2023年4月23日(日)新城教会牧師 滝元開
詩篇149篇
『ハレルヤ。主に新しい歌を歌え。聖徒の集まりで主への賛美を。
イスラエルは、おのれの造り主にあって喜べ。シオンの子らは、おのれの王にあって楽しめ。
踊りをもって、御名を賛美せよ。タンバリンと立琴をかなでて、主にほめ歌を歌え。
主は、ご自分の民を愛し、救いをもって貧しい者を飾られる。
聖徒たちは栄光の中で喜び勇め。おのれの床の上で、高らかに歌え。
彼らの口には、神への称賛、彼らの手には、もろ刃の剣があるように。
それは国々に復讐し、国民を懲らすため、
また、鎖で彼らの王たちを、鉄のかせで彼らの貴族たちを縛るため。
また書きしるされたさばきを彼らの間で行うため。それは、すべての聖徒の誉れである。ハレルヤ。』
ハレルヤ!今日こうして賛美礼拝を主のみ前におささげできた恵みを心から感謝します。この3年もの年月続いたコロナで、うめくような日々を過ごしてきました。さらにこの教会では三年半享子さん闘病と寛太くんの闘病も含め皆さんに共有していただきお祈りいただき戦ってきました。でも、イエスさまが私たち一人ひとりを愛してくださって、今、このように主への礼拝を、先に天に帰った方々と共におささげし、イエスさまの帰られる道を備え、さらに天と地が一つとなって主を賛美して、イエスさまが帰られるそんな時代に生かされていると思います。
先ほども賛美中の祈りで少し触れたのですが、雅歌二章十二節に、
『地には花が咲き乱れ、歌の季節がやって来た。山鳩の声が、私たちの国に聞こえる。』
この地に花が咲き乱れて、歌の季節がやって来た!このみことばを、今私たち、一緒に宣言したいと思います。
『地には花が咲き乱れ、歌の季節がやって来た。山鳩の声が、私たちの国に聞こえる。』
アーメンですか?イエスさまに賛美の拍手をおささげします。
大きな悲しみを共に共有していただき続けてまいりましたけれども、大きな戦いを経て、イエスさまの帰られる道を備えることができ、そして、間もなく喜びの時が訪れると信じます。主が今、喜びをもってあなた方が前に進む時が来たよ!と、今私たち一人ひとりに語ってくださっているのではないかなと、すごく強く感じております。
コロナが終息しようとしています。様々なもので押しつぶされるような日々でしたし、自分自身の弱さとも向き合うような、そんな時であったかもしれないですけど、でもそんな中で、もう一度イエスさまの尊い十字架を仰いで、そして「主が死なれたこと」を私たちは宣言し、そして復活のイエスさまと共に歩む。そのことがどんなに大きな喜びかということをもう一度かみしめて、これから歌の季節、喜びの季節が、主のみ手の中で始められていることを信じて進んでいきたいと思います。
そんな中で、私前回、ここでメッセージをさせていただいたのは、一月八日でしたけど、その間いろいろな働きを主によってさせていただいて、私たちの思い以上に主が進んでおられるなということを、すごく感じました。
この教会においてはモーニングバイブルが始まったり、モーニングプレイズが始まったり、またバイブルライブラリーが始まったり、そして家庭集会も対面で行われるようになったりして、徐々にいろいろな新しいことが始まっていることを覚えて、すごく感謝しています。
中高生のキャンプも久しぶりにみんなで元気よくすることができて感謝でした。
豊田のアスレチックに行きました。マスクをしていない子の割合のほうが少ないですが、中高生の皆さんまじめで、外で風をあびてやっているのですが、マスクをしていました。そしてサッカーをしたり、とても楽しいひとときでした。アスレチックした時の動画があります。ご覧ください。
湖の上を行くという短い動画でした。ハレルヤー!と言ったらもっと良かったかもしれないですけど、でも本当にこれも一つの主の回復の恵みだったなぁと覚えて、心から感謝しています。
