2024年9月22日(日)新城教会主任牧師 滝元順
伝道者の書 11章1節
“あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見出す。”詩篇 48篇12~14節
“シオンを巡りその周りを歩け。その塔を数えよ。その城壁に心を留めよ。その宮殿を巡り歩け。後の時代に語り伝えるために。この方こそまさしく神。世々限りなくわれらの神。神は死を越えて私たちを導かれる。”
ハレルヤ!
最近、シリーズでお話しをさせていただいているのですが、神の働きは、後の日になって気づくことが多いものです。今は理解できなくても、後の日になってから振り返ると奇跡が見えるのです。
それと共に、歴史の中に様々な霊的戦いがあり、そこで戦う役割の人たちによって、歴史は前進してきたという事実です。
私は今年で七十三歳になりました。一瞬の人生でした。ふり返れば多くの主のみ業を体験させていただきました。そのことを「忘れてはならない」と詩編では教えています。主のみ業を語り継ぎ、新しい世代に伝える役割があると感じています。同時に、若い世代が主の為に立ち上がらなくてはなりません。
日本は高齢化社会ではなく、まさしく「高齢社会」になりました。三人に一人が高齢者です。どうあがいてみても、日本に未来はありません。現在、自民党が総裁選挙を派手にやっていますが、「所得倍増!」なんて、ありえないことを掲げています。なぜ、そんな事を軽く言えるのか分かりません。私たち老人は去っていきますが、若者たちは続けて生きていかなければなりません。たいへんな未来が待っているような気がします。聖霊に導かれて生きるしか手はありません。
そのためには、今まで主がこの国や世界で成してくださったみわざと霊的戦いを忘れずに、後の時代に語り継ぐことだと信じます。それらを踏まえて未来に向かうなら、神は世代を越え、死を越えて、導いてくださるという約束です。過去の主のわざを振り返る作業は本当に重要です。
私は先々週、韓国で奉仕をさせていただきました。最近、二・三ヶ月に一度は韓国で奉仕をさせていただいています。
来年、二〇二五年二月十一日から十四日は、日本・韓国・モンゴル合同のリバイバル聖会が愛知県民の森で開催されます。ぜひ参加してください。
愛知県民の森の宿泊定員が百五十名です。すでに韓国とモンゴルから100名来日されることが決まっています。騎馬民族ルーツが集まって祈ったら、リバイバルが起こるのではと期待しています。
リバイバルとは、主の霊が注がれ、多くの人々が主イエスを信じ、福音に目覚め、キリスト教が前進する現象の事ですが、リバイバルの歴史を調べると、「リバイバルは一度起こった地域で、繰り返し起こる傾向がある」と言うのです。
昨年の二月にアメリカのケンタッキー州、アズベリー大学でリバイバルが起きたことが大きな話題となりました。二月二十三日は「大学祈祷日」で、これは通常の持ち回りの祈祷会だったそうです。しかし聖霊が注がれて、賛美と祈りが止まらなくなり、何ヶ月も礼拝が捧げられるリバイバル現象が起こりました。
しかしアスベリー大学では、このような現象は三度目だったそうです。二月二十三日は、ちょうど大学祈祷日の二百周年記念の日でした。「これを偶然の一致と呼ぶにはあまりにも出来すぎていて、まさに天の演出である」とある方が書いていました。主によって灯された火は、決して消されることはないのです。リバイバルは同じ場所、地域で繰り返すのです。
津具村のリバイバルを研究し、小論文にまとめた白井先生という方がおられましたが、その先生も同じ事を語っていたそうです。
北設楽郡津具村に一八八五年頃起こったリバイバルについて、何度も話していますが、ジェームス・バラ宣教師が来て、村井與三吉がクリスチャンとなり、村にリバイバルが起こり記念碑が立っています。それは日本で唯一です。
