2024年12月22日(日)新城教会主任牧師 滝元順
マタイの福音書1章23節
“見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。”ルカの福音書2章11〜15節
「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」すると突然、そのみ使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。み使いたちが彼らから離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは話し合った。「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」
メリークリスマス!今日は特別な礼拝です。ともにクリスマスをお祝いできることを心から感謝します。
日本ではあまり馴染みがない聖書ですが、旧約聖書と新約聖書とに分かれています。その記述を見るだけでも、「本当に神が人となって来てくださった」と知ることができます。旧約聖書はイエスさまが生まれる以前に書かれた書物です。
イエスさまが生まれる前のことを「紀元前B.C」と言いますよね。それは「Before Christ」です。西暦が始まると「A.D」と表記されます。それはラテン語で「Anno Domini、主の年」という意味です。歴史の中心はイエス・キリストにあります。
「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」とありますけれど、この言葉は旧約聖書の預言の引用です。
イザヤ書は、イエスさまがお生まれになる七百年も前に、書かれた書物です。
“それゆえ、主は自らあなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。”
イザヤはイエスさまがお生まれになる七百年も前にこの預言を語りました。それがクリスマスに実現したのです。処女が身ごもることはあり得ません。しかし、イエスが人と人との間に生まれたのであれば、人間の遺伝子と罪を引きずっていますから、いくら聖人と言われても人は人ですから信用できません。
「処女が身ごもっている」とは、神がマリアの体を借りたのです。マリアは普通の女性でした。ある意味、これは代理出産です。カトリックではマリアを特別な存在として扱います。しかしそれは間違いです。マリアのお腹を借りて、イエスさまは生まれたということです。
「インマヌエル」とはヘブル語ですが、「インマヌ」とと「エル」という言葉が組み合わされてできた言葉です。それは「神は我らとともに」という意味です。
イエスさまのお生まれと共に、神が私たちと共に住んでくださるという旧約聖書の約束が実現したわけです。今日ここにおられるお一人お一人とともに、主はおられます。
今日読んでいただいた、ルカの福音書二章の箇所は、最初のクリスマスの情景を表しています。羊飼いたちが夜番をしていると、突然、天の軍勢が現れて、イエスさまのお生まれを告げたのです。こんなことが起こったら、どんなにびっくりするでしょうか。通常の業務のただ中に、天の軍勢が現れて、救い主のお生まれを告げたわけです。
これは旧約聖書のどこに起点があるのかと言うと、創世記二十八章です。
ヤコブが、ルズという場所で野宿していたとき、突然、天使たちが降りてきたのです。創世記に出てくるクリスマスの預言です。
そのとき神はヤコブに何と告げられたのかというと、「見よ、わたしはあなたとともにいて、あなたがどこに行ってもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。」と告げています。「インマヌエル」ですね。
聖書は奥深いです。何千年も前に預言されていた事柄が、イエスさまの誕生とともに実現したのです。
私は十二月の初めに韓国に行きました。韓国社会には北朝鮮から「脱北」といって、逃げ出し、中国やアジアを経由して韓国に入ってきた方々が、三万数千人も暮らしているそうです。現在、韓国でいろいろな問題が起こっています。日本人は対岸の火事のように考えているかもしれません。しかし実際、本当に危険な状況で、祈りが必要です。
リバイバルミッションニュースの巻頭言で、「今は眠りから覚めるときが来た」という題で記述しましたので、ぜひ読んでください。
