大いなる年 2024
主よ。遅れないでください!
Go to Mission 伝道メッセージ

医者は、「それでも何か治療しませんか?」と言いました。『治療したら、少しは良くなるんですか?』と聞くと、「いや、やってみないと分からない。ただ、命が少し延びるだけです。膵臓癌の治療薬って、少ないんですよ。効くか、効かないかは分かりません。」と、奏効率は二割、三割くらいと言われました。

皆さんなら、そういう時、どう選択しますか。家内が、何も治療しないで死んでいったとなると、「順先生は奥さんに、何の治療も施さなかった・・」と言われるかもしれないなと、ちょっと保身的なところもありました。「クリスチャンは、ホスピスなどに行かれる方もおられますが・・。」と、痛みだけ取るという選択肢もありました。当時は痛みがひどく、痛み止めに麻薬を使っていました。

そんな絶体絶命のとき、不思議なことが起こりました。孫の一人に勝門がいるのですが、まだ四歳になる前でした。彼は、未熟児で生まれて、本来ならば二歳でした。
家内の治療が始まる前でしたが、ある朝、彼が母親の所に来て、「ばぁばは治ったってさ!」と話しました。「どこでそんなこと知ったの?」と聞いたら、「かっつーが、ねんねしている時に、イエスさまが来て、そう言った。」と言うのです。
彼にはまだ、「夢」という概念がありませんでした。なにしろ、寝ている間にイエスさまが来て、ばぁばに薬を手渡したと言うのです。「この薬を飲みなさい。」と手渡して、次に勝門の所に来て、「ばぁばは治ったよ」と告げたそうです。
イエスさまの存在は、歳を取ったら分かるものでもないのです。イエスさまは三歳児にも、自己紹介します。
そしてやがて、彼が言った通りになっていきました。

ちょうどその頃、点滴抗がん剤は副作用が強すぎる為、飲み薬の抗がん剤を選ぶ決断をしていました。医者から、「あまり効かない・・」とも言われた薬を飲むことにしていました。孫はそんなこと、全然知りません。
しかし、「イエスさまが飲み薬をくれた」と言ったのです。もしかしたら、この薬は、イエスさまが手渡してくれたものかもしれないと信じて、その薬を聖餐式をしながら、飲みました。
すると、ご存知のように、五センチほどの癌が、三ヶ月ほどで、全て消えたのです!CT上では、癌がどこにあるのか判別できないと言われました。そして何よりも、医者が苦労していれたステントが、ある時、CTを撮ったら消えてなくなっていたのです。また腫瘍マーカーも、正常値になりました。あれはどう考えても、奇跡としか言いようがありませんでした。医者も驚いていました。「この薬で癌が消えたのは、滝元さん、あなたが最初だと思いますよ。」と言われました。そして手術ができないと言われていたのが、手術ができたのです。

でも、手術が良かったのか、悪かったのかというと、複雑です。膵臓やその他の臓器を、ごっそり切除するため、家内の場合、手術後に胆管炎を引き起こし、結果、徐々に弱って亡くなりました。もしかしたら、そのまま薬で抑えていた方が、長くもったかも知れません。しかしそれは何とも言えません。全て、神の時と支配があったと信じます。

家内が亡くなったのは、二〇二二年十二月十八日(日)の早朝でした。家内は、死を目の前にして、「家から天に帰りたい」と話していました。私は困ったなぁ・・と思いました。ケアできるか?と心配して祈りました。
しかし新城教会の医療関係者の方々の助けもあり、家内は平安のうちに、長い間自分が使っていたベッドの上から、天に帰りました。死亡診断書も、自宅で書いていただき、本当に静かな中、天に帰って行きました。

