大いなる年 2024
主よ。遅れないでください!
後の日になって知る・・・歴史と霊的戦い

日々の生活の中で偶然のように見える事柄も、全て霊的世界と繋がりがあるとしたら、私たちが「人とは何者なのか」を理解し、暗闇と戦い、祈ることがどれほど重要かを考えさせられます。

そんなことを考えると、新城教会七十四年の歴史の中で、教会の成り立ちが、太平洋戦争と深い関わりがあることに気づかされます。そして、「偶然」と思われることが重なった人たちによって、教会の土台が据えられ、今があることを忘れてはいけないのです。
 実は先週、八月一日は、私の父の滝元明が召天した記念日でした。父が召天して九年になります。滝元明のことも、あまり記憶されなくなりました。母はその翌年亡くなりました。
二〇一五年に父が亡くなったときに、多くの方々が凱旋式やその後の聖会に来てくださり、私は当時のリバイバルミッションニュースに感謝の言葉を掲載させていただきました。その一部を読ませていただきます。

”「滝元明は若き日にキリストと出会い、クリスチャンとして、人から何と言われようとも、日本のリバイバルをひたすら叫び続け、天に凱旋するその日まで、主に仕え通しました。二回にわたって行われた凱旋式、そしてリバイバル感謝聖会には、内外より、千数百人もの方々が彼の死を悼み、集ってくださいました。彼の宣教に対する情熱と純粋さが、多くの人に愛された秘訣だったのかもしれません。
現在注目されている神学者、「N.T.ライト」がその著書、「クリスチャンであるとは」の中で語っているように、「バプテスマを受けてクリスチャンとなり、教会に繋がる意味は、神の創造から新創造という、神が脚色し、演出する壮大な劇の役者として加わること」なのです。
滝元明の人生も、神の物語の一部を、主によって演出させられたに過ぎなかったはずです。私たちも、主に習い、主が演出される壮大なプロジェクトを、世代を超えて受け継ぐ者になりたいと願っています。私たちに委ねられた役割を忠実に果たせるよう、今後ともお祈りとご支援を、よろしくお願い申し上げます。」”

アダムとエバから始まり、最後の人類まで、膨大な人類が地上に生まれ育っているわけです。日本は少子化だと言われています。昨日孫が、「僕の通っている小学校は、あと十年すると誰もいなくなる」と話していました。日本はそういう状況です。
それにしても、どうして、こんなにも大勢の人が世界にいるのかと、無駄なように感じるのかもしれません。しかし、人は神の計画とともに生まれるわけです。
「私はこの時代に生まれてよかった。昔に生まれてなくてよかった。江戸時代なんかに生まれなくて本当によかった!」と言います。しかし江戸時代に生まれた人も、現代に生まれた人も、今後生まれる人たちも、皆、神の計画の中にあるのです。
しかしイエス・キリストと出会うのは、どういう意味があるのかについて、N.T.ライトが語っていました。

「バプテスマを受けてクリスチャンとなり、教会に繋がる意味は、神の創造から新創造という、神が脚色し、演出する壮大な劇の役者として加わること」

お一人一人、神が書かれた壮大なシナリオの中の登場人物の一人です。その場面を忠実に演じるというか、満たすために、私たちはこの時代を生きているのです。

ですから、悪魔も黙っていないのです。そのような役者がいると、神のプロジェクトが実現してしまうからです。彼らは役者を根絶やしにしたいと強く願っているはずです。戦争によって多くの若者が死ねば、神のプロジェクトはなかなか実現しないのです。神の計画を実現する為には、代役を立てるしかないわけです。神は時間を先延ばしにして、地上に新たなる人類を誕生させ、役者の欠けたところを満たそうとされているのではないかと私は考えます。
一人ひとり、神の大きな使命とともに生まれたという事実を知らなければいけません。

新城教会の歴史をふり返る時、太平洋戦争という悲しい歴史を生き抜いた人たち、ちょうど、ヨシャパテのように助かった人物たちによって形成された事に気づかされます。

私の両親は一九四七年にアメリカから来たアキチカ宣教師夫妻によってクリスチャンになりました。戦争が終わったのは一九四五年ですから、その直後に来日した宣教師により、福音を聞いたわけです。どうしてアキチカ宣教師夫妻が日本に来たのかと言ったら、戦争があったからです。
彼らは日本人でありながら、宣教師として来日できたのは、GHQの役割を担っていたからです。

今でもGHQの本部、第一生命館は残っています。皇居の目の前にあります。ここにマッカーサーが陣取って、日本を支配しました。

一九四五年の八月十五日に戦争が終わったのですが、もしかしたら、戦争が継続されたのかもしれない大きな危機がありました。
以前に話したことがありますが、静岡県の磐田市の鮫島海岸に行くと、こういう看板があります。

「緑十字機不時着の碑」です。八月十五日に戦争が終わったのですが、マッカーサーが日本に上陸したのは八月三十日でした。その間、二週間でした。この二週間を乗り切ることが出来なかったら、戦争が再開されたのです。当時、ソ連も北方から日本に侵入し、日本は危機的状態でした。
無条件降伏を受け入れた日本に対し、連合軍は、日本の軍用機を白色に塗り替えて、緑十字を掲げ、天皇の公式文書をフィリピンまで届けるよう命令しました。
日本は天皇の玉音放送で、すべて戦いを中止したわけではありませんでした。「続けて戦う!」と宣言していた反乱軍も存在しました。それが厚木飛行隊でした。「天皇の言葉に惑わされるな!最後まで戦え!」と全国にビラをまき、緑十字機が飛び立ったとき、撃墜を試みました。
しかし二転三転する中、最終的に緑十字機が使命を果たして日本に戻ってくるのですが、乗組員の中にも反乱者がいて、一九四五年八月二十日、燃料不足で静岡県の鮫島海岸に不時着したのです。この夜は月夜だったそうです。月が出ていたからこそ、不時着陸できたそうです。YouTubeに出ていますから見てみてください。
この時、もしも文書が遅れたら、戦いは再開され、日本は分割され、もしかしたら今頃、私たちはロシア語を話していたかもしれません。
両親がクリスチャンになったも、この二週にかかっていたことになります。誰がどう、何処でどのように振る舞ったのか分からないけれど、宣教師が来て両親はクリスチャンとなり、今があるのです。
歴史の中に神が働かれた事実は、後に知るのです。