また東京でのザワメキの集会も、主が昨年から始めさせてくださって、増山先生の牧会される広尾の教会で行うことができて、本当に感謝しています。リバイバルを求めて、純粋に、この地にリバイバルを!と、この話は以前もさせていただきましたけど、全く面識なかった増山先生、元上場企業の大会社の社長様という、近寄ることのできないような別世界の方が、東京の広尾という、一歩外に出ると外国人がたくさん歩いて大使館がいっぱいあるような、そんな所なのですが、今教会が建てられている場所は、元々皇族が持っていたような土地を購入され、その土地に安藤忠雄設計の教会を建てたという、ザワメキとはかけ離れたようなところなのです。
以前にもお証しさせていただいたことがあるかと思いますが、一つの集会で一泊したときに増山先生と同室になり、その時、私はリバイバルを熱く語っていました。先生は私より歳は少しお若いのですが、やはり大会社の社長だけあってすごく冷静な方なのです。「あぁ、そうですか。」と聞いてくださっていたので、最初私はもう一人同室の先生のほうがパッションを感じるような、筋肉隆々の、ボディビルをしているような新宿で頑張っている先生だったのですが、その先生はもっと若かったのでお話しはじめました。
同室になったので、まず私は「寝言を言うのでごめんなさい。」そこから始まって、「夜、時には歌ったりしますので申し訳ありません。」と言って、そこから始まったのですが、堰を切ったように喋り出して、リバイバルということから、明牧師の皇族とのつながりと、伝道のことと、そこに本を送ったりCDを送ったりさせていただいているとか、そして東京でリバイバルのためにザワメキが歌い続けてもうすぐ何回だという話をしました。すると増山先生が「うちの教会でやってくれませんか」と言ってくださいまきた。「それでは日程を合わせましょう。いつにしますか?」という、いわゆる一日だけのチャーチライブ的な感じかと思ったら、「毎月、私の教会で開催を」ということで毎月行わせていただくようになりました。本当に神さまの計り知れないご計画というか、壮大なご計画と、本当に私たちの思いでは届かないというか、くっつかないようなことを主がしてくださっているなぁと思っています。
実は来月がザワメキ東京大会百九十九回目、そして六月になると、六月十日ですけど、二百回なのです。だから妙にそこに力が入っているわけではないのですが、何だか大きな期待があります。「二百回までもうすぐだ!」と、来てくださっている方々も共有してくださり、主への期待と共に、さらに新城からも助けてくださり、毎回バスで行ってくださって、応援に駆けつけてくださって、行かせていただいています。
ぜひ、またよろしければ皆さんも一緒に行って、日本のリバイバルのために戦う!というその熱い思いでいけたらいいなと思います。
ザワメキ二百回目になろうとしているので、二〇〇一年に独立し発足し、最初に始めたのが東京でのザワメキワーシップシャウトでしたので、父も母も元気な時からでした。母は特に「私は生まれが東京の八王子だから」と言って、本当に犠牲を払って何度も何度も駆けつけて支えてくれたことを思い出しますけど、あれから二百回、コロナの中でとどまったこともありましたけど、主がここまで導いてくださったことに感謝しています。「さぁ歌の季節がやってきたから歌いなさい!」と言っておられると思います。
近年、主に「助けてください」という祈りをいっぱいしたと思います。「癒してください」という祈りもしましたし、たくさんの祈りをしていますが、私たちは全能なる神に、天と地を創造してくださった神に、そして、まもなく帰って来られる神さま、イエスさまに心から賛美して、やっぱり喜びをもって向かえたいと思うのです。「苦しい早く来て!」というのも悪くはないのかもしれないですけど、「イエスさま、待ってました!ハレルヤ!」と、こちらも準備万端にしないといけないと思うのです。今一度、歌の季節が来ているのかなと、そのように感じさせられています。
