大いなる年 2024
主よ。遅れないでください!
〜幸せになる秘訣〜

 これらは「四世紀から七世紀」にかけて建設されたと言われています。当時、それらの墳墓が全国に、どれほどあったのか、わかりません。

豊橋に、大きな古墳が残っています。この古墳が発掘調査されて出土したのは、こんなものです。

 ほとんどが金属で出来た馬具関係です。剣や鎧兜も出ています。歴史を調べたらわかりますが、当時、日本には製鉄技術がなかったのです。にもかかわらず、全国の古墳を調べれば、どこからも鉄の馬具や武器が出てくるのです。

日本の考古学者は、「海外からプレゼントされた」と言うのですが、決してそうではないはずです。日本は元々、海洋民族、縄文人が住んでいた島でした。一世紀頃、朝鮮半島の北に「伽耶」という国があったのですが、その人たちは騎馬民族で、日本にも入ってきて、王朝を作ったと考えるのが自然です。

 

九州に侵入した騎馬民族は、最初に九州王朝を作ったと言われます。その後、彼らは北に支配を拡大し、近畿地方に大和王朝を作りました。

「ナラ」とは韓国語で「国」という意味です。「奈良にナラ(国)ができた」のです。日本最初の文化は、七世紀に形成された飛鳥・白鳳文化です。それらは全て、百済の仏教文化でした。日本は大陸から来た人たちによって形成されたのです。

日本人にとってのサマリア人とは誰かと言ったら、韓国、北朝鮮、中国の人々となります。「その人たちを愛したら幸せになることができますよ!」と言われると、ちょっとハードルが高くなります。一般の日本人にとって、聖書の教えの実践は難しいかもしれません。しかしそれが、人類を幸せにする秘訣であることは、間違いありません。

 

再来週、私はモンゴルに行くことになっています。モンゴル・リバイバルミッションです。これは私たちから出た話ではなくて、韓国の春川の李先生が持ってきた話です。「韓国、日本、そしてモンゴルが一つになって集会をしたい」それも、モンゴルの牧師たちが願っているから、ぜひ来てください!ということでした。今回、日本から十八名、韓国からも十数名、合計三十数名がモンゴルで集まります。

 モンゴルと言ったら「騎馬民族そのもの」です。今回のツアーに参加される方には特典があって、モンゴルの草原を馬で走ることができます。食文化も違います。日本人は魚の生き造りを見たら美味しそうに見えるでしょう。しかしモンゴル人が見ると、たいへん残酷に見えるらしいです。彼らは、羊とか牛が主食です。彼らは牛とか羊を、魚をさばくようにさばきます。そうすると日本人は驚くわけです。これは文化の違いです。

聞くところによりますと、既に私たちの為に、羊を一頭、牛を一頭、用意してあるそうです。

 

日本人のルーツはモンゴルに通じます。モンゴルの騎馬民族が南下して、高麗の時代、朝鮮半島を征服しました。日本も、元寇で攻められましたが、それ以前から、騎馬民族の動きは活発でした。

今回モンゴル、韓国、日本が一つに集まるのは、隣人を愛する意味においても大きな意味があります。このために祈っていただきたいと思います。行かれる方々は、ぜひ祈って備えていただきたいと思います。

 

今回、韓国での働きは、半分はリバイバルミッション主催でした。霊的戦い専門課程を韓国で行うという趣旨で、春川とソウルでセミナーを開催しました。チェ先生が頑張って下さったのですが、それを補佐してくださったのは、脱北者の方々でした。

彼らに「なぜ脱北されたのですか?」と聞くと、答えは誰でも同じです。「生きるためです!」と答えます。

生きるために日本から逃げ出そうと思いますか。日本がロケットを打ち上げても、何も言わないけれど、北朝鮮がロケットを上げれば大騒ぎをします。それに乗せられてはいけないのです。

 

