“【主】は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。”
主はあなたを必ず守って下さいます。「地が震えるほど怒っておられる。」そして、「憤りを持って国々は耐えられない」という主の同じ思いを持って戦っていきましょう。
この頃、天の教会と地の教会が一つになるようにというという事を教えて下さっていますが、天の教会には暗闇が全くありません。更に「主の怒り・憤りを持って」この地に天の教会があらわされるように戦って行きたいと思います。
しかしこの頃は慣れてしまい、時間を気にして「何時までに帰らないといけない。」とか、なかなか祈りが答えられないとあきらめて、祈りをやめてしまう時があります。主の怒りや憤りを感じずに、自分のペースで祈ってしまっていることを悔い改めましょう。今日は「主は怒りや憤りを覚えて祈れ!」と教えています。主と同じ思いで祈りましょう。
いつも私の家内のために祈り、ご心配をおかけしております。以前この場所でお話ししたように、パーキンソン病が進行し、気管切開をし、その後、胃ろう手術をして、私は正直、この状況は延命治療状態ではないかとショックを受けましたとお話ししました。気管切開をしてもスピーチカニューレという器具をつけると、普通の方は声が出せることが分かりました。しかし家内は声帯が衰え、声を出すことは「多分難しいでしょう。」と言われてしまい、ショックを受けました。もう彼女の声を聞くことができないのか・・・・と自分はあきらめていました。
当初パーキンソンの薬の調整のため二週間の入院をすると言われました。しかし気管切開や、胃ろうの手術も加わり、入院期間が少し延長しましたが、それ以上の期間がかかり最終的には五十二日間の入院となりました。なぜそんなに時間がかかったかと言うと、もう一つ、大変なことがありました。彼女は骨粗鬆症の薬も服用していました。初めしっかり意識があり、気管切開後も私を見ると口をパクパクして、私に話したい事があるようで、必死に口を動かしていました。しかし声が出ないため、何を言っているかわからなくて、とても悲しい思いがしました。「ごめん。わからない。」一生懸命彼女が訴えるのです。が声が出ないので、辛いなぁと思っていました。そんな彼女が、だんだんだんだん目がうつろになり、焦点が合わなくなって来ました。彼女がどんどん弱ってきてしまいました。
呼びかけて、反応しなくなりました。ある時医師から電話があり、意識が弱くなったのは、彼女に処方されている骨粗鬆症の薬が、カリウムが奪われていき、わかりやすく言うと、脱水症状のような状態になっているため、意識が薄れて来ている。というのです。そのため、服用している薬をすぐにやめる必要があることがわかり、感謝なことに再度意識がハッキリしてきました。そんなことがあり五十二日間の入院になりましたが退院して、施設に戻る事ができました。その後「もしかしたらスピーチカニューレを入れたら声が出るかもしれませんよ」と言われたが、試しに入れてみることにしました。初めは痰が絡んで苦しそうでしたが、声を出してくれて、彼女の声が聞こえるようになりました。だんだん意識もはっきりして来まして、五月の最後の礼拝後には、東京の父母がお見舞いに来てくれました。その時には、スピーチカニューレを使って良く会話ができ、父母に調子の良い時の姿を見せることができました。感謝します。
しかし、また大変なことが起こりました。その後また、以前と同様目の焦点もあわず、意識も薄れ、眠ってばかりいる状況になって来ました。私は正直病気が更に悪化しこのままでは危ない状況?と思うほどとなってしまいました。
六月二十四日の月曜日でしたが、施設から電話があり、「血液検査の結果が非常に悪いので、すぐに病院に連れて行ってください」と言われました。入院の可能性があると言われ、びっくりして、急いで長男夫婦に依頼して一緒に病院に行きました。
検査の結果、なんと骨粗鬆症の薬が再び処方されており、それを飲み続けてカリウムが減少し、脱水症状になっていることがわかりました。以前止めたはずの薬を、また処方されて、飲ませていたことに私は怒りを覚えました。家内は十五日間の入院し、点滴で水分を補給し治療を続けました。感謝なことにまた元気を取り戻し、再び施設に戻ることができました。
私は心の中で「なぜ同じ失敗を繰り返すのか」と怒りがありました。医者同士の連携がうまく行かなかったとの説明に、どの医師が間違えたのか?と犯人探しをし、関係のある医師に聞きました。家内をこんな辛い思いをさせて・・・と問いただしました。しかし各医師や施設も、認めませんでした。
そんな時、神の声が聞こえ「なぜ怒っているのか?」と。そしてもう一つ。ヨナ書の「ヨナのような預言者になるな」という思いがふっときました。どういう意味だろう?神さまは私に何かを教えようとしているのだと感じて、祈りました。
家内が入院した六月二十四日月曜日です。その日はモンゴルリバイバルミッションのために、この教会から出発した日です。「モンゴルリバイバルミッションには大きな意味がある。しっかり祈ったか?」と思わされました。祈りはしましたが、家内の件でドタバタして、モンゴルリバイバルミッションにたいして祈れなかったと反省させられました。先週の礼拝で滝元順牧師がメッセージをされていましたが、この新城教会のルーツ、私の父滝元明牧師がなぜ伝道者として、日本や世界を巡回するようになったのか?
