、世界宣教がなされた結果です。
こうして見ますと、聖書はただ単なる書物ではなく、神話でもなく、世界史に当てはまる、正確な情報とともにあることがわかります。

そして今、残されているのが、神の国の実現であり、主の再臨です。

悪魔が最も恐れているのは、イエスさまが再び帰られるその日です。イエスさまが帰られると、宇宙と地球を支配している悪魔・悪霊どもの組織は滅ぼされ、地獄に投げ込まれるからです。
その日、被造世界から敵がいなくなるのです。私はそれをぜひ体験したいです。私たちは見えない敵に囲まれています。ゆえに人間も動物も植物も何もかも、苦しみの中にあり、うめきの中にあるのです。
しかし被造世界を害する諸力が消え失せたら、どんな世界が訪れるのでしょうか。千年の間、神はその期間を設定されているようです。悪魔は自分たちの最期をよく知っています。それが起こらないように、真剣に働いているのです。

では、どのように働いているのでしょうか。それは、教会に終末預言を間違って理解させたらよいのです。クリスチャンが間違いを信じれば、偽りの父は悪魔ですから、イエスさまの再臨は遠のきます。
ダニエル書九章二十六・二十七節、

“その六十二週の後、油注がれた者は断たれ、彼には何も残らない。次に来る君主の民が、都と聖所を破壊する。その終わりには洪水が伴い、戦いの終わりまで荒廃が定められている。彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。忌まわしいものの翼の上に、荒らす者が現れる。そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。」”

と預言されています。「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。」とは、何を意味しているのでしょうか。これは「イエスさまの十字架と贖い」を意味しています。
「いけにえとささげ物をやめさせる。」とは、イエスさまが十字架にかかる以前、罪が赦されるためには、動物の生贄が必要でした。しかしイエスさまの十字架によって、生贄は必要なくなったのです。この預言は、イエスさまの贖いを現す、重要な預言です。神学者ニュートンは、その事について、「ダニエル書にキリスト信仰の基礎がある」と語ったわけです。

「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。忌まわしいものの翼の上に、荒らす者が現れる。」
やがてエルサレムは、ローマ帝国によって、紀元七十年に崩壊しました。

しかし現在、多くのクリスチャンがこの七週が、イエスさまの十字架の預言ではなく、「終末期に出現する反キリスト」としています。
この説は、策略と共に意図を持って作られた説です。ダニエル書の四九〇年の内、七年を切り取って、世の終わりに移動し、終末期に起こることとしたからです。

こともあろうに、イエスさまの十字架の預言を反キリストに、十字架と世界宣教への道を、七年の大患難時代と変えたのです。
イエスを信じる者は、大患難前に空中に引き上げられ、その後、おそろしい反キリストが七年支配するという理論を聞いたことがあるかもしれません。これが本当に聖書的なものか否かを、しっかりと検証しなければならないのです。
先ほど言いましたように、七十週の預言は連続しています。七十週の内、一週だけを切り取り、何処にも根拠のない、二千年以上のギャップを挿入し、世の終わりまで移動したのです。預言期間の一部をカットし、終末にカット&ペーストしています。その上、イエスさまを反キリストにして、十字架と復活、そして世界宣教への七年間を大患難時代としているのです。それはある目的を持って、意図的に作り上げられたものである事実を知らなくてはいけないのです。

七年の間に登場するのが、「メシヤ」なのか、それとも「反キリスト」なのか。真反対の理解です。あなたはどちらを選びますか?それは重大な選択です。

ではなぜ、こんな説が出現したのでしょうか。ある人がこのように書いていました。

「秘密携挙説は、カトリック教会において、約四百年前に基礎がつくられた教えである。すべてのクリスチャンは、この理論がどのようにして、なぜ生まれたのかを理解しなければならない。もし、携挙説と、未来に現れる反キリストについての教理を熱烈に支持するプロテスタントたちが、歴史的事実を知ったら、おそらく驚愕することだろう」