私は十二月の初めに、脱北者の集っている教会で奉仕させていただきました。そこに集まっておられる方々は、もともと北朝鮮に住んでいた人たちでした。私は彼らから生の声を聞かせていただき、感動するとともに、たいへん心が痛みました。そして「本気で北朝鮮の方々のために祈らなくてはならない」と教えられました。
北朝鮮の方々はとても純粋で、良い方ばかりです。問題は国の指導者にあります。
ある教会で、北朝鮮のお金持ちが年間一度くらいしか食べることのできないという、特別なごちそうを振る舞っていただきました。結構美味しかったです。しかしこの食事、福子さんの所に行けば、毎日食べられます。でも北朝鮮では、年間に一度くらいしか食べることができないと言うのです。
脱北した私より年上の、一人のおばちゃんと長くお話をさせていただきました。
脱北者の方々に使ってはいけない言葉があります。それは何かと言うと、「なぜ脱北したのですか?」という質問です。これだけはタブーだと言うのです。彼らを最も傷つける質問だそうです。
なぜ脱北したのかと言ったら、「生きるため」に他ならないからです。それを聞かれるから、本当に悲しいと言っていました。
今から十年以上前、北朝鮮で大きな飢饉が起こり、何百万の人々が亡くなりました。その中で、この方の家族や親族も命を落としたそうです。それでこの国から逃げ出すしかないと決意して、三人の息子のうち二人の息子と一緒に脱北を試みたそうです。中国との国境には川があり、渡れば中国に行けます。脱北ブローカーに金を払うと、川を渡らせてくれると言うのです。
しかし彼女だけが捕まり、北朝鮮に送り返されて、十ヶ月間拷問を受けたそうです。鼻の骨を折られ、車椅子生活を余儀なくされたそうです。
しかし二人の息子たちは何とか逃げ切ることができました。
私はおばあちゃんに「北朝鮮にいたとき、キリスト教やイエスさまについて聞いたことはありましたか?」と尋ねると、キリスト教が存在することすら知らなかったと答えました。北朝鮮では金日成が神として崇められており、それ以外の神については絶対に教えないそうです。
金日成に仕えても、何の良いことはなかったと言いました。
息子たちは母親を助ける為に、再度ブローカーに多額の金を支払って母親の脱北を試みたそうです。
しかし二回目の脱北も非常に厳しい状況でした。この話は十年ほど前のことですが、中国の公安警察が脱北者を厳しく取り締まっていました。
おばあちゃんがブローカーに受け出されてバイクで移動していると、公安警察が近づいてきたそうです。もしも見つかって送り返されたら、二度目は公開処刑、銃殺になるそうです。
その時おばあちゃんは初めて「本物の神がどこかにいるかもしれない」という気持ちになったそうです。やはり人は神に造られているので、極限状態になると潜在的にそういう気持ちが湧き上がるのでしょう。心の中で「神さま、私を助けてください!」叫び、祈ったそうです。
ちょうどその時刻、韓国に脱北した息子が、なぜか胸騒ぎがしたそうです。「母に何かあったのではないか・・」と強く感じて電話をかけたそうです。当然ながら、お母さんは携帯電話を持っているはずがありません。中国人ブローカーが携帯電話を持っており、そこに連絡したのです。
すると雑踏の中を移動しているブローカーに電話が繋がったそうです。日本では電話をかけるときに「もしもし」と言いますよね。韓国では「ヨボセヨ」と言います。中国では発音が正確にわかりませんが、「ウェイウェイ」と言うそうです。しかし周囲の音が大きく、ブローカーは「ウェイウェイ!」と何度も叫んでいたそうです。
まもなくお母さん宛だとわかり、ブローカーが電話機を母親に渡したそうです。周囲の音が大きかったので、お母さんも聞きづらくて、中国語は分からないけど、つられて「ウェイウェイ!」と叫んだそうです。すると近寄ってきた中国の公安警察が、彼女が中国語を話しているのを聞いて、立ち去ったそうです。それで助かったと言うのです。
「あのときほど神がおられるのを実感したことはなかった」と話していました。やがて韓国に来てイエスさまと出会い、「この方が自分を助けてくれた本物の神である」ことがわかったと話されました。「イエスさまがいなければ、今頃私は生きていません」と言われました。
人は極限状態になると、やはり神に助けを求めます。そのとき神は決して人を見捨てられることはありません。