モンゴルに最初に宣教師を送ったのは、スウェーデンの教会でした。北欧の国、元バイキングの国が、モンゴルに宣教師を送りました。しかし日中戦争が起こり、情勢が悪化し、一九四四年三月末、スウェーデン宣教師たちは、国外追放を余儀なくされたのです。しかしその宣教師は相次いで日本に移り、日本で活動を開始したと聞きました。滝元明牧師がその後スウェーデン宣教師に招かれて始め、伝道者として立てられ、その後リバイバルミッションが起こされたことが語られました。モンゴルという国は霊的に大きな鍵を持っている国であった。祈らなければならないと分かっていながらも、自分の家内のことで頭がいっぱいで、心の中は怒りで満ちていました。家内の病気は霊的戦いの中で進んでいるのだと強く教えられ、反省させられました。まず知らない間に医師や施設を批判し、怒っている事に対して、詩篇百三十三篇一節、
“見よ。なんという幸せ、なんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになってともに生きることは。”
教会が主にあって一つのからだであり、ひとつになることが、なんという幸せ、なんという楽しさだろう。とあります。何故怒っているのか?あなたは牧師であり、主のために、新城教会の兄姉の為に働いているにも関わらず、自己中心的な思いで怒っている。特にあなたは医者のために、看護師のために祈ったのか?と問われました。家内の事しか祈らず、家内のために労してくださった医師、看護師、病院の関係者のためには祈らなかった。逆に怒っていたことを反省させられました。またその病院に入院されている方々のためにも祈らなかった私。反省させられました。主の愛を持っていなかった。怒って当然と思っていたことを悔い改めました。
先ほどの詩篇百三十三篇一節にある様に、兄弟たちが一つになってともに生きることはなんという幸せ、なんという楽しさだろうとあるのに、この教会で医者として働いておられる方、看護師、また医療関係者の為にもっと祈れと教えられました。病院に行ってみると医師。看護師は激務です。
“見よ。なんという幸せ、なんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになってともに生きることは。”
医療のために働いておられる方の為に祈る事が、なんという幸せ、なんという楽しさだろう。至上の幸せであり、至上の楽しさなのです。私の家内が病というポジションにおかれているのだから、自己中心的な思いで、祈ってくれ。助けてくれ。ではなく教会の医療従事者たちの為に祈る責任がある。今回怒っているのが当然のように思っているが、違う!あなたが祈らなかったから、今回の出来事がおきたのだ。祝福を祈れと語られました。その時から怒りが消えました。そして新城教会の医療従事者のために毎日祈るようになりました。また家内に関係する方々のためにも祈るようになりました。
お祈りして頂いておりますので、家内の写真と現状の動画を見ていただきたいと思います。
そして家内から皆さんへメッセージがあります。
「いつもお祈りありがとうございます。」
家内が皆さんに感謝の気持ちを伝えています。また夫婦の賛美を聞いて下さい。
賛美には力があります。また賛美がリハビリとなると思って、一緒に私たち夫婦の記念の賛美を聞いてもらいました。皆さまのお祈りにより、ここまで回復させていただきました。本当にみなさんのお祈りを心から感謝しています。
そして「預言者ヨナになるな」ということですがヨナ書を読み返して見ましょう。ヨナに「ニネベに行き、そこでわたしが伝えることを告げなさい」と神さまから命じられました。しかし、ヨナは神の声に従わずにニネベではなく、タルシシュ。地図を見ればわかりますが、全く反対の地中海の遠い方向に逃げたのです。
ニネべは当時のイスラエルの敵であったアッシリアの首都でした。ヨナ1章1節~2節
“アミタイの子ヨナに次のような【主】のことばがあった。「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」”
しかし主のことばに対してヨナは拒否しました。そして逃げて別方向の地中海の彼方にあるタルシシュへ向かう船に乗りました。ヨナ1章4節~5節
さて、【主】は大風を海に吹きつけられた。それで海に激しい暴風が起こり、船は難破しそうになった。水夫たちは恐れ、彼らはそれぞれ、自分の神に向かって叫び、船を軽くしようと船の積荷を海に投げ捨てた。しかし、ヨナは船底に降りて行って横になり、ぐっすり寝込んでいた。
完全に神から逃避し、大変な現実からも逃れて助かる作業から逃避しています。ヨナ1章7節~8節
“みなは互いに言った。「さあ、くじを引いて、だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったかを知ろう。」彼らがくじを引くと、そのくじはヨナに当たった。そこで彼らはヨナに言った。「だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったのか、告げてくれ。あなたの仕事は何か。あなたはどこから来たのか。あなたの国はどこか。いったいどこの民か。」”
と問われました。すると神から逃げているにもかかわらず、ヨナ1章9節
“ヨナは彼らに言った。「私はヘブル人です。私は海と陸を造られた天の神、【主】を恐れています。」”
と船にいる人には主を恐れていると従っていないのに言っています。そしてわたし 海に投げ入れなさいと伝え、ヨナを投げ込みました。そしたらヨナ一章十五節
こうして、彼らはヨナをかかえて海に投げ込んだ。すると、海は激しい怒りをやめて静かになった。
従わなかったことにより関係のない人たちに命の危険まで体験させてしまいました。ヨナ一章十七節
“【主】は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。”
そんな従わなかったヨナのために主は大きな魚を用意しました。主の奇跡を体験させました。ヨナ書二章九節をリビングバイブルで読むと
“私は、あなた以外の何ものも拝みません。あなたがしてくださったことを、どう感謝したらよいでしょう。私は必ず約束をはたします。私の救いは主のみです。」”
ヨナは悔い改めたのです。私は必ず約束をはたします。私の救いは主のみです。と主に祈りました。その後ヨナは陸地に吐き出され、再び主にニネべに行けと語られました。ヨナ三章四節~十節
ヨナはその町に入って、まず一日目の道のりを歩き回って叫び、「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる」と言った。そこで、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで荒布を着た。このことがニネベの王の耳に入ると、彼は王座から立って、王服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中にすわった。王と大臣たちの命令によって、次のような布告がニネベに出された。「人も、獣も、牛も、羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならない。人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの 悪の道と、暴虐な行いから立ち返れ。もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、 私たちは滅びないですむかもしれない。」神は、彼らが悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になった。それで、神は彼らに下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった。