2024年8月18日(日)新城教会主任牧師 滝元順
詩篇 48篇12~14節
“シオンを巡りその周りを歩け。その塔を数えよ。
その城壁に心を留めよ。その宮殿を巡り歩け。後の時代に語り伝えるために。
この方こそまさしく神。世々限りなくわれらの神。神は死を越えて私たちを導かれる。”コリント人への手紙 第二 1章10~11節
“神は、それほど大きな死の危険から私たちを救い出してくださいました。これからも救い出してくださいます。私たちはこの神に希望を置いています。あなたがたも祈りによって協力してくれれば、神は私たちを救い出してくださいます。そのようにして、多くの人たちの助けを通して私たちに与えられた恵みについて、多くの人たちが感謝をささげるようになるのです。”
ハレルヤ!おはようございます。大変暑い日が続いておりますが、お元気でしょうか?
人間は悲しいことに、現在の瞬間しか生きることはできません。未来のことはわかりません。わかっているのは過去、何があったかの記憶だけです。一般的にはその記憶を頼りに、未来を推測しながら生きるわけです。しかし未来を安全に生きる秘訣が、聖書には示されています。それは、過去に主が私たちに、どのようなみわざを現してくださったのかを忘れずに次世代に語り伝えると、神は死を越えて、私たちの未来を導いてくださるという秘訣です。
毎回話していますが、年を取ると昔話が多くなります。しかしそれも大切です。昔話は過去に主が何をしてくださったのかを思い起こし、伝えるからです。
「シオンを巡り、その周りを歩け。その塔を数えよ。城壁に心を留めよ。その宮殿を巡り歩け。」とあります。かつてエルサレムには多くの塔がそびえ立ち、城壁が張り巡らされていました。現在のエルサレムでも、その名残を見ることが出来ます。エルサレムが要塞都市でした。つまり、エルサレムは何度も敵に攻められても生き残った街なのです。もう駄目だと言う危機を何度も体験したのです。しかし主により頼んだとき、助けられたのです。その事を忘れてはいけないというのです。
人生が長くなるほど、振り返れば「人生には戦いが多い」と気づくはずです。
しかし、主が助けてくださったことを覚える時、「未来も助けてくださる」という信仰が生まれるのです。そのことをパウロはコリント人への手紙第二の一章十節・十一節で述べています。この箇所から、パウロが将来と希望をどう理解し、捉えていたのかがわかります。
“神は、それほど大きな死の危険から私たちを救い出してくださいました。これからも救い出してくださいます。私たちはこの神に希望を置いています。”
彼は過去を振り返り、あれほどの死の危険から神は助けて下さったではないか!だから「将来も救い出してくださるに違いない」という信仰でした。
つまり、過去を振り返り、神がどれだけ大きな恵みを与えてくださったのかを確認することは、将来を生きるために非常に重要であるということです。
“あなたがたも祈りによって協力してくれれば、神は私たちを救い出してくださいます。そのようにして、多くの人たちの助けを通して私たちに与えられた恵みについて、多くの人たちが感謝をささげるようになるのです。”
その信仰と共に、多くの人々の祈りによって支えられてきたという事実です。祈りが重要であることを強調しています。
未来がどうなるのかは、誰にもわかりません。しかし過去に主が行ってくださった恵みを忘れないことが、未来を安全に生きる秘訣なのです。
主が良くしてくださったことを確認することは、教会の使命であると思います。直近の過去から、遠い過去まで、主が何をしてくださったのかを数えることです。「数えてみよ主の恵み」、それが未来につながる材料となるのです。
先週もいろいろありました。私は国会議事堂に行きました。この教会からも何人かの方が参加され、他教会からも集まって、国の未来のために祈る機会がありました。今、金子道仁先生が参議院議員で、彼が場を用意して下さいました。参議院議員会館の一室で、先生と一緒に、国の未来のために祈ることができました。
ところで国会とは、どういうものか知っておられますか?「国会?議員さんが会議をするところでしょう。」と言うかもしれません。そうなのですが、国会は「立法を職務とする国家機関」で、「立法府ともいい、日本では国会をさす。」となっていました。国会とは何か、法律を作る場所です。
法律はとても重要です。テレビなどの報道で、「あの法案が成立しました」と知らされることがありますが、実際には一回の国会期間中、五十本ぐらいの法案が通過します。今回、金子先生がそのことについても説明して下さいました。我々が知らないうちに、国の制度がどんどん変わっているのです。
そして、内閣が上から流してくる法案は、何一つ拒否されずに全て通過するそうです。この国のために祈ることはとても重要です。
聖書を見ても、法律が非常に重要であることがわかります。エステル記を見ますと、ハマンが、ユダヤ人たちに関して王に次のように進言しています。
“「王国のすべての州にいる諸民族の間に、散らされて離れ離れになっている一つの民族があります。彼らの法令はどの民族のものとも違っていて、王の法令を守っていません。彼らをそのままにさせておくことは、王のためになりません。」”(エステル記三章八節)
ハマンは、王に「ユダヤ人たちを一掃する法律を作ってくれ」と頼みました。その結果、法が制定されました。
“書簡は急使によって王のすべての州へ送られた。それには、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日の一日のうちに、若い者も年寄りも、子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪えとあった。”(エステル記三章十三)
ユダヤ人虐殺が法律で定められたのです。この法が実行されたら、ユダヤ人たちは一掃され、救い主イエスさまはお生まれにならず、私たちもここにはいなかったはずです。このときに戦ったのがエステルでした。彼女が命をかけて王にこの悪法を撤回させたおかげで、今の私たちがあるのです。このエピソードは、私たちに多くのことを教えます。
