2021年2月28日(日)新城教会牧師 上條実
詩篇92篇1節〜4節
『主に感謝するのは、良いことです。いと高き方よ。あなたの御名にほめ歌を歌うことは。朝に、あなたの恵みを、夜ごとに、あなたの真実を言い表すことは。十弦の琴や六弦の琴、それに立琴によるたえなる調べに合わせて。主よ。あなたは、あなたのなさったことで、私を喜ばせてくださいましたから、私は、あなたの御手のわざを、喜び歌います。』
ハレルヤ!今日皆さんの前に立って、みことばを語ることができますことを感謝します。私の為にお祈りいただいて、ここまで支えられ、手術して四ヶ月が立ちました。まだ寒い時には傷口が突っ張ったり、違和感を感じるときがありますが、守られて奉仕させていただけることを心から感謝しております。
早速、今からみことばを学んでいきたいと思います。しかしみことばを学ぶ前に、皆さんで確認し、ご一緒に宣言する時を持ちたいと思います。
聖書は神が私たちに与えて下さった絶対的なことばでありますので、ご一緒にみことばを宣言して、確認して行きたいと思います。
まずヨハネによる福音書一章一節、このことばを皆さんで声を出して宣言しましょう。
『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。』
本当にすばらしいみことばですね。聖書は全て『ことばは神であった。』神が語ったことばであると信じましょう。
続いてマタイによる福音書五章十八節をご一緒に宣言しましょう。
『まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。』
みことばは一点一画変わることがありません。時代や環境がどんなに変わっても、みことばは一点一画変わることなく、みことばは必ず全部成就するということを、皆さんで確認していきたいと思います。
先週の礼拝のメッセージは、本当に恵まれました。この頃聖書の暦について学んでいます。先週の「二十五日、木曜日」がちょうどアダルの月、十三日になると聞きました。ユダヤ人が撲滅される決行日が何んと一転して、敵が一掃される記念日となったのです。先週の木曜日から土曜日は、ちょうどアダルの月十三日から十五日に当たり、大逆転を迎え、ユダヤ人はその後喜びと祝宴の日、つまり祝日となり、互いにごちそうを贈りかわす日であると学びました。
大逆転が起こり、ユダヤ民族は助かった。祝福された。救われたということを聞いて、主の絶妙なタイミングがあったことにすばらしい神への感謝の時を持ちました。本当に恵まれたみことばを伺いました。
そして使徒の働き四章十二節を、またご一緒に読みたいと思います。
『この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。』
私たちの救いはイエス・キリスト以外に救いはない!今日はこのみことばを信じて、みことばを学んでいきましょう。私たちの救い主はイエス・キリストです。
そしてもう一つ、皆さんとともに告白したいみことばがあります。ルカ一章三十七節です。私はこのみことばが大好きなのですが、
『神にとって不可能なことは一つもありません。』
私たちの神は昨日も今日も変わりありません。私たちの神は今も生きています。そして不可能なことは一つもない神です。今日今からみことばを学んで行きますが、みことばは、嘘偽りがなく、みことばは一点一画変わらない。そして今も生きて働き、不可能なことはない。私の語ることばは消えてなくなりすが、絶対的な聖書。そのことばを学ぶことができることは、なんとすばらしいことだと思います。
新城教会に二〇二一年語られたみことばは、イザヤ書四四章二六〜二八節
『わたしは、わたしのしもべのことばを成就させ、わたしの使者たちの計画を成し遂げさせる。エルサレムに向かっては、『人が住むようになる』と言い、ユダの町々に向かっては、『町々は再建され、その廃墟はわたしが復興させる』と言う。淵に向かっては、『干上がれ。わたしはおまえの川々をからす』と言う。わたしはクロスに向かっては、『わたしの牧者、わたしの望む事をみな成し遂げる』と言う。エルサレムに向かっては、『再建される。神殿は、その基が据えられる』と言う。」』
このみことばから「今年は回復と再建の年である」と語られました。私たちの教会に、私たちに回復と再建が必ずなる!成就する!ということを信じましょう。「絵に描いた餅」ではありません。主が語って下さったみことばは、「こうなったらいいな。」という目標ではありません。神は必ず成就してくださると信じましょう。今日、そのみことばを信じて、今からみことばを学んでいきたいと思います。
今、私が特別教えられていることは先ほど読んでいただきました詩篇九十二篇一節〜四節のみことばです。特にこの一節には、『主に感謝するのは、良いことです。』ということが書いてありますが、今私が主に教えられていることは「感謝が足りない。」「感謝することがたらない」ということです。
この九十二篇というのは、いつ頃書かれたかというと、昨年からよく学んできたバビロン捕囚後だそうです。
この詩篇九十二篇から、感謝が足りないと反省させられております。「すべてのことについて感謝しなさい。」というみことばがⅠテサロニケ五章にありますが、今、自分の中で感謝が足らない事を痛感しております。
先ほども言いましたように、今回「上行大動脈瘤」の手術を行って、約四ヶ月間がたちました。だいぶ調子が回復戻ってきているのかなと思いますが、まだ本調子ではないと感じるときがあります。でもここまで守られて感謝します。しかし数週間前に新城教会ニュースの巻頭言に書かせていただきましたが、今回の入院ではなく、今から三十数年前にも私は入院したことがあります。ちょうど次男が一歳になる前でしたが、病気になりました。