しかし、その後、リバイバルの火が消えて、何事もなかったかのように見えました。しかし、それから四十四年後、津具村に滝元明が生まれました。それもキリスト教に反対していた家庭からリバイバリストが誕生したのです。
一九五四年、彼はスウェーデン宣教師たちによって、伝道者として引き出され、後に、甲子園ミッションにまで繋がりました。これはまさに、津具村で起こったリバイバルの再燃を示す歴史的証拠です。
ということは、この地域にも、もう一度リバイバルが訪れると信じるのは正しい理解です。聖霊の火を消されて、諦めるような神ではないのです。最後の最後まで、決着をつけられるはずです。
アジア周辺を見渡すと、神がある時、諸国に聖霊の風を吹かせたという歴史を知ることができます。
一九〇七年、北朝鮮の平壌(ピョンヤン)でリバイバルが起こり、やがてそれは韓国全土に広がりました。
今回、私はそのことについて調査し、韓国のセミナーでお話しさせていただきました。私自身も非常に恵まれました。全体を見渡すとき、同時期に主がアジア諸国で働いておられたことがわかります。一八〇〇年代後半から一九〇〇年代にかけて、いろいろな場所でリバイバルが起こっています。一九五〇年に勃発した朝鮮戦争の後、韓国でリバイバルが起こりました。
先ほどもふれましたが、一八八五年にジェームス・バラがこの地域に入り、リバイバルが起こり、その後、滝元明によって引き継がれ、一九九二年には甲子園ミッションの働きの中、愛知県民の森で聖霊が注がれました。
これらは一つの点のように見えますが、実は、点ではなく、線なのです。これらを点で終わらせず、結んでいくとき、その延長線上に、神の定められた未来が見えてくるのです。
今回、韓国の皆様方に益することを話させていただきたいと願い祈っていました。すると歴史的事実に基づいた資料を与えてくださいました。その資料の一つに、同志社大学のイ・チマンという方の「韓国キリスト教における初期大復興運動に関する一考察」という論文が目に留まりました。この論文には、当時のことが詳しく記されています。
一九一〇年から一九四五年まで、日本は朝鮮半島を植民地支配しました。言語を奪い、文化を奪い、併合とは言え、植民地としたわけです。その中心人物が伊藤博文でした。
一九〇五年、平壌にあった教会数は三百二十一でしたが、一九〇七年には、六百四十二に増えました。正式に教会にはなっていない伝道所は二百二十二パーセント増え、洗礼者や洗礼予備軍の数は三倍以上に、献金額も四倍に増えたのです。相当大きなリバイバルが平壌で起こったと言えます。
その背景として、日本が一九一〇年以前から朝鮮半島に手を伸ばしたことが理由に上げられます。人々の不安が増大し、将来を案じて、真剣に主に祈り求め始めたことがリバイバルへと繋がったのです。
今回の霊的戦い専門課程でも、こうした内容をレポートさせていただきますので、ここではこれ以上詳しく話しませんが、、。
新城教会は、北朝鮮や平壌のリバイバルとは無関係のように見えるかもしれませんが、実は、一九九二年、愛知県民の森で聖霊が注がれ、リバイバルが起こった背景に、一九〇七年に平壌で起こったリバイバルが深く関わっているのです。
先日、韓国の先生から懐かしい写真をいただきました。一九七〇年代の写真だと思われます。最前列に、父と田中政男先生が写っています。真ん中にいる恰幅の良い人は、シン・ヒョンキュンという、韓国のリバイバリストです。この方は、リバイバルミッションを通して、日本に頻繁に来られて、リバイバル聖会で奉仕し、多くの人の心に聖霊の火が点きました。
シン牧師の上に、チョン・ウンサン牧師が写っています。この方も日本に頻繁に来てくださいました。
一九五〇年代から韓国に新しい波が起こり、一九七〇年代には大きなリバイバルの波となりました。
これはソウルの「ヨイド広場」で、主を求めて、二百万人近くの人々が集まった時の写真です。私もこの集会に行きました。二百万人が一斉に「チュヨーー!」と叫ぶと、周りのビルのガラスがビリビリと振動し、割れそうな勢いでした。