このような状況下、主は先立って、導き続けてくださり、九州でのザワメキもぐるりと回らせていただきました。その中にも主の奇跡を感じたのですが、もともと九州でザワメキの集会をするというのは、どうしてかというと、ある時広告で、飛行機で、全国どこに行っても片道七千円というチケットが出たので、これなら行けなかったところに行けるなと思って、それで七千円ならどこへでも行けてしまうのです。もちろん北海道でも沖縄でも、近くでもいいのですが、七千円で行ける所と考えて、私と家内が同じ所を思いついたのです。
それがどこかと言うと、大分の国東半島という、しかも、その半島の中の山深い山のど真ん中の、小さな教会、民家を教会にした教会なのですが、そこをザワメキで何度か行かせていただいて、そしてこのコロナの中もそこの牧師先生は奥様で、ご主人が「開さん!」といつも電話してくださって、「頑張ってね!頑張ってね!」そして献金を送ってくださって、すごく励ましてくださっているのです。本当に感謝だなぁと思っていて、「そうだあの教会に行こう!」と言って、そして片道七千円で、また帰りも七千円で帰ることができるので、もう一箇所思いついたのが、「そうだ天草に行こう!」ということで、天草に行くには熊本に行って、そこから行かなければいけないのですが、熊本に行くことにして、そしていろいろと話の調整をしていったら、熊本の天草が水曜日で、そして最終日が日曜日ですから、水木金土日と五日間、久しぶりのロングバージョンで、しかも移動距離長い長い、本当にたくさんぐるぐる走り回ったのですが、でも行く先々に神さまの素晴らしい恵みを見させていただきました。
最初に行った教会がこの教会です。これが天草の教会です。先生を始め、皆さんすごく喜んでくださって、申し訳ないぐらい、皆さん熱いのです。それで励ましてくださって、始まる前と終わった後の皆さんの空気の違いというか、私たちいつもザワメキで本当に小さなPAシステムを宅急便で送って、そしてそこで組み立ててするのですが、その小さなミキサーからスピーカーからいろいろなものを牧師先生始め、いろいろな方が写真を撮ってどうするのかなと思いながら、写真を撮ってくださったり、皆さんウキウキで喜んでくださいました。
天草に行って、芦北に行って、福岡新生キリスト教会という所に行って、そしてバイブルチャーチ福岡という所に行って、日曜日が二箇所だったのですが、日曜日の一箇所目が、最初お話しした国東半島の教会、私たちが最初に導かれて、ここにいこうと思った所が、そこがなんと寸前になって、そこはお年寄りが多く、なんかちょうどまたその季節に少しコロナが云々という、そういう話がニュースで流れ始めてしまったので、お電話がありました。「開さん、今回またコロナ流行っちゃったから、今回の話なしにしてもらうかな?」と言われたのです。
もうその時には七千円のチケットを購入していましたし、七千円のチケットはもちろん返金不可能なチケットですので、どうしようかなと思いながら、電話でさよならしました。
そしてその後からの出来事だったのですが、そうだ大分に、先ほどの二十一世紀キリスト教会の増山先生のブランチがあるなぁと思って、そのことを思い出しました。その大分におられる先生方も、増山先生と、この広尾のど真ん中と全く関係ない場所、どこにブランチを出したかというと、なんと先ほどのお話の中で登場した国東半島の山の奥の奥、だから私たちが行こうとしていた所からわずかな場所に「エクレシア」という名前で始めておられたのです。
実はこれがその時の写真なのですが、この時、ここに写っておられる方々のほとんど、九十五パーセントぐらいの方々はクリスチャンではない、その山間のおじいちゃんおばあちゃんばかりなのです。それでしかも、ここにどうしてこうこの方来られたかというと、一番右に車椅子の方いらっしゃるのですが、その方が元々広尾の方なのです。そのご夫妻で広尾で一生懸命主のためにしている中で、でもその山に対して使命があって、パンを送ったり、いろいろなことをしていて、そしてそこに福音を届けたい!という、その熱い思いから、その公共の施設のような所を買い取って、そこにはまたいろいろとあるのですが、もともとそちらの出身だった方も広尾にいらっしゃったりして、そこの一つの大きな施設を買い取って、改築して、始めて、そしてコンサートをしたという、そんな流れなのです。