何の病気かというと奉仕している中で、よく咳が出て、胸が痛むようになりました。「一度、教会の仕事をお休みして病院に受診したら?」と言われて、新城市にあるとある病院で受診しました。すると「心臓が悪い」とその時始めて言われました。そしてある薬を処方してもらい服用するようになりました。しかしその薬を飲んで行くと良くなることなく、日に日に悪くなっていきました。本当に辛かった事を覚えています。日中起きていることも辛くなり、床に伏してしまう状況になってしまいました。
そんなことで、一度大きな病院でしっかりと診てもらったほうが良いということになりました。ちょうど家内の妹が、東京都にあるとある病院で看護師をしており、相談した時ね「私の働いている病院に、とても有名な医師がおられるので、一度診察してもらったらどうか?」ということになり東京の杉並区にある病院でしたが、診察を受け、検査入院することとなりました。約一ヶ月間、様々な検査をしてもらいました。新城市の病院で言われた心臓は「全く悪くない」と言われました。それからいろんな検査をさせられました。しかし検査しても何の病気か全く分かりませんでした。その時の症状は、胸からわき腹にかけて痛みが出て、痛みが出ると高熱が出ました。ある時は四十度近くまで熱が出て、本当に苦しかったことを覚えています。しかし病名が分からないため、治療はできず、その時はただ痛み止めの薬だけを処方してもらいました。しかし飲み続けたため、胃が荒れてしまい、胃が痛くなり、座薬の痛み止めだけを処方されていました。何度も痛みが出るので、いつも座薬を握りしめているような状況で、何の病気なんだろう?何の病気か分かるようにと祈っていました。
病気が分からないため、治療もできないため、時間がありましたので、暇つぶしに、私は病室で読もうと思ってある本を持参しました。それは皆さん、読まれたことがあるかも分かりませんが、「讃美の力」という本でした。
この「讃美の力」はマーリン・キャロザースという方が書かれたのですが、私はこの本を調子の良い時に少しずつ読みました。そしてとても恵まれました。この本には、
「自分を苦しめている状況を変えてくださいと神に願う祈りではなく、私たちの身に起きるあらゆることについて神を讃美し、感謝し始めると、はじめて神の力が働き始める。」
と書かれてありました。第一テモテの五章に『すべてのことについて感謝しなさい。』とある。ずべての事についてとありますので、良いことも、悪いことも、すべて感謝しなさいと主は言っている。「自分を苦しめている状況を変えてください。」と神に願う祈りではなく、「私の身に起きるあらゆることについて、神を賛美し、感謝し始めると、初めて神の力が動き始める。」ということが書かれていました。
その中の書かれていた中に、アメリカの一つの家族が紹介されていました。ご主人が麻薬中毒で家庭崩壊になってしまい、ご主人は警察に捕まるは、薬物中毒が止まらなく、経済的にも苦しんでいる時に、牧師先生に祈ってもらったそうです。その時に言われたことは、「旦那さんが早く癒やされるように、そして解放されるように祈るだけでなく、すべてのことについて感謝しなさいと書いてあるから、感謝の祈りをささげなさい。」と言われたそうです。
彼の奧さんはその日から感謝するようになった。良いことも悪いことも感謝するようになった時に、ご主人が変わってきたというのです。麻薬中毒から解放されて、家庭が解放されたという証しが書かれていました。私は本当かなぁ?と思いましたが、でも自分も苦しい状況の中にありましたので、入院中でしたが私も感謝しはじめました。本当に様々なことを感謝しました。今まで感謝したこともないような事、「目が見えることを感謝します」「しゃべれることを感謝します」「ご飯を食べられることを感謝します。」と祈りました。正直その病院のご飯は自分の口に合わずに、菜食主義の病院でしたので、肉だと思って食べたら、大豆で作ったお肉で、美味しく食べられませんでした。おだしも魚介からとらないので、美味しくありませんでした。その病院には看護学校も併設してあったのですが、その学生に聞いても「正直美味しくない」と言っていました。栄養士が来て、「どうですか?」と言ったら、「まずいです。」とはっきり言ったことを思い出します。でもその時から「与えられていることを感謝します。」と、こんなこと感謝なんて嘘だよなぁと思いながら本当に感謝し始めました。感謝し始めて行くうちに、少しずつ私の心の中が不思議ですけれども、暗くて、現実ばかりを見て、最悪の状況を見ていましたが、だんだん明るくなってくることに気づきました。そんなある日、主治医が来てこう言いました。「上條さん、今までいろんな検査をしてきましたが、今度の検査で病名が分かると思います。この検査が最後の検査です。そうしたら結果が出るかと思います。うちの病院ではその検査はできませんが、聖路加病院に検査に行ってください。」と言われました。そして紹介状を頂いて私は出かけて行きました。家内が一緒に付いていってくれました。地下鉄に乗って出かけて行きました。当時ものすごく痩せて、大変苦しんでその病院に行ったことを思い出します。
地下鉄に乗っている時に、紹介状を持っていたのですが、普通ではありえないことだそうですが、封が開いていました。だから私はそこに書かれてあることを見てしまいました。そこには、今まで調べた検査名が書かれていました。そして最後に「今一番疑っているのは悪性腫瘍ですのでよろしくお願いします。」と、結んでありました。私ははじめピンと来ませんでした。それまで癌だという事は、脳天気な私は一度も考えたことがありませんでした。しかしそれを読んで気持ちが真っ暗になりました。何か深い谷に落とされたような感じがしました。しかしその時不思議ことが起こりました。起こったというより思い出しました。私の心の中に、一つのみことばが飛び込んできました。そのみことばは何かというと、有名なみことばですが、ヨハネ十四章一節のみことばです。