レプタ銅貨二枚は、一日の日当が一万円とすると、わずか百五十円程度の価値にすぎないそうです。その女性は持っていた生活費の全部を献げたのです。その後の事は書かれていませんが、その女性は聖書に記述され、必ず祝福されたと信じます。「わたしを覚えて、これを行いなさい。」献げていきましょう。
そしてもう一つが、やはりみことばをしっかりと読んでいきたいと思います。私もなかなかみことばの読めない者でが、でもただ字を追ってみことばを読むだけでなくて、「わたしを覚えて、これを行いなさい。」とあります。主を覚えてみことばを読みましょう。
今日皆さんにお勧めしたいことがあります。是非祈ってみことばを読んでみてください。「私に必要なみことばをください。」と祈って、そしてみことばを読んでみてください。主は決して嘘を言わない方。あなたに必要なことばを語ってくださいます。みことばというのは、ご存知のように「みことばの剣」です。悪魔を打ち砕く戦う武器となります。あなたがみことばを握ったら、みことばをしっかりと握ってしまったら、悪魔は自分が傷つきやられるということが分かっているのです。だからみことばを読ませないように、また自分のみことばだということがしっかりと分からないようにさせてきます。

ですから今日、もう一度、このみことばを読むという時に、私たちはしっかりと、本当に心してみことばを読んで行きましょう。ヨハネ一章一節に、

『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。』

聖書六十六巻は神であった。『ことばは神であった。』とあります。またマタイ四章四節、

『イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」』

私たちは毎日の生活で、自分が生きていくには神の口から出る一つ一つのことばによって私たちは生きることができるんだとあります。ルカ一章四十六節、

『主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」』

またヘブル四章十二節、

『神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。』

ここに「心のいろいろな考えやはかりごとを判別する」、それがみことばなのです。ですから私たちはどういうふうに進んでいったらいいのか、迷う時があります。どうしたらいいんだろう。その時にみことばをしっかりと握ってください。みことばをしっかり読んでください。そして主があなたのみことばだと教えていただいた時に、その行くべき道を示してもらってください。みことばによって行く道を主が示してくださる、判別することができるということです。

また先ほども言いましたが、エペソ六章十七節、

『救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。手当たりしだい『わたしを覚えて、これを行いなさい。』

攻撃の剣、みことば、これは本当に主が与えてくださったものを私たちは握ったら、悪魔を打ち殺すことができるのです。

そしてもう一つ私が主に語られたことは、やはり賛美しなさいということです。先ほども恵まれた賛美をいたしましたが、やはり私たちは主を賛美していかなければいけないということを強く教えられます。一月三十日の礼拝のみことばで、「主の復讐の年 真夜中に歌え」というタイトルで、語られました。是非もう一度読みなおして下さい。被造物全体が賛美を歌う時に、獄舎から脱出して家族も救われ、街全体も解放につながるという、素晴らしいみことばを私たちは聞くことができました。詩と賛美と霊の歌」という、三つのタイプの賛美を歌うように勧められています。それらを原文で見ますと、「詩」とは「プサロモス」という言葉が使われている。それは「詩篇」のことです。当時、詩篇にメロディーをつけて、弦楽器で演奏するタイプの賛美があったみたいです。また詩篇はメロディなしでも朗読されることも多くあり、弦楽器の伴奏でも賛美されました。それがプサロモスというタイプの賛美でした。次の「賛美」とは、「フーノス」という言葉が使われています。これは、詩篇の中のどれか一篇にメロディをつけた賛美です。パウロとシラスが「神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人は聞き入っていた。」という、「賛美」とは三つの内、どの用語が使われているのでしょうか。それは「フーノス」です。
真夜中に最も高められたフーノス、すなわち、詩篇を歌っていたことになります。最も高められた詩篇の一篇となれば、「詩篇百四十八篇」だと言われました。ゆえに、敵の首領であるアポロンが打ち破られ、その結果として獄舎が壊れたことになります。私たちが詩篇百四十八篇のような、被造物全体賛美を歌う時に、獄舎から脱出し、家族も救われ、街全体の解放にもつながるのです。

あの時確か礼拝で賛美したのは、「真夜中に歌え」という賛美と、「ハレルヤ天において」「Let’s dance to the Lord!」と、「主の回復の時」の四つの賛美をしました。本当に私たちが、被造物が主を賛美するように、被造物の管理人として私たちが高らかに主を賛美していく時に、主が私たちに勝利を与えてくださる、獄の扉が開かれて、この街全体が解放されていく。そんなみことばを信じていきたいと思います。

また主がしなさいとあなたに示してくださっていること、たくさん今あると思います。「もっとこうしなければいけないな。」と主に語られていることはありませんか?ある人は「喜びなさい。」「感謝しなさい。」「絶えず祈りなさい。」と、示されていませんか?
またある方は自分が親不孝だなぁと示された方は、是非親孝行してみてください。主があなたに語ってくださっていること、「愛の行いがないなぁ。」と思う時には愛を行なって下さい。今年は復讐の年です。教会に大きな大きな前進が見えると信じます。見たことも聞いたことも思い浮かんだこともないような奇跡を主が私たちに与えてくださるという約束ですから、私たちは「手当たり次第、私を覚えてこれを行いなさい。」手当たりしだい「わたしを覚えて、これを行いなさい。」一週間としてみてください。大きな大きな大きな本当に主のわざが現れて、復讐が今週起き始めると信じます。

最後にお祈りして終わりにしたいと思います。

愛する天のお父さま、あなたがこの教会に「手当たりしだい」「わたしを覚えて、これを行いなさい。」と語ってくださったこと、ありがとうございます。手当たりしだい何もかも、私たちはあなたの前に行うことができる器とさせてください。足らないことばかりです。今おひとりひとりに何をしなければいけないか語って下さい。
「わたしを覚え、これを行いなさい。」というみことばを今週受け取って、私たちに必要なものを語ってください。それを実行させてください。行うことが復讐です。復讐の始まりです。今まで痛めつけられてきた、暗闇に対して今度は主が獄の扉を開けてくださり、その大きな城壁を乗り越えることができ、完全な勝利を与えてくださると信じます。今日は生きている主に希望を持って前進していきます。戦っていきます。賛美します。私たちは「手当たりしだい」「わたしを覚えて、これを行いなさい。」あなたを覚えて行っていくことができますように。主イエス・キリストのみ名の権威によって、今年は復讐の年であると宣言してお祈りをおささげいたします。アーメン。