なぜならクリスマスに、「インマヌエル」なる神、つまり「神が私たちとともにおられる」という預言が実現したからです。
時々、祈っても祈りが聞かれないと感じて、「クリスチャンになったけど、いいことない」と言うかもしれません。しかしそれはまだ余裕があることを示しているのかもしれません。極限状態に陥ったとき、神は必ず答えてくださいます。
クリスマスになると、思い出す出来事があります。一九九一年頃のことと記憶しています。当時新城に、「ユニー」という百貨店があり、そこでチラシを配ったところ、二人のペルー人の方々と出会い、教会に来られました。
そのときから地域に南米の人たちが住んでおられることに気づき、インターナショナル部会を立ち上げました。そして、最初はペルー人の方々が来られ、次にブラジル人の方々が来られました。この教会の若い方々が地域に住むインターナショナルの方々に愛をかけたことがきっかけでした。そこから始まったのが現在の働きです。
あるとき、一人のブラジル人女性が来られました。ブラジル人の方々は、日本人と比べるととても明るいです。南米の方々の明るさは、日本人とは比べ物にならないです。日本人は世界中で、最も暗い民族の一つではないかと思うことがあります。韓国に行くと、もっと明るいです。同じ顔をしているのに、なぜこんなにも違うのかと不思議に思います。
これは江戸時代に理由があります。五人組制度や寺請制度でがんじがらめにされた結果、昔は比較的明るくて、何か珍しいものがあれば、「なんだ、なんだ」と寄って来たような日本人が、明るさを失い、人を信用できなくなりました。しかし南米人はたいへん明るいです。悩みがあるのかと思うくらい明るいです。しかしそれなりにあるようです。
そんな中、この教会に来られたブラジル人女性は、暗い顔をしていて、問題を抱えているようでした。話を聞いてみると、やはり万国共通問題、夫婦間のトラブルでした。ご主人もブラジル人かと聞いてみたら、そうではないと言うのです。尋ねると、「イラン人」と答えました。
イラン人とブラジル人が結婚していると聞いて、「あなたはイラン語が話せるんですか?」「ご主人はブラジル語が話せるんですか?」と聞いたところ、どちらもできないというのです。何語でコミュニケーションを取っているのかと尋ねると、「日本語」とのことでした。その女性、日本語は片言で、これではうまくいくはずがないと思いました。
さらに、「ご主人はどのようなお仕事をされていますか?」と尋ねると、名古屋でイランのじゅうたんを売る仕事だと言いましたが、「じゅうたんだけかなぁ。白い粉などを売っているんじゃないか・・・」と、申し訳ないですけれど、今から二十年以上も前の話ですが、そんな気持ちになりました。
するとご主人が私に会いたいと言ってきたのです。夫婦の問題について相談に乗ってほしいという話でした。イラン人とブラジル人の夫婦問題なんて、関わったことがありません。ご主人はイスラム教徒でした。イスラム文化は砂漠の民の文化です。遊牧民は家に来た人は敵でも歓迎します。
イラン人のご主人、毎日のように友達を家に連れてきて、大騒ぎすると言うのです。彼らは酒は飲みません。しかしご馳走を用意せよ!と、ブラジル人の奥さんに命令するそうです。それで奥さんは疲れ果ててしまいました。少しでも反抗すれば、ご主人は激怒すると言うのです。
しかしご主人側の話を聞いたら、「この女は、いちいち俺にケチをつける!」と言うのです。いやぁ困ったなぁと思い、「イランとブラジルの方に、どう忠告したらいいんですか?」と祈った時に、そもそも文化が違いますから、「お互いの文化を理解したほうがいい」ということを話しました。
ブラジル人の奥さんに、「イスラムの女性たちは黒い布で覆われて、目しか出していないですよ。だから、口を出さないほうがいいですよ。ただ目で観るだけです。」と話しました。
次に、ご主人にはこう伝えました。「あなたはブラジル人の女性を知っていますか?リオのカーニバルを見たことがありますか?あの女性たちは、出さなくてもいいところまで丸出しですよ。ブラジルの文化は、何でも出すのが普通なんです。だから、奥さんが口を出すくらいで文句を言うのはやめてください。」と話すと、「そうか・・」と言って、お互いに文化を尊重してみることになりました。
しかしうまくいくわけはありません。数日後、また大喧嘩になって、「牧師の言った通りやってみたけど、逆に悪化した」みたいに言われ、私は困ってしまいました。