私は家内が召天する瞬間をこの目で見ました。しかし一つショックなことがありました。何がショックだったかと言うと、死んだことがショックと言うよりも、死ぬ瞬間を私と、娘のリベカと、なんと、孫の勝門が見たからです。かっつーはチビで、お母さんにくっついていて、その夜も、隣の部屋で私と一緒に寝ていました。家内の容体が急変して、娘が、「ちょっと来てー!」と叫び、ドタバタしていたら、家内が息を引き取った直後、彼は起きてきて、動かなくなったばぁばを見ながら、呆然とし、ハラハラと涙を流していました。
私は何がショックだったかと言うと、なぜ、イエスさまはこの幼子に、「ばぁばは治るよ」と告げて、実際に癒してくれたのに、家内が死ぬ瞬間、このチビが立ち会わなければならなかったのか、ということでした。私は牧師でありながら、神さまに対して苛立ちを覚えました。「こんなことなら、奇跡を起こさなくてもよかったじゃないか・・。三ヶ月で死んでくれていた方がもっと楽だったのに・・。」と思って、私は嫌な気分になりました。かっつーに、どう説明しようかと、家内が死んだことも辛かったけれど、そちらが心配で、やるせない思いがありました。

家内の死後、一月くらいたった日でした。勝門は子どもなので、結構、元気に過ごしていました。しかし私には、モヤモヤした気持ちが続いていました。
ある夜、彼が我が家に来て、帰ろうとした時、なにげなく、「かっつー、俺のために祈ってくれよ。」と頼みました。すると彼は「わかった。祈ってあげる」と言い、私のために祈ってくれました。どんな祈りをしてくれたのかと言うと、
「イエスさま、ばぁばが今、天国に行っていることを感謝します。僕が三歳のとき、夢を見せてくれました。『ばぁばは治るよ』と言って薬をくれました。イエスさまが言った通りに、ばぁばは治ったことを感謝します。」と祈りました。
そして次に、「でも、同じ夜に、もう一つの夢を僕に見せてくれました。」と祈り始めました(難しい言葉は使いませんでしたが)「その夢は、イエスさまが話してもいいって言うまで、話しちゃダメだよと言われたので、話しませんでした。」と祈りました。私はちょっとびっくりしました。

彼が言うのには、イエスさまが、「ばぁばは治ったよ!」という夢を見せてくれたその夜、もう一つの夢を見せてくれたと言うのです。しかし、この夢に関しては、「イエスさまがオッケーするまで、言っちゃダメだよ。」と口止めされたと言うのです。
その夢って何なの?と聞いたら、彼がこう話しました。「ばぁばは治るけど、その後、死んじゃうよ。天国に行くけど、心配するなよ。やがてイエスさまと一緒に、完全な姿で、地上に戻ってくるからね。心配するな。」と、三歳児に告げたと言うのです。
そして「このことは話しちゃだめだよ。」と口止めされたと言うのです。だから彼は、誰にも言わなかったらしいのです。

常々、彼は母親に、「僕には、言えない夢が一つある」と話していたそうです。母は、「きっと、怪獣とか、怖い夢じゃないか・・」と思って、あえて、聞くのをやめていたそうです。
しかし、「ちょっと言えない夢」とは、「ばぁばは癒されるけれど、その後死んで、天国に行く。でも心配するな。やがてイエスさまと一緒に、完全な姿で地上に戻ってくる。」というものでした。
そのことを聞いて、私の心は、パァーッと明るくなりました。まさかの展開でした。イエスさまの細工は、細かいです。三歳児に、そんな夢を見せて、口止めまでして、三年半後に話させるのですから。

しかし思い返せば一度、あるサービスエリアで、家内がまだ調子の良い頃でしたが、勝門が、「この場所は、死んだばぁばの思い出の場所だな・・」と、つぶやいているのを聞いたことがありました。私はドキッとして、「今、おまえ何を言った?」と聞いたら、はぐらかされました。私の娘も聞きました。彼女が、「それ、どういう意味?」と聞いたけれど、彼は答えなかったそうです。
彼は二番目の夢を封印していたのです。でもそのことを通して、私は大きく慰められました。今では彼も八歳になりました。神さまは、幼子に、普通では考えられない役割を与えました。主は、とるにたらない者を用いて、神の国の実現のために働かれるのです。

