天幕集会で救われた方々が多くいました。桜渕という場所が新城市にありますが、当時はキャンプハウスがありました。その頃地域の教会は結構仲良くて、豊川、豊橋、新城で救われた人たちが合同でバイブルキャンプを開催していました。私もその中にいました。本当に懐かしい思い出です。そこに集まっていた人たちのほとんどは、天幕集会で救われた人たちでした。
同時に祈り会が始まりました。新城教会で救われた若者たちが集まっているときに聖霊が注がれました。新城教会の場所がどのような場所かについてもお話ししました。最近、岡本政次さんをフィーチャーしておりますが、岡本家は、石原さんと河合さんという、二つの家族からできた家です。岡本家に子どもがいなかったため、養子縁組でできた家系で、岡本政次さんがラバウルで生き残ったおかげで、その後、日本に戻り結婚し、岡本家ができたのです。
そして現在、教会が建っている土地は、元は石原家と河合家が所有していた土地でした。もしも、岡本政次さんが戦死していたら、この場所に新城教会は存在していません。不思議なものです。
かつてこの近くに製材所がありました。そこで働いていたのが田中政男先生や、田口に伝道に行った河合先生など、いろいろな人たちが働いていました。しかしもう一人の青年が働いていました。地元の方でした。この人は、伊藤忠夫さんという人でした。忠夫さんは寡黙な人で、なかなか結婚相手が見つからなかったようです。
しかし、彼が祈っていたところ、神さまがお嫁さんを与えてくださいました。誰かと言いますと、それが伊藤ひろ子さんでした。ひろ子さんは豊川で父の天幕集会で救われた方で、父が「伊藤君にひろ子さんはどうかなぁ?」と提案し、二人は結婚することになったのです。
もう十年以上前になりますか、忠夫さんは天に召されました。教会の前にはいくつかの家が建っています。私たちはこれを「伊藤村」と呼んでいます。そこの住民を見てください。こんなに大勢に増えて、みな主の為に働いています。
忠夫さんがひろ子さんと結婚しなかったら、私がマイクを持っていても音は出ないでしょう。なぜなら、今、PAを担当しているのは伊藤家の長男、伊藤義也さんだからです。本当に水の上にパンを投げる働きに見えるかもしれませんが、主は数十年の間に、素晴らしいことを成してくださったのです。
ならば将来も、必ず責任を持って導いてくださるはずです。
“「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」そして、彼と彼の家にいる者全員に、主のことばを語った。”(使徒の働き十六章三十一〜三十二節)
とありますが、主イエスを信じるならば、あなたも、あなたの家族も救われるというみことばは真実です。
現在、新城教会で奉仕している副牧師である、瀧川充彦先生ですが、彼は私の息子がいなければクリスチャンにはならなかったのです。今では本当に素晴らしい人になりました。
彼が救われた背景は、私の長男と同級で、それで教会に導かれ、クリスチャンになったのですが、そこにはさらなる深い背景があるのです。
充彦先生の家族ですが、弟さん一人と、ご両親がおられるわけですが、お母さんは今から二十年ほど前に、突然亡くなられました。私の家内は充彦先生のお母さんと仲良しで、彼が教会に来る前から、よく教会に来ていました。家内はお母さんとPTAか何かで知り合い、それで仲良くなり教会に導いていました。それで私もお母さんのことをよく知っていました。
ある時、私は、なぜかお母さんのために祈ってあげたいと感じたのです。それで家内が場を設定してくれました。それは神の時でした。その三ヶ月後、お母さんは突然天に召されました。
そして今回、もう一度、「水の上にパンを投げよ」という言葉とともに、お母さんがイエスさまを信じて、その後、息子がクリスチャンになった背景に、神の深い摂理と計画があったことに気づかされました。
実はお母さん、充彦先生が幼稚園くらいの頃に大病を患い、脳腫瘍の手術を受けたことがありました。今から何十年も前のことですから、医学も今ほど発達していませんでした。お母さんはその手術中に、臨死を体験したと語っていました。
自分が死んで魂が体から出たのを感じたそうです。すると目の前に天に伸びる階段が見えて、それを一歩一歩上って行った、と言うのです。周りには天使たちがいっぱいいて、わくわくしながら上っていったそうです。光の中から『こっちに上っておいで』と言う声が聞こえて、天使に囲まれながら上って行ったそうです。そして、最後の一段を登り切ろうとした瞬間、我に返り、意識が戻ったそうです。
初めてお母さんと話したときに、この話を聞いて、私は少し戸惑いました。すごい霊体験だなぁと思いました。「イエスさまを信じてもいないのに、死後、こんな階段を上れるのか・・・」と話を聞きながら思いました。
でもよく聞いたら、その理由がわかりました。そして今回、それを思い出したのです。実は、お母さん、子どもの頃どこに住んでいたのかと言うと、豊川市でした。そしてある日、彼女の家の近くにテントが張られたのです。