このようなリバイバル集会が開かれたことを韓国の教会で話すと、ほとんどの人が知りませんでした。一人か二人、「私もその場にいました」と言われることもありましたが、韓国でも忘れられています。
そして、この集会をリードしていたのが、シン・ヒョンキュン先生と、チョン・ウンサン先生たちのチームでした。
私の父と田中先生がどうして彼らと関わるようになったのか、それも不思議な出会いでした。
二人は、韓国でリバイバルが起こったと聞き、日本から視察に行ったそうです。しかし最初に紹介された集会が、少し異端的な集まりで、集会に出席しながら、これが聖霊の働きなのかどうか、悩んだそうです。どうにも気分が悪くて、そこから抜け出して、ソウル駅で途方に暮れていたそうです。するとある人が日本語で声をかけてくれたそうです。それがシン・ヒョクキュン先生だったのです。それがきっかけで、韓国リバイバルのメインラインに導かれたのです。その先生方が、韓国と同時進行で、日本にも来て働いてくださったわけです。
これは一九七〇年代に日本各地で盛んに行われていた教職者ゼミナールです。全日本から牧師たちが集まり、その勢いから甲子園ミッションにつながりました。
この写真には、リー・ホムンという先生が写っています。この方は、先日亡くなられましたが、この方が県民の森の聖会でメッセージを語った夜、それは1992年2月13日でしたが、私たちに激しく聖霊が注がれ、霊的戦いが始まりました。
懐かしい写真は、百万から二百万人の会衆を導いていたチームの先生方です。
さて、この先生方がどうして韓国リバイバルの中心人物となったのかと言えば、それも一九〇七年の平壌リバイバルにまで遡ります。
平壌からソウルは二百キロほどの距離です。一九五〇年の共産革命の際、共産軍は教会を破壊しました。朝鮮半島の教会は、日本によりすでに迫害されていましたが、それでも北朝鮮には多くの教会が残っていたのです。
シン・ヒョンキュン先生も、チョン・ウンサン先生も、そしてリー・ホムン先生も、元々は、北朝鮮に住んでいた人たちでした。また、北朝鮮で牧会していた牧師たちでした。しかし、共産革命が起こり、彼らは教会を捨てて南に逃げざるを得なかったのです。
シン先生もそのことをよく話されていました。共産軍が攻めてきた時、聖徒たちを朝早く教会に集めて、まるで出エジプトのようだったと話していました。子どもたちを肩に担いで逃げたと言うのです。
チョン・ウンサン先生は、後ろから共産軍に発砲されたそうです。しかし、たまたま逃げ込んだ場所に看板があって、盾となって死なずに済んだとよく話されていました。
当時私はそれらの話を聞いても、あまり歴史を知らずに、ピンと来なかったのですが、今思えば、本当にすごいことがあったのです。
リー・ホムン先生も、韓国では「李」を「イ」と発音するのですが、生涯、「イ」ではなくて「リー」と呼んでいました。それは北の読み方であり、アイデンティティでした。
神の働きは決して単独で起こり終結するものではありません。グローバルな働きと連携してもたらされるのです。
一九〇〇年代を中心に、東アジア地域で起こったさまざまなリバイバルを忘れずに、新しい世代に語り継いでいかなければなりません。新世代が、その歴史を踏まえて前進するなら、「神は死を越えて導いてくださる」のです。
今や、当時の方々はほとんど、天に帰られてしまいました。韓国の牧師たちも一新され、リバイバルを経験した人に出会うことは難しくなっています。韓国に何が起こったのかを知る世代も少なくなりました。私は韓国で、「その歴史を知り、新しい世代が立ち上がらなければならない!」と、熱いメッセージをで語らせていただいています。
日本でも同じです。この教会で起こったさまざまな聖霊の動きやうねりの影響で、今があることを忘れてはいけません。私たち年配者はあまり長くは生きられないです。ゆえに働きを受け継ぐ、新しい世代が立ち上がらなければならないのです。