さて、聖書のこの記録が本当ならば、すごいです。イエスさまが十字架で死なれた瞬間に起こったことです。

“しかし、イエスは再び大声で叫んで霊を渡された。すると見よ、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。地が揺れ動き、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる人々のからだが生き返った。”(マタイの福音書 二十七章五十~五十二節)

イエスさまは十字架の死によって、死の力、サタンを打ち砕かれました。イエスさまは三日目に死を打ち破られたのではないのです。ご自分の死を通して、死という、悪魔を打ち砕いたのです。死を持って死を制したのです。こんなことは普通ではありえないことです。
そしてその瞬間に、「墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる人々が復活した」のです。

イエスさまが十字架につかれたゴルゴダの丘付近に、墓が多くあるのです。この中のどれかが突然開いて、生き返ったということです。信じられないことですが、これが事実ならば、キリスト教はただものではありません。絶対にイエスさまが救い主です。

イエスさまが復活されたのは、ユダヤ教の「初穂の日」という記念日でした。イエスさまが初穂として、死者の中からよみがえられただけでなく、死の瞬間に復活した人たちは、イエスさまが墓から出てきたとき、後に付いて出てきたと記録されています。なんと韻を踏んだ表現でしょうか。
歴史の中、普通では考えられない奇跡が起こりました。

そして私にとっては、イエスさまの死と復活、そして、死者の復活を、自らの体験をも重ねて信じることができます。イエスさまを信じるならば、死んでも生きるのです。
今日の聖書のことば、

“「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。”(ヨハネの福音書 十一章二十五節)

やがて地上から去らなければなりません。しかしイエスさまがもう一度、この地に帰って来られる日、主を信じる者たちは、復活できるのです。
イエスさまの再臨の日、最も騒がしくなる場所は、新城教会においては、会堂ではなく、屋上にある納骨堂でしょう。

ここには復活した人たちが溢れて、主を賛美するに違いありません。私の家内も、ここに復活し、現れるのを期待しています。

私の家内が亡くなる何ヶ月か前、家内は花をいくつか買ってきて、大きめの鉢に植え替えました。それが枯れても、繰り返し、二年近く咲き続けているという話を、時々、させていただいています。三月ぐらいにも、咲いた花の写真をお見せしました。
しかし、最近、枯れてしまいました。

私は、「Kyoko’s Garden」と名付けました。しかし今日見たら、また咲いていました。

何回目か分かりませんが、何もしていないのに、また咲きました。自然界でもこんなことが起きるわけですから、私たちも一度は地上から出ていかなければなりませんが、復活するはずです。

本日、五つぐらいの道を皆さんにご紹介しました。しかし五つのうち、一から四番までは、一言で言えば「地獄」です。神の国に行く道は、ただ一つ、イエス・キリストの道しかありません。

“イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。”

先日、津具にとりなしの祈りに行きましたら、「冬季通行止」という看板が出ていました。

でも道は乾いていて、通れそうでした。何台も、入って行こうとしました。しかしもう一つ看板がありました。それは「本当に通れません」という看板でした。
「仏教の道、通れません。神道や儒教も駄目です。カトリックも駄目です。通行禁止です!」と言えます。
本当に通れる道はただ一つ、イエス・キリスト道だけです。この道を是非とも選んでいただきたいと心から願っています。

最後に一言お祈りします。
ハレルヤ。父なる神さま、み名をあがめて心から感謝します。私たちに素晴らしい道が用意されていることを、心から感謝します。私たちはイエスさまの道を歩んでいきます。多くの友人や家族が、この道を知りません。この道を伝えることができるよう、力を与えてください。今日のこの時を心から感謝します。尊いイエスさまのみ名によって祈ります。アーメン。