 韓国と北朝鮮の間に、DMZと呼ばれる非武装地帯があります。ソウルの北に、お互いに二キロ、幅四キロの非武装地帯が帯状に広がっています。そこは北朝鮮と韓国を隔てる場所です。ここは地雷原で、侵入したら体が飛ばされます。

日本にこういう場所はありませんから、現実の厳しさは日本人にはわかりません。元々は同じ民族であったのに、分断されています。脱北者の方々に聞くと、「韓国の文化や習慣、言葉に馴染むのに時間がかかりました」と言われます。

私たちの内側を変える事は重要です。隣の民族の方々を受け入れることは、神を愛することになるのです。

 

日本人は仏教徒と言いますけれど、日本人は仏教徒ではありません。日本も儒教国です。日本に仏教が伝わったのは、六世紀のことです。百済のプヨから奈良に持ち運ばれました。しかし開けてみたら中身は儒教だったのです。

仏教ならば、墓もいらないし、先祖の霊もいないはずです。しかし日本人は仏教徒と言っても、墓を大事にし、先祖の霊を祀ります。これは仏教ではなく、儒教です。宗教的にも隣国とは共通項があるのです。

北朝鮮も、モンゴルも祖先崇拝が強いです。

 

実は、DMZという場所は悲しい場所ですが、唯一、喜んでいる存在がいます。それは人ではなく、植物とか動物たちです。動植物は生き生きしています。なぜなら、四キロの帯の中、もう何十年も人の侵入がなく、豊かな自然が息づいているからです。地球上でも類を見ない生態系が残っているというのです。この場所の被造物は、喜んでいると思うのです。

 

実は隣人として受け入れ、愛さなければいけない存在として、聖書にこんな記述があります。

レビ記一九章一八〜一九節、

 

“復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。”

 

「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」と述べ、続いて、

 

“あなたがたは、わたしのおきてを守らなければならない。あなたの家畜を種類の異なった家畜と交わらせてはならない。あなたの畑に二種類の種を蒔いてはならない。また、二種類の糸で織った布地の衣服を身に着けてはならない。”

 

「隣人」の中に、人だけでなく、被造世界が含まれていることがわかります。「隣人」というコンテキストで、「あなたの家畜を種類の異なった家畜と交わらせてはならない。」と言うのです。人類は馬とロバを掛け合わせてラバを作り出しました。人の都合で種類の違う家畜を交わらせて、新しい動物を作っています。

「あなたの畑に二種類の種を蒔いてはならない。」とあります。現在日本で売られている種子の全てが、交配種です。人間の都合で不自然な種子が作られています。「種も仕掛けもございません」と言うのは嘘で、種ほど仕掛けのあるものはないのです。純粋な種で作物を作ろうとしても、なかなか手に入りません。種を買うと、F1と書いてあります。この種は一度使ったら、二度目は使えません。それは種屋が儲けるためであり、食料支配の一環でもあります。

聖書は「あなたの畑に二種類の種を蒔いてはならない。」と、自然交配さえ禁じています。また、「二種類の糸で織った布地の衣服を身に着けてはならない。」と告げています。そんなこと言ったら、現代人は生きていけません。何種類の糸が織り込まれているのか分かりません。しかし本当に健康に生きたいのなら、綿なら綿だけの、麻なら麻だけの一種類の糸で織ったものを着用した方が良いらしいです。

ということは、被造物を隣人として、丁寧に扱えというのが聖書の教えです。

エレミヤ書一二章四節に、

 

“いつまで、この地は喪に服し、すべての畑の青草は枯れているのでしょうか。そこに住む者たちの悪のために、家畜も鳥も取り去られています。人々は『神はわれわれの最期を見ない』と言っています。」”

 

絶滅危惧種や、神がせっかく創造したにも関わらず、消滅した動植物は、数多くいます。なぜ、絶滅したのかといったら、「そこに住む者たちの悪のため」に、家畜も鳥も取り去られたのです。隣人として、被造物を受け入れ、愛する必要があるわけです。

 