日本の未来も、今後、どのように変わるのか法律次第です。
先週は終戦記念日がありました。太平洋戦争が終わって七十九年、来年は八十年になります。今から八十年近く前、日本の制度は全く異なっていました。
その時代に一つの法律ができました。それが「宗教団体法」でした。これは戦時下の一九三九年四月に成立した、日本の全宗教団体を横並びに串刺しにした戦時統制法でした。当時の日本の国教は神道であり、教会は十字架の上に神棚を設けさせられました。礼拝も、最初に君が代を歌い、牧師が神棚に拝んでからでないと始められませんでした。いつもスパイ警察が見張っていて、やらなかったら牧師は逮捕されたのです。
そのため、当時のクリスチャンたちは、教会に早めに行くと牧師の偶像礼拝を見なければならなかったので、遅れて礼拝に行ったと言うのです。その習慣が今でも残っていると言われます。皆さん、ぜひ早めに教会に来てくださいね。
当時の日本では、このような法律が制定されていたのです。しかし戦後、それは撤回され、今があるのです。国の未来のために、祈らなければならないのです。過去に教会が経験した、忌まわしい出来事も忘れずに、語り継ぐことは、未来のために非常に重要です。
聖書の中には、法律が作られたことによって、国が助かった例もあります。それがヨナ書に記されています。
神はニネベという暴虐の街を滅ぼそうと決めておられました。しかしヨナが行って、「この街は四十日もすると滅びる!」と宣言したとき、人々はその言葉を聞いて悔い改め、一つの法律が作られました。
“そして、王と大臣たちの命令によって、次のような布告がニネベに出された。「人も家畜も、牛も羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならない。”(ヨナ書 三章七節)
「断食して国のために祈れ!」という法律ができたのです。ニネベの人々は、動物も一緒に断食し、この街が滅ぼされないようにと主に祈りました。その結果、ニネベは滅ぼされずに助かったのです。これも、法律ができたことによっての事例です。
日本にもこのような法律ができるよう、祈るべきではないでしょうか。日本の未来のために、国民全員が断食し、神に祈れという法律ができたら、この国は間違いなく変わるはずです。そのための鍵を持っているのは誰でしょうか? 私たちクリスチャンです。もしもクリスチャンが国のことに関心を持たなければ、やがて国は滅びていくでしょう。
教会は聖書の価値観を中心に、国の全ての営みにアンテナを張り、祈りによって協力する体制が必要です。
特に八月、今から七十九年前、日本は大混乱の中にありました。しかしその後、戦争もなく過ごしてこられたことは、非常に感謝すべきことです。しかし再び戦火に包まれそうな匂いがします。今こそ私たちがしっかりと現実を見据え、祈り、未来に備えなければならないのです。関心を持つか否かが、未来を変えるのです。
話は変わりますが、この教会に新しい施設ができました。何かというと、なんとジムができたのです。カフェもありますし、ジムもあります。そんな教会はなかなかないですが、「SSBジム」と名付けられました。これは聖書からとった名称です。テサロニケ人への第一の手紙五章二十三節に
“平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。”
と記されています。人間は「霊、魂、そして肉体」の三つの領域から成り立っています。
霊とは、目に見えない霊的な世界と繋がる機能です。人間は古から霊的世界との関係を切ったことがありません。なぜならば、「霊」という領域があるからです。魂とは何か、人間の本質です。私たち自身です。そして、体がそれを包んでいます。
聖書は霊と魂だけに言及しているのではなく、体も非常に重要であることを教えています。しかし教会は、肉体に対する比重が少なく感じます。教会用語で「魂の救い」とか「救霊」という言葉がよく使われます。魂だけが救われれば良いのか?霊だけが救われれば良いのか?そうではありません。「霊、魂、体のすべてが、イエスさまが来られる日に責められることのないものとして保たれるように」と命じられています。
キリスト教の歴史の中で大きな戦いの一つが「グノーシス主義」と呼ばれる異端との戦いでした。新約聖書はグノーシス主義との戦いをテーマにして書かれています。それはどういうものかと言ったら、霊と魂は神が創造したけれど、「肉体は悪魔が創造した」という考えでした。
初代教会はグノーシス派と激しく戦いました。しかし教会はグノーシスの大きな影響を受けたことも事実です。
皆さんは自分の体の維持にどれほど関心を持っておられますか?ジムのオープン時に行われたセミナーで、ちょっとショッキングなグラフを見せられました。
これは「成長ホルモンの生涯分布パターン」というものです。思春期を百としたとき、思春期後期くらいにピークを迎えるらしいですが、その後、急降下です。六十代になるとグラフにも出てこないという、本当に悲惨な状況です。私は七十三歳なので、成長ホルモンはほとんどなく、死ぬしかない状態です。皆さんはどうでしょうか?
二十歳を過ぎると成長ホルモンの分泌が急減します。私たちは自分の霊、魂、肉体のすべてを適切に管理する者にならなければなりません。関心を持つことが未来につながるのです。皆さん、ぜひ健康管理にも関心を持っていただきたいと思います。
日本には国民皆保険制度があり、病院に行くとすぐに診療してもらえます。アメリカでは救急車を呼ぶだけで百万円近くかかることもあります。盲腸を切っただけで八百万円かかったと聞きましたけれど、信じられないです。だからみんなトレーニングをするそうです。簡単に病院にも行けないからです。
ぜひとも霊、魂、肉体の三つの領域が祝福されるように関心を持ちましょう。この教会は霊と魂だけでなく、肉体にも関心を持っているという宣言が、このSSBジムの趣旨です。