ところで新城教会、一人の人物がいなかったら、この場所には絶対に存在してしません。それは誰でしょうか。「滝元明さんでしょう」と言うかもしれませんが、違います。
日本軍が玉砕した戦場は数多くありますが、ニューギニアのラバウルはその中でも有名です。ここほど悲惨な戦いはなかったのです。

かつてこの教会に来られていた、夏目さんというおじいちゃんは、彼が属していた何万人という部隊が玉砕した中、数少ない生き残りでした。

私の家内のおじいさんも、ラバウルで戦死しました。「戦病死」となっているので、多分、マラリアで死んだのです。

しかし一人の人物とは、「岡本政次さん」です。

彼はラバウル玉砕のただ中、日本に遺骨を運ぶ命令を受けました。彼の手記が残っています。「昭和一九年二月二日の午後八時頃、輸送船西愛丸(六千トン)にてラバウル港出港」と記されています。彼の直筆です。

しかし、出港してまもなく輸送船は爆撃を受けて沈没しました。撃沈された地点の緯度・経度が発表されています。ラバウル港からそんなに遠くない海域です。彼は爆撃を受けて後、海に放り出され、一昼夜漂流したそうです。船に乗っていた人たちはほとんど死んだのですが、彼は真剣に生きる努力しました。海上に放り出され、浮かんでいると眠くなり寝てしまうそうです。それは死を意味します。彼は眠りかけた戦友たちを叩いて起こしながら、必死に、自分も生き延び、日本に戻ったのです。

彼は帰還後、きよさんと結婚し、岡本家が生まれたのです。あのとき政次さんが死んでいたら、岡本家はなく、プレイズ出版も存在しません。
そして現在、新城教会が建っている土地は、岡本政次さんの親族の土地でした。私の父が津具村で家を失い、困っていたとき、岡本さんにこの土地を紹介され、やがて教会がこの地に建ったのです。
ということは、新城教会、誰が立役者なのかと言ったら、岡本政次さんです。
政次さんが爆撃を受けて海に投げ出されたとき、海上で眠っていたら、新城教会はありません。彼は、「なんとか生き抜こう!」と、必死で努力したのです。それは他ならぬ、神が後の計画を実現するために、彼に力を与えたからです。
同時に、見えない世界では、悪霊どもが真剣に、「政次を殺せ!殺せば日本に霊的戦いは始まらない!」と、天で大きな戦いがあったのではないでしょうか。

こう考えますと、私たちの日々の生活の中でも、様々な霊的戦いが起こっているはずです。それはやがて、歴史の経過と共に気づかされる領域です。

新城教会七十四年の歴史の中で、多くの聖徒たちが天に帰っていきました。彼らの功績・働きは、決して消えてはいないのです。
彼らが神の創造から新創造という、神が脚色した壮大な劇の役者として加わり、役割を果たしたからこそ、今の私たちがあるのです。
詩篇の言葉はそのことを告げています。

「シオンを巡り、その周りを歩け。その塔を数えよ。その城壁に心を留めよ。その宮殿を巡り歩け。後の時代に語り伝えるために。」

過去にあった様々な戦い、新城教会においては、太平洋戦争という大きな戦いをくぐり抜けた人たちによって建てられていることに気づかされる時、心から主をあがめます。

また、スウェーデン宣教師たちが、モンゴルから日本に移動して来たことによって、父が引き出され、リバイバル・ミッションという大きな働きに繋がったと前回も話しました。

スウェーデン・モンゴル・ミッション(SMM)は、三十三名の宣教師をモンゴルに派遣し、そのうち三名が殉教、五名が病死し、三人の子どもたちが死亡しました。戦後彼らは、日本に移り、SMJM(スウェーデン・モンゴル・ジャパン・ミッション)と名称を変えて、新城市の隣り街、豊川市に来て伝道したのです。
この宣教師の住所録に、「一九五一年」と書いてありますから、この年には、すでに住んでいたのです。きっと一九五〇年頃、豊川市に来て、宣教を開始していたのでしょう。街が爆撃を受けたのは一九四五年ですから、五年後くらいには宣教を開始していたはずです。
彼らが神からの使命、役割を果たしたが故に、現在、私たちは働きを継続できているのです。

最終的に神は何をされたいのか。「み心の奥義」についても前回お話ししました。
エペソ人への手紙 一章九~十節、

“みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。”

神の国の実現のために、一人ひとりが選ばれているのです。

今から聖さん式を行います。神からの使命をもう一度確認する一ときでありたいです。
天の教会と地の教会が一つであることを意識して聖さん式を行います。一言お祈りいたします。

父なる神さま、感謝いたします。今日私たちがあるのは、それぞれの時代で忠実に使命を果たした、兄弟姉妹によってあることを心から感謝します。天の教会と地の教会が一つとなって、聖餐式がなされますように。また、私たちは、戦いの教会として、地上での使命を果たすことができますように。
尊いイエスさまのみ名によって、祈りをみ前におささげします。アーメン。