私たちに与えられた特権というのは、イエス・キリストという救い主、その名を信じた人々には神の子どもとされる特権が与えられている。いや〜、すごいことなんですけど、分かっているようで分かっていなかったというか、本当にすごいものなんだなぁということを再認識させていただきました。

私たち一人一人、皆さんお一人一人は誰ですか?と聞かれたら、「私はどこどこ村の村長です。」と言っても、その肩書きはいつか消えます。それ以上に素晴らしいのは、「あなたは誰ですか?」と言ったら、「油そそがれた神の子どもです。」と言う時に、どんな中でも変わることのない神の使命を果たすことができる。そんな一年になればと思います。

 

ダビデ王様は油そそがれたんですけど、でもその油そそがれた彼も最初は、「自分には力がない」と思っていたらしいんですね。第二サムエル三章三十九節、

 

『この私は油そそがれた王であるが、今はまだ力が足りない。ツェルヤの子らであるこれらの人々は、私にとっては手ごわすぎる。主が、悪を行う者には、その悪にしたがって報いてくださるように。」

 

このように語っています。「相手は手強い」と、二〇二一年、手強いかもしれないけど、しかも、そして自分には力がない。それに立ち向かうだけの力がないけど、でも私は油そそがれた者である。神の子であるという、その宣言をしていく時に、神さまご自身が私たち一人一人に働いてくださって、カナンの地の祝福というものを受け取ることができると思うんですね。

だからカナンの地に入って、戦いがこれから進むかもしれないんですけど、私たちの今まで経験したことのないような規格外の神さまの祝福を受け取ためには、まずどこに立つか、それは、油そそがれた神の子としてのアイデンティティに立って、この年は進ませていただきたいと心から願います。

 

そのカナンの地の祝福の根源というのは、やっぱり信仰の父アブラハムなんですね。アブラハム自身が自分を主のみ前におささげして、「主に私をささげます。あなたを信じます。」と信じた信仰によって、彼は義と認められたということとともに、「その子イサクもささげなさい。」と言われたんですね。

今日、「主の山に備えあり」という歌を歌いましたけど、神さまは私たちに備えてくださるお方ですから、この年は様々な戦いがあるかもしれないけど、アドナイ・イルエ、主は必ず備えてくださる。そのことを信じて進むことができればと思うんですね。

 

しかし、そのアドナイ・イルエという言葉の前に、アブラハムは大きな本当に試練にあってるんですね。創世記二十二章、今は時間がありませんので全てはお読みしませんけど、二十二章を読んでいくと、「その子イサクをわたしにささげなさい。」と言うんですね。神さまの言葉に従って、モリヤの山でイサクを縛って、そして屠ろうとすると、「しなくていい。わかった。あなたはわたしに対して従順だった。」と言って、その剣を下ろさせて、そしてそこに備えられていたのが、牡羊が山の木に引っかかっていたんですね。神さまが備えてくださった。それが創世記二十二章十四節に書かれています。

 

『そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある」と言い伝えられている。』

 

と書かれています。神さまは、この年も本当に私たちの行く先々に備えて下さることを信じていきたいと思います。それにはアブラハムが大切なひとり子をささげたほどに、私たちも私たちの大切なものをおささげする時に、主は大きな祝福を与えてくださいます。

 

県民の森の祈祷会で、毎年、新年には入って祈っていますけども、私は自由な祈りの時間に必ず毎年山に登って祈ることをしています。たった三十分弱の時間なので、本当に短い時間なんですけど、うわーっと山に上がって、そしてそこでハレルヤ!と叫んで、ちょっとだけお祈りして賛美して帰ってくるんですけど、なんかそこに行くといつも主の山には備えがあるという、そんな印象をすごく受けるんですね。その山のどこかに雄羊が引っかかっていそうな、そんな気がする場所なんですけど、そこは去年行った写真がこれなんですね。

皆さんと一緒に行って、そこで叫びました。本当に大きな恵みの時でした。一昨年はこれです。

もっと人が多いんですね。いっぱいいろんな人が行ってくださいました。そのまた三年、四年ぐらい前かと思うんですけど、その時はもっと多いですね。燃えてましたね。というか、過去形じゃいけないんですけど。

皆でここで叫んで、主の勝利!と叫ぶんですけど、でもやっぱり叫ぶ中で、あぁ主の備えがあるなぁと感じています。先週も行ったんですけど、先週はなんとたった四人でした。

さぁ行きますよ!と私が声をかけなかったからいけなかったかもしれないんですけど、ぜひ今日も祈祷会ありますので、ご一緒に山に足腰が大丈夫な人はご一緒に行っていただければと思います。

 

神さまがくださる二〇二一年の祝福、カナンの地の祝福をいただくために、喜びをもって進む。そして私たちは油そそがれた神の子であるという、そのアイデンティティに立って、私たちの大切なものを主のみ前におささげして歩んで行く時に、神さまのみ業がなされますので、そのことを信じて、前進していく二〇二一年でありたいと、心から願います。

 

一言お祈りさせていただきます。

 

ハレルヤ、愛する天のお父さま。あなたの素晴らしいみ名をあがめて心から感謝します。この二〇二一年、あなたの大きな恵みと祝福の中で始められたことを心から感謝します。あなたは二〇二〇年の本当に激しい戦いの中にも絶えず共にいて守ってくださったことを心から感謝します。今はすべての栄光をもう一度お返しします。二〇二一年も、すでにあなたが私たちに先立ってみことばを持って道を備え、励まし、強めて、導いてくださっていることを感謝します。

私たちには、この二〇二一年、どのような年になるのか分かりませんが、主よ、もう一度、私たちに喜びを与えてください。喜びの油を注いでください。小躍りして喜びをもって、あなたに賛美をささげ続ける、そのような一年でありますように主よ、導いてください。喜びを失うことがないように、戦いの中でも喜びを失うことがないように、絶えずあなたからの油注ぎをお与えくださいますように、主よ、お願いいたします。

また主よ、私たちが、油そそがれた神の子であるという、そのアイデンティティに立つことができますように。あなたが私たちを本当に神の子としての特権を今与えて下さっていることを感謝します。今、私たちのすべてをもう一度おささげします。私たちの大切なものすべて、主よ、あなたの前にささげますから、どこにおいても、アドナイ・イルエ、あなたの備えのある中で歩み続けることができるように助けてください。

今日のこの恵みを心から感謝します。二〇二一年、もう一度あなたにささげ、私たちのすべてを主よ、あなたにおささげして、尊き主イエス・キリストのみ名によって、この祈りを父なる神さまのみ前におささげいたします。アーメン。