お母さんは、小さい頃、よく天幕伝道集会に行ったそうです。そして、行くたびに、「イエスさまを信じたい人は手を挙げてください。そして私の後について祈ってください。」と、滝元明の得意わざで、毎回イエスさまを受け入れる祈りをしていたのです。
それを聞いて、私は改めて、「イエスさまを信じ、告白する祈りがどれほど重要か」に気づかされました。
時々、「あの人のためにお祈りしてあげようかな・・。でも、ちょっとそれは・・」とブレーキがかかる時があるかもしれません。また、「そんな祈りをして、何が変わるんだ・・」と、「水の上にパンを投げる」ような気になってしまうことがあるかもしれません。しかし子どもの頃に、「イエスさまを信じます!」と告白して、自ら進んでイエスさまを信じる意思表示をした人たちは、終わりの日に、階段を上ることができると信じます。
お母さんは最後まで階段を上りきらずに戻ってきました。なぜなら、息子がまだ幼稚園児だったからです。神さまには、息子を救う計画があったのです。だからこそ、お母さんを生かし、充彦さんがクリスチャンになり、さらには副牧師になるとは、本当に思っても見ない転回でした。神の偉大な計画があったからこそ、お母さんは生かされたのだと思います。
お母さんが亡くなる三ヶ月前、私は救いの確認の祈りをさせていただきました。その頃、充彦先生はアメリカに留学していて、献身したいという思いを持っていた時期でした。今や、天に帰ったお母さんは、相当、息子を誇らしげに働きを見守っているに違いありません。
一九五〇年代、スウェーデンの宣教師たちが、不正の富によって遣わされ、私の父が引き出されて伝道集会を行っていました。そこに伊藤ひろ子さんや、充彦先生のお母さんが来て、他にも多く来ていたと思います。あの種は決して無駄になっていなかったのです。
このように、主が新城教会に成してくださった身近な証しを見聞きするだけで、将来に対して信仰が湧いて来ます。
さて、これらの奇跡は何のために行われているのか・・。
最終ゴールは、「み心の奥義の実現」です。
“時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。”(エペソ人への手紙一章十節)
イエスさまが地上に帰って来られる時、現在、死後の世界に入っている聖徒たちも皆、復活し、天にある被造物も、地にある被造物も一つとなり、すべての被造物が調和して主を賛美するのです。
昨日も、Two Boysが我が家に泊まりに来ました。しかし条件がついていて、「九時には絶対に寝ること」と、「一緒にとりなしの祈りに行くこと」でした。
昨日、少年たちと一緒に、設楽原パーキングエリアから、教会を見て、礼拝が祝福されるように祈りました。
そうしたら彼らが「うわー、すごい、すごい!」と叫んでいました。祈っていたら、雲の真ん中から虹が出て来たのです。わかりますか? ここです。すごく綺麗に見えました。「写真撮って!写真撮って!」と彼らが言うので、私がノロノロしていたら少しずつ薄くなってしまいましたが、拡大してみたらこうなっています。
彼らは私の家に泊まると、必ずその晩、夢を見ます。昨晩二人とも寝相が悪くて、私は真ん中で何度も蹴られました。枕が朝まであったためしがありません。しかし、彼らは夢を見ているのです。
今朝、一人の少年が、「今日の礼拝は必ず祝福される!と言う夢を見た」と話しました。どうでしょうか。祝福されているでしょう。こんな新情報を聞くと信仰が湧いて来ますね!
そしてもう一人の少年は、夢の中でイエスさまから「あの虹はわたしが帰るサインだ」と言われたそうです。イエスさまが帰ってくるサインだそうです。そうあってほしいなと本当に思います。
しかし彼らが泊まりに来るようになったのも、家内が天国に行ったからです。家内が生きていたら、彼らが泊まりに来ることはなかったでしょう。でも、家内が天国に行ったことで、この二人が来て、主はこの二人を用いているのです。ということは、絶対に将来と希望があるのです。
その将来とは、イエスさまがこの地上にもう一度帰ってこられるという、その日です。その日が近づいているのではないでしょうか。
新城教会の歴史を振り返ると、本当に信じられない水の上に投げられたパンが実を結んでいる数々の奇跡に気づかされます。
また今、話している事柄は、モンゴルに行かなかったら、全く気づきませんでした。モンゴルに行けたのも、不正の富があったからです。
神さまはこの教会に、いや、日本の教会、そして世界全体に大きな計画を持っておられることは間違いありません。
今日は皆さんと一緒に聖餐式を行います。聖餐式は「わたしを覚えてこれを行いなさい」と言われました。そしてそこで、「主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです」とあります。
一言お祈りさせていただいて、聖餐式の準備に移らせていただきます。
天の父なる神さま、み名をあがめて心から感謝いたします。あなたが帰ってくる日を心から待ち望んで聖餐式を行います。どうか祝福してください。今日は天の教会が降りてきて、天と地が一つになる聖餐式となりますように。尊いイエスさまのみ名を通して、聖餐式を始めさせていただきます。アーメン。