“地にはまだ、野の灌木もなく、野の草も生えていなかった。神である主が、地の上に雨を降らせていなかったからである。また、大地を耕す人もまだいなかった。”

 

と、創世記二章五節に記されています。「大地を耕す人」とは、正確に訳すならば、「大地に仕える人」と訳すべきだと言うのです。我々人間は、大地に仕える者たちです。被造物の管理人です。隣人という概念を、被造物全体にまで広げてください!というのが聖書の教えです。

 

今日は、「神を愛し、隣人を愛したら幸せになれる!」とお話ししました。神への愛は、隣人を愛することによって実証されるわけです。それは自分に近い隣人、また他民族、そして被造物全体にまでも及んでいる、壮大な概念です。

 

家内が残していった花が枯れてしまったけれど、花に声をかけ、祈りと賛美によって育てたら、二年ぐらい続けて咲いているとお話ししています。

 

今は枯れている時期ですけれど、きっと復活するのではないかと期待しています。これを見るだけで、イエスさまの再臨と復活を信じることができます。

 

先日、東京の息子が一枚の写真を送ってきました。今から十数年前、息子が東京に引っ越したとき、家内がオリーブの木の鉢植えを息子の家に贈ったそうです。それは十数年、生きていたけれど、家内が病気になった頃、枯れてしまったと言うのです。完全に枯れて、一本の棒状態になったそうです。捨てようかと思ったけれど、彼にとっては母親からのプレゼントで、それも、鉢まで全て母が選んだものだったそうで、捨てるのをためらい、ベランダに出しておいたそうです。それは枯れきって、一本の棒状態で、三年近く放っておいたそうです。

しかし家内が天に帰ってから、また、我が家に家内の残した花が咲くようになってから、彼の家のオリーブの棒が変わったと言うのです。

 

 三年ぶりに、オリーブが葉をつけたのです。葉をつけたどころか、よく見てください。

 

実もつけています。息子も植物に興味もない男ですが、「我が家にも奇跡が起こった。」と言って写真を送って来ました。

被造物に関心を持って、隣人として受け入れていくと、被造世界も共に私たちを応援し、イエスさまが帰られる道を用意するのです。

二人の少年たちが土曜日に我が家に泊まりに来るとよく話したのですが、最近、彼らは来なくなりました。小学三年生になって、他に楽しいことがあるのか、あまり来なくなりました。

しかし昨日、二人が泊まりに来ました。「なぜ、来たの?」とテルに聞いたら、「夢でイエスさまが、順先生の家に泊まりに行け!と言ったから来た。」と言うのです。孫のカツトも同じように、「じぃじの所に泊まって、いろんな所にとりなしに行け!まだ祈りが不十分だ!」とイエスさまから言われて泊まりに来たそうです。

それで昨晩、教会の屋上に納骨堂がありますが、クリスチャンにとって墓は復活の現場となりますから、主の再臨と復活を願って祈りに行きました。イエスさまが帰られたときには、聖徒たちは墓から復活するわけですから。

昨夜九時近くに屋上に行って祈りました。彼らも真剣に、今日の礼拝が祝福されるように祈ってくれました。イエスさまが早く帰ってくるようにと真剣に祈っていました。

 

帰ろうとしたら、虹が出ていると言うのです。それも、床に出ていると言うのです。彼らは、「約束の虹が出た!」と言って、大変興奮していました。

 

虹も被造物の一つで、約束のしるしとして、神が創造されたものです。必ずイエスさまは帰ってこられます!そのとき復活も起こります!

そのためには、神を愛し、隣人を愛して、再臨を祈ったら必ず、その日が来ます。

 

“あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』第二の戒めはこれです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』これらよりも重要な命令は、ほかにありません。」”

 

このみ言葉を心に刻み、実践しましょう!

一言お祈りします。

 

天の父なる神さま、み名を崇めて心から感謝します。世界ではいろいろなことが起きています。私たちクリスチャンが神の国の価値観を実践する者となれますように。イエスさまを愛し、隣人を愛します。み名によって祈ります。アーメン。